2010年1月10日 (日)

兄は「本物の控え捕手」

本ブログ1月8日の記事でも言及したように、去る1月7日には、皇學館大学社会福祉学部・地域福祉文化研究所の主催で、「現代の子どもに必要な動きを考える」というテーマでシンポジウムが開かれた。

そのパネル・ディスカッションにおけるパネラーの一人として招かれた千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチの山中潔は、実は私の実兄である。

兄はPL学園から昭和54年秋ドラフト4位の指名で広島カープに捕手として入団し、その広島で達川光男選手と正捕手争いを演じたが、結局レギュラーの座をとることはできず、その後は2番手キャッチャーとして、ダイエーホークス→中日ドラゴンズ→日本ハムファイターズ→ロッテマリーンズと渡り歩き、17年間の現役生活を送ったあと、ロッテで6年、次いでファイターズで7年、コーチを務めてきた。昨年はユニフォームを着てちょうど30年目の年だったが、今年は千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチとして、31年目のシーズンを迎えることになる。

その兄が、昨年、ある本でかなり大きく取り上げられた。それは、スポーツジャーナリストの赤坂英一氏によって書かれた『キャッチャーという人生』(講談社、2009年8月31日第1刷発行)という本である。

この本は、帯の言葉を借りると、「野村と古田の陰に隠れた6人の名捕手たちの、栄光と挫折」を描いた本である。その6人の名捕手というのは、この本で最初に出てくる順番で言うと、村田真一、達川光男、山中潔、谷繁元信、大久保博元、里崎智也--この6人であり、その6人のキャッチャーとしての生き様が、この本では非常に興味深く描かれている。というのも、この本では、この6人が機械的に個別に描かれているのではなく、時系列に沿って互いに関連させられつつ、6人それぞれの特徴がうまく描き出されているからである。

それにしても、その6人の中では、兄の山中潔が、もしかすると一般的な知名度という点では、最も低かったかもしれない。というのも、兄は結局、その17年間にわたる現役生活の中で、正捕手になれたことは一度もなかったからである。

しかし、その兄は、この本のなかで「本物の控え捕手」と評価されていた。というのも、「89年に1年だけ在籍したダイエーを除いて、プレーしたのは強い球団ばかりだった」が、その強い球団で「控えとはいえ、常に一軍で必要とされる存在」であり続け、並の控えにとどまることなく、リードに自分の色を出していたからである(168-173頁)。

そのような存在であり続けるための努力は、決して並大抵のものではなかったに違いない。兄が弟の私に「自分がプロ野球の世界でいかに努力してきたか」を語ることは全くなく、私の前ではざっくばらんな、優しい姿しか見せることはなかったので、その兄がプロ野球の世界でどれほどの努力をしてきたか、それを具体的に知ることができたのは、この本のおかげであった。しかし、それを具体的に知ることはなくとも、どれほどの努力をしているのか、その雰囲気は不思議と感じ取っていたように思う。

私には、この兄の他にも、兄がもう一人、姉が一人、そして妹が一人いる。プロ野球の長兄を筆頭として、みんなそれぞれの分野で独り立ちしており、その5人の兄弟姉妹は、みんなそれぞれ努力を重ねているに違いないのだが、決してそれをお互いにひけらかすことがないのは、おそらく、努力することが、自分たちにとってあまりにも自然なことだからなのだと思う。わたしもそのような兄弟姉妹の一員として、これからも自然体で努力していこうと思っている。

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2006年9月 7日 (木)

身障者サッカー親善大会に参加(2)

前回の記事から少し日があいてしまったが、今日はその前回の続きを書くことにしよう。

昨年、本当に久しぶりにこの「身障者サッカー親善大会」に参加した。トレーニングがまったく充分ではなかったので、思うように体がシャープには動かなかったが、トレーニングが足りなかった割には、ほどほどに体が動いたのは、うれしい驚きだった。

といっても、やはりトレーニングが足りていなかったという事実に変わりはなかった。なかでも迂闊だったのは、基本中の基本たる「ウォーミングアップ」の重要性をすっかり忘れていたことだった。試合前にそれを怠っていたため、試合は20分ハーフ--すなわち前後半20分ずつの計40分--だったのだが、その最初の20分間はとてつもなく疲れてしまい、もう全然動けないと思われるほどだった。

ところが、その試合の後半の20分ハーフを休ませてもらったら、だんだん回復してきて、かえって体がよく動くようになった。つまり、「ひと汗かいた後の方が体がよく動くようになる」という基本を、「そういえばそうだった…」とその時初めて思い出したのである。なんとも恥ずかしい話だが…。

そんなことが去年あったので、今年は当日の試合前のウォーミングアップを入念に行なった。のみならず、前の日の晩から体をほぐすことを心がけた。つまり、前日夜のお風呂上がりにストレッチ体操を入念に行なったのである。翌日の試合当日の朝にもお湯につかり、体をほぐした。試合開始(9:30)の一時間半前(8:00)にはグラウンドに出向き、準備体操やランニングを念入りに行い、「ひと汗かいておいた」のである。

そのおかげで、今年も20分ハーフの試合を二つ--しがたって、計80分--行なったのだが、二つともフル出場することができた。去年よりも体の動きはよかったので、プレーしていて、本当に楽しかった。実は何人かの方から「よく動いてたなぁ…」と褒められたのだが、それはまさに望外の喜びだった。

しかしながら、まだ普段のトレーニングが足りていなかったことに変わりはなかった。去年の親善大会を終えてから、「来年に向けては運動するぞ!」といったんは決意したものの、その決意が長くは続かず、結局は普段の生活の中でトレーニングらしいことは殆どできずに終わったことは、実は去年とあまり変わっていなかったのである。実際、ある程度は走れたものの、さらにスピードを上げようとすると、大腿部が「もうこれ以上はできませ~ん!!」と悲鳴を上げそうになるのを感じた。要するに筋力不足だったのである。そのため、スピーディで切れ味の鋭いプレーは全くできずに終わったのであった。

にもかかわらず、今年は「楽しい」と思えるほどには動けたのには、次のような理由が挙げられると思う:

①タバコをまったく吸っていないこと→心肺機能を極端には衰えさせていなかった
②夏でも極力クーラーを使っていなかったこと→夏の暑さに体が慣れていた
③普段から階段を使い、エスカレータやエレベータは使わなないようにしていたこと→歩く運動は多少はできていた

もっと遠くの原因を探れば、「昔取った杵柄」と言うように、小学校・中学校・高校とずっとスポーツをしてきたということもあるだろうが、それ以来、本格的なスポーツからは殆ど全く遠ざかってきていたにもかかわらず、今年はあれだけ動けたのには、上記の①~③の理由があったのである。無論、この①~③はずっと続けている習慣だから、去年にも当てはまることだったのだが、いずれにせよ、たったこれだけのことでも非常に大きな効果を発揮したことを思うと、普段の生活習慣がいかに大切かということを、改めて実感できたような気がする。

そして、去年と違っていたもう一つのことは、終わった後、「来年に向けて、運動したいな」と自然に思えたことだった。去年は「運動しなければ!…でもちょっとシンドイかも」としか思っていなかった。ところが今年は「運動はやっぱり楽しい!」と思えたのである。この体を動かす楽しさは、もう理屈抜きでそうなのだ、ということを今年は思い出せたのである。

去年が本当に久しぶりの参加だったので、それを「一回目」と数えると、今年は二回目の参加だった。来年は三回目である。“三度目の正直”ということわざがあるが、来年はまさにそうなってくれるような気がして、今からワクワクしている。

そんなわけで、来年に向けては、普段から楽しんで体を動かしていこうと思う。それはきっと、教育と研究の仕事にもプラスに働いてくれるに違いない。

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2006年9月 4日 (月)

身障者サッカー親善大会に参加(1)

9月2~3日に、身体障害者サッカー親善大会に参加してきた。会場は神戸市北区の「しあわせの村」である。正式名称は「'89フェスピック神戸大会記念 日本身体障害者サッカー親善大会」という。

「日本身障者サッカー親善大会」といってもそんなに大袈裟なものではなく、初日の夕方に集合してその日の夜は懇親会をし、一泊した後、翌二日目の午前中に、神戸市内のママさんサッカーチーム--実はなかなか上手なチームである--とのフレンドリーマッチを楽しむ、というものである。

この「身障者サッカー親善大会」は、ある年を除いて、ほぼ毎年行われてきているが、今回はこの親善大会のもとになった「'89フェスピック神戸大会」のことと、その後この「親善大会」が行われるようになり、一時存続の危機を迎えながらも素晴らしく復活した経緯について、簡単にではあるが書いておこうと思う。

この「'89フェスピック神戸大会」(以下、「フェス89」と略記)というのは、1989年(平成元年)--たしか9月だったように思うが--に神戸で行われた、環太平洋諸国の身体障害者のためのスポーツ大会のことである。「環太平洋諸国」というところが、全世界を参加対象とし、オリンピックと同年に開かれる「パラリンピック」との大きな違いなのだろうと思う。

身障者のためのスポーツといえば、普通、水泳や、車椅子バスケット/テニスなどの車椅子利用者のための競技等が思い浮かぶだろうが、この「フェス89」の時にはサッカーも競技種目の一つに加えられた。その当時20歳だった私は--そして「左上腕欠損」という障害を2歳の時以来負っていた私は--中学校・高校とサッカーをしてきた経験を買われて、「日本代表チーム」の一員としてこの大会に参加したのである。

ただし、サッカーは身障者のスポーツとしてはあまり普及していなかったためか(現在でもその事情は変わっていないと思うが)、参加国は日本とインドネシアだけだったので、日本がAチームとBチームに分かれ、計2ヵ国3チームの総当たり戦形式で行われた。私は日本Aチームの一員として参加したが、結果は2位だった。1位はインドネシアである。傷痍軍人の選手によって構成されたインドネシアチームは、日本チームの体力を上回っており、われわれ日本チームはA・Bともに走り負けてしまった。日本A対インドネシア戦のスコアは、たしか0-2だったように記憶している。

その「フェス89」のあとも、「これでおしまいにしてしまうのはもったいない。年に一度はみんなで会おう!」ということで、そのときの日本の身障者サッカー代表選手が同窓会のような形で年に一度集まってサッカーを楽しむ、ということが行われてきたのである。

その「親善大会」は、最初のうちは、「フェス89」の会場提供者・神戸市の協力によって行われてきた。ところが、例の阪神淡路大震災のために、神戸市が復興に全力を挙げる必要から、この「親善大会」は協力母体を失って、一時中断してしまったのである。

それでもう、この集まりもおしまいかと思われたのだが、関係者一同のただならぬご尽力により、思わぬ形で素晴らしく復活した。なんとあのJリーグがバックアップしてくれることになったのである。というのも、身障者もサッカーにいそしむということが「Jリーグ百年構想」の趣旨に合致するとみなされたからである。この「百年構想」についてはこちらをご覧いただきたい。Jリーグの川淵三郎チェアマン(当時)がそのように判断され、場所が神戸ということで、具体的な主催者としてヴィッセル神戸を指名されたと聞いている。関係者一同のご尽力には心から感謝せずにはいられない。そのようなわけで、「'89フェスピック神戸大会記念 日本身体障害者サッカー親善大会」が、一時存続の危機を迎えながらも見事に復活し、毎年9月初旬の土日に行われ続けることになったのであった。

なお、この「親善大会」の昨年の様子についての簡単な報告記事がこちらに掲載されている。おそらく今年の大会のことも、近いうちに掲載されることと思う。

実を言うと、私は「フェス89」が終わった翌年から2,3回だけ「親善大会」に参加した後は、研究者として独り立ちすることに精一杯で、これに参加するだけの心の余裕を持てなかったため、ずいぶん長い間参加していなかったのだが、ここにきてようやくその心の余裕を持てるようになったため、昨年、実に久しぶりに参加させていただいた。今回の参加は、昨年に引き続いての参加だったのである。

この今回の参加がどうだったのか--それは非常に楽しいものだったのだが、このことについては、また次回に書かせていただくことにしよう。

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2006年7月13日 (木)

ジダンの頭突き

ここのところ調子がおかしかったニフティのブログサービス(ココログ)がようやく復旧したようなので、本欄の更新を再開することにしよう。

先日のドイツワールドカップサッカー決勝戦(仏対伊)で、きわめてショッキングなことが起こったことは、読者の皆さんもご承知のことと思う。例の“ジダンの頭突き”である。1対1のまま延長戦に突入し、その延長戦後半もあと10分を残すのみとなったところで、この決勝戦を最後に現役を退くことを表明していたフランス代表のキャプテンが、イタリアのディフェンダー(マリオ・マテラッティ)の胸部に強烈な頭突きを見舞ったため、あろうことか、退場処分を受けてしまったのである。現代サッカーの最も偉大なプレイヤーの1人と称えられてきたミッドフィールダーがその現役生活の最後を締めくくるにはあまりにも悲しい出来事だったことは言うまでもない。

それ以来、この出来事の真相をめぐって色々な情報が報道されてきているから、読者の皆さんもよくご存知のことと思う。なかでも、人種差別的な発言が、アルジェリア生まれの移民の息子という出自を持つジダンに対して投げつけられたとの説があるが、もしもこれが本当だとしたら、ジダンの暴力行為自体はもちろん許されることではない(実際ジダン自身もそう語っていた)とはいえ、そのような挑発的な侮辱発言を行なった側にもしかるべき処分が下されるべきであろう。ともあれ事の真相についてはFIFAが調査に乗り出したということだから、われわれとしては、その調査結果を待つほかはあるまい。

それよりも私が今日ここで書いておきたいのは、その一連の報道で事実として伝えられているものの、その妥当性についてはこれまでのところ全く疑問視されていないと思われる、ある一つのことについてである。

この場面で二人の間で不穏な言葉のやり取りが行なわれ、結局あのような行為に帰結してしまった、その最初のキッカケは何だったか? それは「ユニフォームをつかむ」という行為だった。つまり、イタリアのゴール前で競り合いをしているときに、マテラッティがジダンのユニフォームをつかんだことから、この二人の間での険悪な言葉の応酬が始まってしまったのである。

私がこれを機会に世界のサッカー界全体で是非とも考え直してもらいたいことは、この「相手のユニフォームをつかむ」という行為に対して、もっと厳正に対処することである。というのも、この汚い行為が世界のトップレベルで堂々と行なわれてしまっているがゆえに、たとえば学生がサッカーをするときなどにも、「審判が見ていなければ、少々のことは、勝つためには行なってもよい、否、むしろ大いに行なうべきことである」というように当然視されているほど、この行為が蔓延してしまっているからである(このような考えを、サッカー部の顧問をしている私が、試合の際、ある一人の学生部員が言っているのを傍らで実際に聴いたのである…!)。

私が憂慮しているのは、「人が見ていないところだったら、少々悪いことでも、やって構わない、むしろ自分だけやらないのは損だ」という風潮が--すなわち「正直者がバカを見る」という事態の蔓延が--サッカーの世界のみならず、社会のさまざまな場面で見られることである。

私の担当科目の一つの政治学概論(名張)におけるトピックの一つだった「ただ乗り」問題も、結局は、「バレないのなら、自分だけ抜け駆けして、ズルイことしてしまえ…」という発想が原因である。信号無視しかり、スピード違反しかり、飲酒運転しかり、産廃物の不法投棄しかり、タバコやゴミのポイ捨てしかり…と挙げればキリがない。

この一つ一つの違反行為を取り上げてみれば、たしかにその一つ一つは些細なことにすぎない。しかし、怖いのはその積み重ねである。信号無視やスピード違反の常習化が交通死亡事故を招く。私の父は去年の4月、スピード違反の自動車に跳ね飛ばされて死亡したのである。また産廃物の不法投棄が深刻な環境破壊を招くことは今さら言うまでもあるまい。

政治学概論(名張)の受講者諸君に思い出してもらいたいことは、この「ただ乗り」問題が発生する“公共財”の場合、みんなが自分だけ抜け駆けしようとした結果、結局、みんなが必要とするはずのサービス(例えば夜道の街灯)が提供されなくなってしまうという、まことに愚かな結果に終わってしまうということである。ちょっとしたことの積み重ねが、大変な結果を招いてしまうのである。

サッカーに話を戻せば、現在のサッカーでは「ユニフォームをつかむ」という行為が、ともすると黙認されている傾向にある。たしかにそれ自体はささいな行為かも知れない。しかし、そのちょっとしたことがキッカケで、現代サッカー最高峰の選手の輝かしい経歴に拭いがたい汚点を残させてしまったことを思うと、「悪いことでも見られていなければやってもかまわない」という考え方は、むしろ些細なものにとどまっているうちから、その芽を摘んでおくことが必要なのではなかろうか? さもなければ、今後のサッカーにおいても、このちょっとしたことを契機とした実にさまざまな選手同士のトラブルが頻発する気がしてならない。また、「人がやっているのなら、自分もやらなきゃ損だ」という発想が、サッカーをしている子どもの生活にも悪影響を及ぼす恐れがあるように思えてならないのである。

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2006年6月25日 (日)

日本サッカーの未来

ここのところ硬い話題ばかりが続いていたので、今日は、やわらかい話題で書こうと思う。それは、日本代表の敗退が決まった今回のワールドカップサッカーのことである。

学生諸君の中には、もしかすると、「日本のサッカーはダメだ…」という思いに打ちひしがれた人も多かったかもしれない。それが、ひいては、いつの間にか日本人全体に対する劣等感に、そして日本人の1人である自分自身への劣等感へと知らず知らずのうちにつながってしまっているかもしれない。

しかし、もしもそうだとしたら、ちょっと待ってほしい。「そんなに結果を焦る必要はないでしょう。もっと長い目で、日本サッカーの成長を見守ってあげましょうよ」と私は言いたいのである。

よく考えてみよう。今回、日本の出場は3回目である。日本のサッカーの歴史は、たとえば今年3月のWBCで優勝した野球に比べて、まだまだ浅い。日本サッカーの成長は、まだまだこれからだと思うのだ。その成長プロセスの一環だったと思えばよいのである。

また、今回の結果を受けて、接触プレーなどのときの、日本サッカー選手の身体の弱さ、体格の不充分さが指摘されているが、私自身は、日本人だからといって、必ずしも小柄で線の細い選手しか出てこないとは思わない。というのも、日本の伝統的な競技である柔道や相撲において、日本は既に頑強な選手を多々輩出してきているからだ。

そういう意味では、これからの日本サッカー選手は、身体の強さをもっと鍛えるために、日本のお家芸たる柔道や相撲からたくさんのことを学べるだろうと思うのである。そうして、大柄で屈強な選手も出てくれば、たとえばその選手がポスト役として最前線で身体を張り、くさびのボールをもらって相手をひきつけているうちに、その横を小柄で敏捷な選手がすばやくボールをもらってゴールする、といったプレーも可能となるだろう。

その意味では、現在の日本サッカー代表チームは、一部の選手を除いて、ほぼ全員が小柄で敏捷なタイプに偏りすぎていたのかもしれない。つまり、選手のタイプに多様性が欠けていたのである。柔道や相撲などからも学びつつ、大柄で頑強な選手がもっと多く出てくれば、日本の現在のよさである器用ですばやいパス回しの技術がもっともっと生かされることにもなるだろう。

要するに、今回の結果だけで、日本サッカーを見限ることはないと思うのである。もっと長い目で、日本サッカーの成長ぶりを見守っていこうではないか。日本の個性を生かした世界レベルのサッカーを実現していくことは、年月のかかることかもしれないが、きっときっと、可能なのだから…。

だから今回の結果にガックリきた学生諸君も(私もその1人である。やはりあの結果には非常にガッカリした)、そんなに気落ちせずに、気を取り直して、日本サッカーの成長をこれからも見守り続ける気持ちになってほしい。そして、そういう気長な成長を、自分自身に対しても期待して、地道に一歩一歩、喜んで、努力を重ねていってほしいのである。

山中 優

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