2008年12月 2日 (火)

テレビは夜8時まで

今日から我が家では、テレビやビデオを見るのは夜8時までとすることにした。その方が翌朝の目覚めがもっとよくなり、生活のリズムが整うと考えたからである。見たい番組がある場合には予約録画しておいて、翌日以降の夜8時までの時間に見ることにするのである。

それから、だいたい6~7時台に食べることにしている夕食時には、テレビを一切つけないことにした。その方がごはんをおいしくいただけるし、5歳の娘も食事に集中するようになるだろうからである。今日のおかずのメニューは、マグロの酢豚風と、豆苗--妻によると“とうみょう”と読むのだそうだが--のゴマ和えだったのだが、テレビをつけずにいただいていると、それをどう調理しているかに興味がわき、妻にそれを聞きながら、非常においしく味わって食べることができた。大変嬉しいことである。

また、就寝時間については、娘は9時と決め、私は10時に就寝することにした。ブログの更新は、その前の9時台に行う。そうすれば、長らく滞ってきた本ブログの更新が、今後再び進んでいくだろう。

そうして生活のリズムを整えれば、早朝の時間も有効に活用できるようになると思う。ともあれ、これからは、テレビをつけない夜8時以降の時間を、交感神経を鎮めて、質の良い睡眠に入るための静かな時間とすることにしたい。

--そうこうしているうちに、10時を少し過ぎてしまった。それでは、おやすみなさい…。

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2008年10月26日 (日)

マスオさんの講演会(皇名祭講演会)

昨日・今日と、皇學館大学名張学舎で大学祭(第11回皇名祭)が行われているが、今回の講演会には、テレビアニメ「サザエさん」のマスオさん役、そしてアンパンマンのジャムおじさん役で有名な増岡弘さんに来ていただいた(第11回皇名祭講演会)。昨年10月の野口健氏による講演会(本ブログ2007年10月21日の記事)に引き続き、学生委員長の私が、講演会冒頭の講師紹介の役を務め、また今回は最後の御礼の言葉も述べさせていただくことになった。

その増岡氏のご講演を聴かせていただいて、まず感心させられたのは、聴衆の方々の気持ちをほぐし、朗らかな笑いを誘う話術の巧みさだった。間の取り方も実に素晴らしい。あの朗らかな語り口は、氏のお人柄と普段のご努力の賜物だと思う。

その講演内容も興味深いものだった。「サザエさん一家は幸福みつけの達人ぞろい」と題してご講演いただいたが、子どもや夫・妻などの家族への言葉のかけ方ひとつで、いかに大きな違いが出てくるか、改めてよく分からせていただいた。言葉がいかに大切か、ということである。あと、普段の一見平凡に思われる“今ある幸せ”に目を開くことの大切さを教えていただいたことも、大変ありがたいことだった。

それにしても驚いたのは、「サザエさん」の放送が、実に39年間も続いているということだった。その39年間の平均視聴率がなんと26.7%(!)--つまり、実に4人に1人が、あの日曜日の午後6時半から「サザエさん」を毎週見つづけていることになるのである。

そして私もその一人なのだが、そのサザエさんの放送開始が昭和44年10月からなのだそうである。ところが、私の生まれたのが、実はその同じ昭和44年の2月である。したがって、私の生後8ヶ月の頃から今までずっと、放送が続いてきたことになる。つまり、私はいわば「サザエさん」とともに生きてきたというわけである。そう考えると、大変感慨深かった(ちなみに「アンパンマン」も長寿番組であり、放送開始から、もう21年も経つのだという)。

この増岡弘氏は1936年(昭和11年)のお生まれだが、ご本人は「昭和11年生まれの40歳です(笑)」とおっしゃっていた。それが、氏の若さの秘訣なのだろう、本当に生き生きとご講演して下さった。そのことにこの場を借りて心から感謝申し上げるとともに、これからの氏の、いや「マスオさん」、「ジャムおじさん」の益々のご健勝を心よりお祈り申し上げる次第である。

追記:もう1つ興味深かったのは、氏によると、「サザエさん」を日本語の練習のために録画している外国の方もいるらしい、ということだった。それだけ、日本語の日常会話の練習にも適した番組だということなのだろう。いずれにせよ、サザエさん(それからアンパンマン)の放送は、これからもまだまだ続きそうである。

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2007年3月21日 (水)

子どもにとってのカナと漢字:我が家の娘の場合

3歳半の我が家の娘が、数ヵ月前から、簡単なパソコン仕立ての「アンパンマン」の文字遊びに、ほぼ毎日興じている。平仮名はおおよそ覚えたようだが、カタカナはまだ難しいようだ。「カタカナ、むずかしい!」と今日も言っていた。ところが、である。驚いたことに、今日、その同じ娘の口から「漢字、大好き!」という言葉が出たのである…!

漢字といっても、その「アンパンマン」のおもちゃパソコンに出てくるのは、木、火、土、人などの非常に簡単な漢字(つまり、会意や形声などではなく象形の漢字)だが、「このおもちゃパソコンは、よく出来ているなぁ…」と感心したのは、それらの漢字を“絵と一緒に覚えさせる工夫”をしていることである。

たとえば、“木”の漢字を問題に出す場合、その横に木の絵も画面に出してくれる。その他の絵も2つ出して、計3つの絵の中から正しい絵を答えさせるのである。そうすると、我が家の3歳半の娘にとっては、カタカナをひらがなに対応させるよりは、漢字を正しい絵に正しく対応させる方が、はるかに簡単なようなのである…!

まだそうした漢字の正答率は100%ではないが、カタカナよりもはるかに高い正答率である。それに何よりも、3歳半の子どもから「漢字、大好き!」という言葉が出たことが、カタカナと漢字の、この3歳半の子ども本人にとっての“馴染みやすさ”の違いを、雄弁にあらわしているであろう。

もちろん、この一つの事例のみを以て、いきなり一般化した結論を引き出すのは早計だろう。しかしながら、もしも我が家の娘の事例が特異なものではなく、実際に調べてみれば、実は他の子どもたちにも当てはまるものだったとするならば、私は、小さい頃から、ひらがなやカタカナだけではなく、漢字も、簡単なものからドンドン遠慮なく教えていってあげる方が、却って子どもの知育のためによいのではないか…という気がするのである。

有名な言語社会学者の鈴木孝夫氏(慶應義塾大学名誉教授)は、その著『日本語と外国語』(岩波新書、1990年)の第四章と第五章で、「漢字の知られざる働き」と題して、漢字の特質を明快に解説しておられるが、その中で鈴木氏は「日本語は音声と映像という二つの異質な伝達刺戟を必要とするテレビ型の言語であり、これに比べると西欧の諸言語は音声にほとんどすべての必要な情報を託すラジオ型の言語だ」と述べている(195頁)。つまり表音文字のみの西欧言語とは異なって、日本語は視覚も大いに活用した言語だ、ということである。ちなみに私の手元にある『日本語と外国語』の奥付によると、1990年1月22日にその第1刷が出た後、2004年2月25日には、実に第31刷が出ている。息の長い売れ行きを誇る名著だと言うべきだろう。

いずれにせよ、以上のような我が家の娘の事例からするならば、その視覚を適度に刺戟しつつ、漢字も徐々に覚えていけるように、子どもの興味を上手に引き出していくことが、親として、子どもの知育のためにはきわめて大切ではないかと思うのである。

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2007年3月19日 (月)

子どもと散歩

最近、春休みで時間に多少の余裕があるのを幸いとして、3歳半になる娘と、夕方に外で遊ぶ機会を、いつもより少しは多く取れるようになった。やはり子どもは、外で遊んでいるときが一番生き生きとしている。

今日は5時頃から家の前で少しボール遊びをしたあと、三輪車に乗って近くの田んぼに行った。幸い、我が家の周りにはまだアスファルトに覆われていない、土に触れることのできる場所が多少は残されている。今の季節はその田んぼには何も育てられていないので、子どもをそこで遊ばせることができる。土の道なら、走って転んだとしても(まだ転んだことはないが)、大きな石さえなければ怪我の心配はない。やはり子どもには、硬いアスファルトよりも、柔らかい土の方がはるかに魅力的なようだ。

今日はさらに、その田んぼからさらに足を伸ばしたがったので、歩いて5分ほどの小さな公園にも行ったが、今日はもっともっと足を伸ばしたがったので、そこからもう少し北に上がったところにある、溜め池へも散歩した。その溜め池までは初めてだったので、娘も興味津々だったようだ。

その溜め池は釣り堀も兼ねているようで(「会員以外の釣りを禁ず」という看板がかけられていた)、私たち親子が池沿いを歩いていると、おそらくフナだったと思うが、金網で隔てられている池の岸辺にドンドン寄ってきて、口を開けてエサを要求しだした。20尾ぐらいはいたであろうか。あいにくエサとしてあげられるようなものは何も持っていなかったし、そもそも勝手にエサをやってよいものかどうかも分からなかったので、我々はただそのフナたちを眺めているだけだったが、娘はやはり興味津々だ。空にはスズメなどの鳥も飛ぶので、その姿にも娘は感動して「あっ、トリ!」と生き生きと声を出して指をさす。

そうこうしているうちに、午後6時からの「アンパンマンくらぶ」の放送時間が近づいてきたので、三輪車の置いてあるところまで戻り(その途中までは肩車をした)、およそ1時間弱の散歩の時間を終えたのであった。「おとうさん、おさんぽ、たのしかったね!」と娘が喜んでくれるので、父親としても大変嬉しい。

こうして我が家では幸いにして、散歩しながら動植物に触れることのできる機会を多少は持てる環境があるのだが、散歩させている時にいつも非常に神経を使うのが、車である。というのも、道路が車中心に作られていて、歩行者にはあまり優しくない道が多いからだ。できるだけ車の通れない道を選ぶが、それでもどうしても車も通る道を使わなければならなくなるので、そんな道では抱っこして通ることにしているが、もう少し、歩行者に優しい道を作れないものか…と、散歩のたびごとに、街作りのあり方に思いを馳せるのである。

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