2009年12月 9日 (水)

慶應MCC講座 古典を通して考える【自由と資本主義】

2週間ほど前のことになるが、11月26日(木)に慶應義塾大学・丸の内シティキャンパス(慶應MCC)へと赴き、午後6時半から9時半までの3時間、社会人の方々を対象とした講座のゲスト講師を務めてきた。
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慶應MCC夕学プレミアム agora 古典を通して考える【自由と資本主義】

この講座は6回シリーズだが、その第4回のテーマとしてハイエクが取り上げられることになっていたので、そのゲスト講師として呼ばれたのである。

前半の1時間半が講義、後半の1時間半が質疑応答だった。たしか14名ほどのご出席だったように思うが、受講生の皆さんが熱心に質問して下さったので、後半の時間が足りなくなるほどだった。決して安価ではない受講料を支払って、それぞれのお仕事を終えてから、しかも平日の木曜夜に受講しに来られるのだから(翌日の金曜日もお仕事だったはずである)、その熱心さには頭の下がる思いであった。その熱意に少しでもお応えできるような講座となったことを願うばかりである。

この講座の企画に携わられた事務担当者の方のお話によると、実際的なテーマではなく、自由と資本主義のあり方を根本的に考え直すという思想的なテーマで講座を開催することは、実は一つの冒険だったのだという。すぐにでも役立つような実際的なテーマでは必ずしもないため、受講者が集まるかどうかが定かではなかったからである。しかし実際に募集してみると、受講申込の反応はよかったとのことであった。

そういえば、いま経済産業省で開かれており、筆者もその一員となっている「オルタナティブ・ヴィジョン研究会」のテーマも、決して今すぐに役立つようなものではない。むしろ、10年、20年先を見据えた、すぐれて思想的・哲学的なテーマである。こうした経産省の研究会や今回の慶應MCCでの講座におけるテーマ設定の傾向は、昨年秋以降の経済危機によって、資本主義経済のあり方を根本的に問い直す機運がとみに高まってきていることを、物語っているのかもしれない。

なお、今回の慶應MCC講座中に、正確にご紹介できなかった参考文献を、ここで挙げさせていただくことにする。ケインズ・ハイエク・シュンペーターの景気循環論を総合的に理解する必要性を論じた、すぐれた論考である。

篠原三代平「貨幣は魔性、実体経済を攪乱する」『長期不況の謎をさぐる』(勁草書房、1999年)第九章

また、ケインズ・シュンペーター・ハイエクの三者を比較して論じた書物には、次のものがある。

平井俊顕『ケインズ・シュンペータ・ハイエク:市場社会像を求めて』(ミネルヴァ書房、2000年)

さらに、これは講座中にもご紹介したが、ケインズとハイエクを比較して論じたものとして、次の書物もここで改めて挙げておこう。

間宮陽介『増補 ケインズとハイエク:〈自由〉の変容』(ちくま学芸文庫、2006年)

最後に、この場を借りて、本講座講師の菊澤研宗・慶應義塾大学商学部教授、慶應MCCの事務担当者の方々、および熱心に受講して下さった受講生の皆様に、深甚の感謝を申し上げる次第である。

【追記】
受講生の皆様からのご質問があれば、大歓迎です。このブログのコメント欄を通じて、どうぞご遠慮なく、質問をお寄せ下さい。このブログ上でお答えさせていただきます。

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2009年9月19日 (土)

仏大統領がGDPに「幸福度」加味を提唱

北京で開催中の第24回IVR世界大会での私の研究報告は、昨日、成功裏に終わることができた(と思う)が、その最終準備の最中の17日に、経済産業省の産業構造課より、大変興味深い情報を提供するメールが届いていた。

それは、すでに日本でも報道されていることと思うが、フランスのサルコジ大統領が、GDPの算出方法を見直し、そこに「幸福度」を加味することを提案したというのである。そのメールで知らされた朝日新聞のサイトのリンクをここにも貼っておこう。

GDP算出に「幸福度」を加味 フランス大統領が提案(asahi.com)

その朝日の記事にも書かれているが、今回の仏大統領の提案は、有名な経済学者のスティグリッツやセンらがまとめた報告書に基づくらしい(その報告書をまとめた委員会のサイトはこちら)。

9月7日の本ブログの記事で、私が経済産業省「オルタナティブ・ビジョン研究会」の一員となっていることをお伝えしたが、その経産省の研究会でも、GDPに代わる経済指標については、すでに重要な議題として議論を始めているところである。そういうわけで、私のところに、上記の情報提供メールが届いたのであった。

その本ブログの記事でも書いたように、この研究会の議事は非公開となっているので、その議論の内容について、ここで紹介することはできないが、このGDPという指標の見直しについては、今後も重要な議題となっていくことだろう。その研究会の一員として、私も尽力していきたいと思っている。

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2009年9月 7日 (月)

経済産業省「オルタナティブ・ビジョン研究会」

本ブログでの報告が遅れていたが、実はこの8月より、経済産業省内で組織された「オルタナティブ・ビジョン研究会」に参加している。7月13日にその第1回が開催されたのだが、そのときは世界政治学会に参加していたため欠席したが、8月19日と24日に開催された研究会には参加した。9月は明後日の9日と28日に開催予定である。

この研究会に関して、経産省の公式サイトで公開されている情報はこちら
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経済産業省経済産業政策局産業構造課
「オルタナティブ・ビジョンに関する調査研究」
http://www.meti.go.jp/information_2/data/20090527190311.htm

このサイト上の「仕様書」に、この研究会の趣旨が書かれているが、その一部を引用すると、次のとおりである:

・今次金融危機〔昨年9月リーマンブラザーズ破綻に端を発する金融危機〕を契機として、経済的価値より高次の価値から社会的な課題の解決も含め議論する動きが欧米を中心に活発化している。そこで、経済成長のみならず、社会的閉塞感や共同体意識の崩壊などに対し、いかなる社会的・道徳的価値観から対処に臨むべきか、検討を進める必要がある。

・ 本調査研究は、上記問題意識に基づいて経済社会政策のオルタナティブ・ビジョンを提示すべく調査を行い、今後の経済産業政策の立案に役立てることを目的とする。

この研究会の構成メンバーは、政治思想・経済思想・法哲学を専門とする比較的若手の研究者14名によって構成されている。年齢層としてはだいたい30代後半で、40歳の私は、その中ではおそらく最年長かもしれない。そのなかで私に期待されているのは、ハイエク研究者としての見解を提示することである。比較的若手の研究者ばかりが選ばれているのは、「これからの新しい時代のことを考えるにあたっては、その方がよい」と判断されたからだと聞いている。

議論の自由度を確保するために、この研究会での議論は非公開とされているようなので、本ブログでその議論の内容を紹介するわけにはいかないのだが、いずれ報告書が作成されるはずなので、詳しくはその報告書の刊行を待っていただきたい。

この他にも、ハイエク全集第Ⅱ期政治学論集の監訳など(←現在進めている主な仕事はこれである)、重要な仕事をいくつか抱えていて、大変忙しいところではあるが、この研究会への参加も非常に重要な仕事なので、私に与えられた役割を真面目に果たしていこうと思っている。

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2008年4月29日 (火)

世界的な米価の高騰と我が国での米価下落傾向

最近の新聞を賑わせている記事のひとつが、世界的な穀物価格の高騰であるが、それがバイオ燃料の原料となる小麦やトウモロコシだけではなく、コメにまで波及しているという。それが途上国で政情不安を呼んでいることを、たとえば次の記事が報じている:

始まった「食糧争奪戦」 穀物価格急騰 途上国ではデモ頻発(FujiSankei Business i. 2008/4/26)

ところが他方で、わが国では、次の記事にあるように、逆に国内米価は下落傾向にある:

物価ウオッチ:コメ 10年で900円安 市場原理導入で下落続く(毎日新聞 2008年4月19日 東京朝刊)

これは、長年わが国のコメ流通が政府による規制の下に置かれてきたのが、最近では規制緩和されつつあるからである。それでも、上記の記事によると、わが国の米価は依然として世界の3~4倍だという。

コメの流通を規制してきた我が国の農政のあり方に対する批判としては、4年前のものだが、たとえば次の論考がある:

「農地消滅」救世主は米価引き下げと直接支払い(RIETI上席研究員 山下一仁 2004年9月21日号『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)に掲載)

ところで、現在、世界的に穀物価格が高騰している原因の一つは、地球温暖化である。主要穀物生産国であるオーストラリアでは、旱魃のため、コメを含めた穀物生産量が落ちている。また、バイオ燃料への穀物の転用も大きな要因である。

コメの場合はバイオ燃料の原料にはならないが、石油価格の高騰により、肥料の生産コストが上がっていることが、世界的な米価高騰の原因の一つだという。

また温暖化は、わが国のコメ生産にも異変をもたらしつつある。というのも、平均気温の上昇により、適産地が東北・北海道へと北上しつつあるからである。他方、それ以外の地域では暑くなりすぎて稲作には適さなくなりつつあるという。

以上のような様々な要因が複雑に絡まりあって、今後どのような状況をもたらしていくのか、確定的なことを述べる用意は今の私にはないが、食糧問題には今後も注目していかねばならないだろうと思っている。

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2008年1月23日 (水)

乳幼児の死亡 年間1000万人を下回る

私の担当する政治学の授業で用いているテキストの一つは、加茂利男ほか著『現代政治学』第3版であるが、そのテキスト第10章3「飢餓と食糧問題」のところに、「世界の5歳未満乳幼児の年間死亡数は約1000万人」という記述がある。ところが、ユニセフ・国連児童基金が22日に発表した今年の『世界子供白書』によると、一昨年の2006年には、1990年以来初めて1000万人を下回り、970万人になったのだそうである(NHKニュース 乳幼児の死亡 年間970万人)。

このニュースを今日最初に知ったのは、NHKラジオの英語ニュースで聞いていたときだったのだが、「このニュースは見覚えがあるな…」と思い、International Herald Tribuneで検索してみたところ、昨年の9月13日に「国連児童基金が発表する見込み」として、すでに報じられていた(Child mortality at record low; Unicef predicts further drop)。それが日本語ニュースでも報じられたのは、この22日が初めてかもしれない。

いずれにせよ、乳幼児の死亡数が下がっていることは大変よいニュースだと思う。1960年には年間2000万人の乳幼児が死亡していたというから、それに比べれば、事態は大いに改善されてきたといえるだろう。

とはいえ、これには地域格差があって、たとえばサハラ以南のアフリカでの死亡が全体の半数近くを占めているというから深刻である。また、2006年のこの970万人の子供の命は、何も特別な医療によらなくとも、ワクチンや(消毒された)蚊帳の導入など、ごく基本的な医療サービスで充分に救えたはずなのだそうである。年間970万人ということは、1日当たり26,000人 = 1,083人/1時間 = 18人/1分、すなわちおよそ3.3秒に1人の乳幼児が世界のどこかで亡くなっていることになる。

それを考えると、この問題解決のために行なうべきことは、まだまだ沢山ありそうである。

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2007年12月13日 (木)

人事も経理も中国へ:フラット化する世界

12月に入って、いつの間にか、もう中旬になってしまった。このような更新ペースだと、とても「日記」とは呼べないので、短い文章でもいいから、もう少し気楽に書き綴っていった方がよいのかもしれない。

ところで、私が授業の準備で行なっていることの一つは、NHKのドキュメンタリー番組を録画し、授業で学生諸君に見せることである。以前に録画しておいたものを、先週の日曜日にまとめて確認したのだが、その中でとくに強く印象に残ったのは、今年9月3日放送のNHKスペシャル「人事も経理も中国へ」である。ここでレポートされていたのは、大手通販会社「ニッセン」が中国・大連に業務を次々とアウトソーシング(外部委託)し、コストダウンを図っていく姿だった。ただし、それがただちに「ニッセン」において日本人労働者の解雇につながるわけではなかったが、マニュアル化され、誰でもできるよう定型化された業務が続々とアウトソーシングされていくなかで、そうではない新たな業務を見つけていくことを強烈に迫られる日本人労働者の苦悩と努力が見事に描かれていたのである。

これはまさしく、ピュリッツァー賞を3度受賞した有名なジャーナリストのトーマス・フリードマンの手になる最近の話題作『フラット化する世界』(日本経済新聞社、2006年)で描かれた世界である。この本で「世界の“フラット化”現象」について一定の知識は得ているつもりだったが、こうして改めて映像で見せられると、その衝撃がアリアリと伝わってくる。「これがあの“フラット化”か。う~むむむむ…」と思わず唸ってしまった。

学生諸君にお勧めしておきたいのは、こうした良質のドキュメンタリー番組を普段から見ておき、いま世界で何が起きているか、よく知っておくことである。その放送予定や再放送予定はNHKオンラインの「ドキュメンタリー/教養」コーナーで知ることができるから、あらかじめ確認しておくとよいだろう。いずれにせよ、世界は間違いなくグローバル化・フラット化しているのである。

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2007年9月12日 (水)

気候変動と安全保障:英研究所の警告

英国の有力なシンクタンクである国際戦略研究所が、気候変動を安全保障に直結する課題とし、各国に早急な対策を呼びかけた「戦略概観2007」を発表したことを、読売新聞のウェブサイトが伝えていた(「地球温暖化」が紛争の種にも…英研究所が警告、対策訴え)。

地球温暖化については、総合演習や政治学概論などの授業で取り上げているが、学生諸君には、地球温暖化=気候変動問題が、単に環境問題にとどまるものではなく、安全保障問題にも直結する問題であることを知っておいてほしいと思い、ここにお伝えする次第である。私の授業を聞く際の参考にしてもらえれば幸いである。

学生諸君のための追記:上記のリンクのうち、読売新聞のサイトの記事は、更新が日に日に進むにつれ削除される可能性があるが、「戦略概観2007」についてはおそらくその心配はないだろうから、詳しくはそちらを参照されたい(ただし英語であるが)。その英語原文の文書全体は、国際問題研究所の会員でない場合は購入する必要があるようだが、その要約版のファイル(PDFファイル)は、誰でも無料でダウンロードできる。

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2007年7月23日 (月)

書評:橋本努著『帝国の条件-自由を育む秩序の原理』

週刊紙・図書新聞第2830号(2007年7月21日)の第5面に、橋本努著『帝国の条件-自由を育む秩序の原理』(弘文堂、2007年4月15日刊)に関して私の書いた書評記事が掲載された。図書新聞の許可を得て、ここにその書評記事を転載させていただくことにする。

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本書は、現在のアメリカが「帝国」として世界を単独で支配しているという状況をわれわれの生のあり方を否応なく条件づけるものとして引き受けつつも、そのような現実の「帝国の条件」のもとで思考停止に陥ることなく、むしろ現行の世界秩序をより善きものへと変えていくための新たな「善き帝国の秩序」=〈帝国〉の構想を、現実を超えたもう一つの理想的な「帝国の条件」として描こうとする、きわめて野心的な試みである。

著者の橋本努氏によれば、九・一一事件以降、アメリカはテロリズムに打ち克つための自信過剰の勇気とテロリズムの恐怖から逃れようとする安心への願望に衝き動かされている(三頁)。テロ事件後のアメリカは、そのような「勇気(好戦主義)」と「安心(セキュリティ強化)」への願望から、「自由と民主主義の理念を世界に伝播する」という大義を掲げつつ、その強大な軍事力によって、世界の国々を支配下に置こうとする「帝国」と化している。アメリカが現在「帝国的」と呼ばれうるのは、「自由と民主主義の拡張を使命とするアメリカ建国精神」を対テロ戦争正当化のための大義として用い、こうした「建国理念のために死ぬ」という大義を媒介として、軍事力の行使に至高な正当化原理を与えているからなのである(七一頁)。

ところが著者によれば、このようなアメリカ主導の帝国理念が、その「力の優位」によっていかに実際に通用していようとも、その具体的な形態はつねに別様でありえた可能性があり、別の方が善い秩序だったかもしれないという可能性を否定することができない(一〇五頁)。著者はこの「別の方が善い秩序だった可能性」を徹底的に追究し、ネグリ/ハートの『帝国』を参照しつつ、「善き帝国の秩序」を可能にする新たな思想理念を本書において紡ぎ出すことによって、「世界秩序の夢と想像力を次世代につなぎたい」(七頁)と高らかに宣言するのである。

この新たな思想理念は非常に独創的なものである。著者は、これまで『自由の論法』と『社会科学の人間学』の二著で論じてきた「成長論的自由主義」をさらに展開し、マルクスとハイエクの思想的融合から、「超保守主義」、「全能人間」、そして「自生化主義」という新たな思想理念を本書で打ち出している。「善き帝国の秩序」を支えるこれら三つの思想的基盤を本格的に論じているのは本書の第七章および第八章であり、この二つの章が本書の中核部分となっている。さらにそれに続く第九章・第十章では、世界貨幣の生成と世界大の配分的正義に向けた具体的な政策構想も提示されている。

それに先立つ第一章~第六章までは、九・一一以降の四つのイデオロギーについての議論に始まって、現実の「帝国」の動態とその思想状況についての詳細かつ綿密な分析となっており、読者は、まずこの現実分析の鋭さに目を奪われるだろう。とくに現在の帝国としてのアメリカを動かしている二つのイデオロギーたるネオリベラリズムと新保守主義を論じた第五章と第六章は本書前半における白眉であり、俗流理解を排して、これら二つのイデオロギーの深部と向かい合っているが故に、現代世界の思想状況について正確な理解を得る上で、非常に示唆的であるだろう。

しかしながら本書は単なる現実分析の書ではない。むしろ現実分析を踏まえた新たな理念追求の書である。それゆえに、本書全体に真摯に向き合おうとするならば、読者はその著者独自の思想理念をこそ真正面から受け止め、それに対して真剣に呼応することを要請されることになるのである。

その新たな思想理念とは、自由を育む〈帝国〉の秩序理念と、その〈帝国〉の下で実践される自己の潜在可能性の追求としての自由、および、そのような自由の下での諸個人の潜在能力の全面開花を促そうとするものである。こうした思想理念を著者はそれぞれ「超保守主義」、「全能人間」、それに「自生化主義」という言葉で表現している。また著者は、「支配なき世界における人間の能力の自生的成長」というユートピアに一定の意義を認めつつも、実際には「支配なき世界」は存在しない以上、次善として、そうした条件を人工的に作り出すことに関心をもち、そのための権力的基礎として、権力を行使される側が自らの自己超越ないし成長を求めて取り結ばれる権力関係、すなわち「命令 - 服従」関係ではなく「配慮 - 被配慮」の関係において行使される権力=「転換的権力」を唱えている。

なるほど、本書において「超保守主義」、「全能人間」、それに「自生化主義」という言葉で提示されたこれらの思想理念は、著者自身ですら「あまりに唐突で、グロテスクにみえるかもしれない」(六頁)と認めるほど、一見、まことにも奇抜なものに映るだろう。また、評者の見るところ、著者の唱える「成長論的自由主義」において、人間はいわば「終着点なき無限成長」のプロセスに置かれることになると思われるが、その「終わりなき無限成長のプロセス」は、人によっては、むしろキリのない一種の「無期懲役の刑」と感じられるかもしれない。それを苦しみではなく喜びと感じることができるための条件とは一体何だろうか?――といったような疑問が本書に対して投げかけられるかもしれない。さらには、著者の言う「転換的権力」はプラトンの「魂への配慮としての政治術」を連想させるが、著者の唱える権力概念とプラトンのそれとは果たして同じなのか、それとも異なるのか? 異なるとすればいかなる点においてか?――といったことも、論点となりうることだろう。

いずれにせよ、本書は著者が実際にニューヨークで九・一一事件を目の当たりにして以来、国際秩序の問題についての理論的考察に全力を傾けてきた結果として切り拓かれた新たな理論的地平であり、安易な批判を許すものではない。したがって、読者は本書で提唱された新たな思想理念に対し、真剣に呼応するための努力が求められることだろう。その努力を常に怠らないこと――これこそが、著者の橋本努氏が前著『社会科学の人間学』において提示した新たな人格像=「問題主体」としての生き方にかなう道なのである。

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2007年2月 6日 (火)

温暖化防止をめぐる米と仏

地球温暖化の人為性を強く指摘したIPCC第1作業部会の第4次報告書を受けて、温暖化を遅らせて地球を守るため、違反者を罰する権限をもった新たな世界環境監査機関(world environmental monitor)の創設をフランスが提唱し、フランス以外に45ヵ国がその呼びかけに応じたことを伝えるAP通信の記事が、昨日のヘラルド朝日紙に掲載されていた(オンラインではこちら)。その提唱者はフランスのシラク大統領である。

ところが、この呼びかけに応じなかったのが、アメリカ、中国、それにインドだったという。いずれも、経済力の(さらなる)発展に熱心な政権の国である。それに対して、仏シラク大統領は、名指しこそしなかったとはいえ、アメリカに対する不満を表明したという。また、それに先立って、シラク大統領は先週、アメリカに対して、もしも地球気候に関する諸協定(global climate accords)にアメリカが署名しないのであれば、アメリカからの輸出品に炭素税がかけられることになるだろうと警告したことを、このAP通信は伝えている。

しかし、米ブッシュ政権は、1月の一般教書演説で、米国内での石油消費量の大幅な削減は謳ったものの、CO2の排出削減を義務化することには、依然として否定的な態度をとっている。IPCCの第4次報告書についても、米フラット副報道官は「結論は有意義だ」と記者団に述べたものの、世界最大の排出国として気温上昇の悪影響には判断を示さず、ブッシュ大統領も特別な声明を出さなかったと、日本経済新聞が伝えている(こちら)。

たしかに、シラク大統領の提唱したような監査機関は、私も必要とならざるをえないと思う。しかしながらそれは、≪①化石燃料からの、さらには②原子力からの脱却 ⇒ 自然エネルギーへの全面的転換≫に向けての国際的・世界的な協力体制の構築を伴わない限り、米国(および中国・インド)をも巻き込んだ全世界的な監査体制には、到底なりえないだろうと私は思う。

というのも、一方において、化石燃料に依拠している限りにおいては(上記①)、CO2削減の義務化は、取りも直さず、経済力の低下を意味するがゆえに、米ブッシュ政権にしてみれば、それは“環境”に名を借りた“フランスのアメリカ国力の低下戦略”と見えてしまうだろうからである。

国際政治を「国益をめぐる主権国家同士のせめぎあい」と見る限り、軍縮でさえ、ライバルの国力を低下させるための道具として悪用されてしまう。それと同じように、地球温暖化防止でさえ、劣位国(仏)の優位国(米)に対する国力低下の試みへと、そしてその試みに対する優位国の抵抗へと、たちどころに変貌してしまう。国際政治が国家主権同士の国益の対立としての性格から脱しきれていない以上、悲しいことではあるが、地球温暖化防止を謳うメッセージでさえ、権力闘争の具となってしまいかねないであろう。

しかし、地球温暖化=気候変動の脅威は、世界各国に、国家主権の自己主張からの脱却を強力に迫っている。したがって、強制力を伴う全世界的なCO2削減の監視体制の構築のためには、化石燃料からの脱却⇒自然エネルギーへの転換を目指す国際協力が、絶対に必要不可欠であろう。さもなければ、CO2削減の義務化が経済力=国力の低下を招くという疑念を拭い去ることができないからである。

また他方において、フランスは、石油に代わるエネルギー源として、原子力発電を強力に推進している国である(上記②)。そしてシラク大統領は、かつて1995年に南太平洋ムルロア環礁で、核実験を強行した人物に他ならない。言うまでもなく、核実験という行為は、国家主権の強烈な自己主張であり、かつ自然環境破壊の最たるものである。そのような前歴のある人物に、しかも、いつ軍事目的に転用されてもおかしくない原子力による発電を強力に推し進めている国から、CO2削減義務化のための監視体制の構築を謳われたところで、米ブッシュ大統領にしてみれば、とうてい信頼しきれないことだろう。どうしても安全保障上の懸念をぬぐいきれないからである。したがって、フランスが地球温暖化防止のために全幅の信頼を得るためには、化石燃料のみならず、原子力からの脱却こそが、求められるはずである。

しかしながら、それと同時に、核の放棄をフランスにだけ求めても、それは無理な話であろう。全世界的にそれが行なわれなければ、互いに疑心暗鬼に陥って、どの国も自分から進んで核放棄に踏み切れないからである。安全保障のジレンマから抜けられないのである。だからこそ、全世界的な核放棄に向けた信頼関係の醸成が、地球環境のためにも必要とされるはずなのである。

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2007年1月19日 (金)

学生の質問に答えて:9/11はなぜ起こったか?

伊勢学舎での政治学受講者から、「9・11事件がなぜ起こったのか教えて下さい」という質問をいただいた。授業中にできるだけ簡潔に答えるつもりだったが、次回が今年度の最終授業であり、時間切れになってもいけないので、試験範囲外のテーマでもあることから、授業の場ではなく、本欄で簡潔にお答えしておくことにする。

まず、あの9・11で何が標的にされたかを振り返ってみよう。それは、世界貿易センタービルと、ペンタゴン(国防総省)であった。前者はアメリカ(および西洋社会)の富の象徴であり、後者はアメリカ外交政策の象徴である。前者は経済的側面、後者は政治外交的な側面と言えるだろう。すなわち、以下の2つである:

①経済的側面-国際的および国内的な貧富の格差への反発
②政治外交的側面-アメリカの中東政策への反発(とくにイスラエル・パレスチナ問題)

しかしながら、この2点に加えて、もう一つ、

③思想的側面-善悪二元論からくる、妥協を知らない敵意

も挙げておかねばなるまい。というのも、池内恵『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書)によると、いまのアラブ世界では、パレスチナに代表される「イスラーム世界とユダヤ・アメリカ十字軍の戦い」を、終末論的な意味合いを持った(妥協の余地なき)闘争と受け止める傾向が出てきているからである(『現代アラブの社会思想』129ページ)。

ところで、この「善悪二元論」は米ブッシュ政権も同様である。というのも、「悪の枢軸」という言葉を使って、テロリストを庇護しているとみなされている国家を厳しく非難しているからである。

テロという手段がとうてい容認されえないものであることはもちろんである。しかしながら、かといって、なぜテロリストたちがあのような手段に訴えるほどにアメリカおよび西洋社会を恨むことになっているのかについて、欧米先進諸国の側における責任を自ら反省することなく、このような善玉・悪玉論だけでテロリストを攻撃するばかりでは、この問題の解決はとうてい望めないだろう。

なお、国際テロの問題については、本欄において、すでにいくつかの試論を掲載しているので、興味のある学生諸君は、本欄のカテゴリーから「宗教テロ」および「経済・政治・国際」を選んでクリックし、その中に含まれている関連記事をお読みいただきたい(ただし、本欄での考察は、筆者の研究における専門分野の関係で、主に上記の①③に焦点を当てていることを、あらかじめ断っておく)。

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