モーツァルト交響曲「ジュピター」を聴く
10月に入って以来、授業や学生委員長としての仕事の合間を縫っては、少しずつ--本当に少しずつ--研究を進めている毎日だが、そのような日々のなかで私の心の糧のひとつになっているのは、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」を聴くことである。というのも、研究をしていると、ともすると心が深刻になりがちなのだが、このジュピターを聴くことが、私を明るくしてくれるからである。
大学生時代には、もっと深刻なクラシックを聴いていた。最もよく聴いていたのは、マーラーである。とくに交響曲第5番・第6番をよく聴いていた。第1番「巨人」、第2番「復活」もよく聴いたし、ときには第9番のCDをかけて、ぎゅーっと胸が締め付けられる思いがしながらも、その哀歓に酔うこともあった。
その他には、ベートーベン、ブラームス、ブルックナーといったところがお気に入りだった。といっても、クラシック音楽鑑賞の趣味を極めているわけではなく、詳しいわけでは全くないが、それでも音楽の中で一番好きなジャンルは、やはりクラシック音楽、とくに交響曲だった。大学生時代には、そのクラシック音楽のなかでも、深刻な大長編を好んで聴いていた。モーツァルトも聴いていたが、どちらかというと、ベートーベン以降の作曲家に比べて、モーツァルトはやや迫力に足りないような感じを覚えたものである。
ところが今では、もうすっかりモーツァルトを専ら聴くようになった。おそらくそれは、私の心が底抜けの明るさ・悦びを求めるようになったからである。
もちろん、モーツァルトにも短調の名曲がいくらでもある。交響曲で言うとたとえば第40番がそうだし、ピアノ協奏曲なら第20番が私のお気に入りだ。モーツァルトのレクイエムも(少なくともモーツァルト生存中に作曲された部分は)秀逸だと思う。それにあの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の天上楽のような透明感は聴く者の心を強く揺り動かす。
それでもやはり、私が一番好きなモーツァルトは、やはり交響曲第41番ジュピターである。音楽の訓練を専門的に受けてこなかった私には、その素晴らしさを言葉で説明することはできないが、とにかく、このジュピターを聴いていると、何かこう、人生を“大肯定”したくなる。理屈ぬきで「素晴らしきわが人生!」と心の中で叫びたくなるのである。
もちろん、ベートーベンもブラームスも、ブルックナーもマーラーも、それぞれがあまりにも有名な大作曲家であり、たとえばモーツァルトよりもベートーベンの方がお気に入りだ、という方も多いだろう。それはそれでよいと思う。だが今の私にとって、モーツァルトのジュピターに優る音楽はないのである。
そのような訳で、これからもこのジュピターを心の糧として、明るく研究に勤しみたいと思う。


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