2012年11月15日 (木)

アダム・スミスを改めて勉強中

前回の更新から、もう数ヶ月も経ってしまったが、その間、何をしていたかというと、春学期末の試験の採点と、論文執筆(およびそのための読書)である。

その論文執筆であるが、今年から来年の夏にかけて、実は5本もの論文を書く仕事をもらっている。なので、なかなか大変だが、前向きに取り組もうとしているところだ。

夏休み中に、9月が初稿提出期限だった論文が2本あったので、何とか、その期限に合わせて提出したが、2本とも修正の必要が出てきたので、最終稿の期限(11月末と1月中旬)に向けて、ただいま奮闘中である。

さて、その修正の必要に合わせて、今はアダム・スミスを勉強し直している。スミスの『国富論』と『道徳感情論』は、もう20年ほども前の大学院生時代に読んだことがあったが、その記憶にだけ頼っているわけにもいかなくなったので、いま大急ぎで勉強し直しているところだ。

いま読んでいるのは、田中秀夫『原点探訪 アダム・スミスの足跡』(法律文化社、2002年)である。まずは、その第10章3「わが国のスミス研究」を先回りして読んだのだが、それによると、スミスの思想はある一つの思想的伝統(たとえばカルヴィニズム神学など)に単純に還元し切ることはできない。その社会思想には、キリスト教の伝統のほか、ストア哲学、共和主義、自然法などが密接な関係を持っていることが、近年の研究を通して明らかになってきた。そして、いま求められているのは、こうした個々の成果を踏まえて、スミス研究を総合する大きな構想をもった試みなのだという(同書164頁)。

裏を返せば、これまで我が国でもスミス研究の長い積み重ねがあるにもかかわらず、まだそういう総合的な研究が出ていない(!)ということである。それほど、スミスの社会思想は奥が深いということなのだろう。

だとすれば、スミスの描いた市場概念を古代・中世・近代以降という三つの時代区分のうち、どの時代の現実の市場に近いものと考えるかは、なかなか難しい問題だということになりそうである。

スミス自身は紛れもなく近代の人間であるが、たとえば共和主義やストア哲学は、紛れもなく古典古代に由来する思想伝統である。また、スミスのうちに見られる経済的個人主義の要素は、おそらく中世ヨーロッパの遠隔地市場で活動していた遍歴商人に由来するものかもしれない。さらには、スミスの市場概念には近代的な要素も当然入っているものの、それは、絶対王政下の重商主義によって人為的に創出された国内市場(国民市場)と完全に重なるものではないだろう。

なかなかに難しい問題であるが、現在、その答えを求めて奮闘している次第である。

| | コメント (0)

2012年2月27日 (月)

『マンキュー経済学 Ⅰ ミクロ編』を勉強しています

本欄の前回と前々回の記事でも述べたように、現在、『マンキュー経済学 Ⅰ ミクロ編』(東洋経済新報社)の勉強を進めているところである。

今日で第15章までを終えた。第Ⅳ部の第12章までは順調に理解することができてきたのだが、第Ⅴ部の第13章に入ってからは少々苦戦し始めた。第Ⅴ部全体のテーマは「企業行動と産業組織」であり、第13章は「生産の費用」、第14章は「〔完全〕競争市場における企業」、そして第15章は「独占」である。ちなみに、その第Ⅴ部は第16章「寡占」、第17章「独占的競争」と続いていく。そして第Ⅵ部のテーマは「労働市場の経済学」であり、最後の第Ⅶ部は「より進んだ話題:第21章 消費者選択の理論」で締め括られている。

その第Ⅴ部を勉強し始めて思い出したのは、ずいぶん以前に経済学の独学を始めて結局挫折してしまった時、躓いた箇所がまさにここだった、ということである。

しかし、その時は、勉強し始めてからすぐのことだった。それなのに、今回は第13章まで来てやっと「ちょっと難しいな…」と思い始めたのである。

「何故だろう?」と思って、ふと「訳者あとがき」の次のくだりを読んでみたとき、そのわけが分かった。『マンキュー経済学 Ⅰ ミクロ編』では、その説明の順序に、通常の教科書とは異なる工夫が凝らされているというのである:

マクロ経済学というイメージが強いマンキュー教授ではあるが、実はミクロ編は大方の予想をはるかに上回るすばらしい出来栄えになっている。一つの特徴は、叙述の順序が通常の教科書とは異なり、一つの市場に焦点を合わせる、いわゆる部分均衡分析により、市場の均衡とその変化、および経済厚生について一気に説明しており、消費者や企業の行動については後述となっていることである。ミクロ経済学を理解していくうえで、どのような順序で学んでいけばよいかについての工夫が十分こらされている(p. 634)。

つまり、私が以前、早々に挫折してしまった箇所は「消費者行動」や「企業行動」だったのだが、『マンキュー経済学 Ⅰ ミクロ編』では、それが後回しにされており、第Ⅴ部になって初めて出て来ているために、ここまで私も一気に走ってくることができたというわけである。

この「訳者あとがき」の635頁には、「訳者たちが経済学を勉強しはじめたときには、数式や図表の羅列された無味乾燥な教科書しかなかったことを思い出すと、現在このような魅力にあふれる教科書を手にすることができる読者をうらやましく思う」と書かれている。いま私の手元にあるこの訳書は第1版だが、その刊行は2000年4月20日である。そして、私が以前に挫折したのは、その刊行日より前のことだったように思う。だとすれば、私がその時に早々と挫折してしまったのも、無理のないことだったのかもしれない…と自分で自分を励ますことができた。

その第13章以降も、以前に挫折した時に比べれば、かなりの程度、理解することができたように思う。明日からはまた、本務校での仕事が三日間ほど続くので、今日までのように非常にまとまった時間をすべて経済学の勉強に割くことは、しばらくできなくなるが、それでも少しずつ、この『マンキュー経済学』の勉強を続けていきたい。この第1版の訳書は大学図書館から借りたものだが、2005年9月に第2版の邦訳も出されているようなので、この第1版を勉強し終えたら、いずれ第2版も読もうと思っている。

| | コメント (0)

2012年1月31日 (火)

経済学の勉強を始めました

数日前から経済学の勉強を始めた。法学部で政治学の勉強をしてきた私には、経済学の専門的な訓練を受けてきた経験がないのだが、いずれ必ず自分で勉強しなければとずっと思ってきた。それが最近、ようやく着手できた次第である。

そのために、ある本を読み始めたのだが、それが非常に面白いので、いま好感触を得ているところだ。その本というのは、次の三冊である:

①梶井厚志『故事成語でわかる経済学のキーワード』中公新書
②野口旭『ゼロからわかる経済の基本』講談社現代新書
③小塩隆士『高校生のための経済学入門』ちくま新書

このうち①②は以前から買っておいたものだが、③は昨日購入した。この三冊を帰りの電車の中で1章ずつ読み始めているのだが、これが本当に面白いので、今度こそは、経済学の勉強が楽しく進められそうだと期待を膨らませている。

「今度こそ」と言ったのは、実は以前にも何度か経済学を体系的に勉強しようと試みたことがあったからだ。しかし、恥ずかしいことに、これまではそれが長続きしなかった。非常にとっつきにくかったからである。

なので、たとえば上記①の本で、まさに経済学のプロである梶井氏が次のように述べてくれている文章に出会った時には、大変救われる思いがした。

〔経済学の〕教科書を見ると、「限界効用逓減の法則」などという言葉が出てきて、消費者は価格と限界効用が等しくなるところまでものを買うなどと説明するものだから、大半の初学者はここで力尽きてしまう。それは無理もないことで、ここだけの話だが、プロの看板を出している私が読んでも、この限界効用なんたらという表現は、なんだかよくわからない(上記①:22頁)。

また野口氏は②の「はじめに」で、「本書が念頭においている読者とは……経済の仕組みを本気で理解したいと思っているにもかかわらず、経済学のあまりのとっつきにくさに、その努力を諦めてしまったような方々です」と述べておられるが、私こそはまさに、そのような読者の一人である。

さらに③の「はしがき」で小塩氏は、高校生のためだけではなく、「むしろ社会人の方々にこそ、本書を経済学の“再”入門用テキストとして気軽に読んでもらえるように工夫したつもりです」と書いてくれている。

そのようなわけで、この三冊をこれからも少しずつ読み進めていって、まずは経済学の基本中の基本を楽しく身につけたいと思っている。

| | コメント (0)

2010年5月22日 (土)

政治思想学会2010に参加

今日は、東京大学・本郷キャンパスで開催された2010年度政治思想学会に参加してきた。今日・明日の二日間の日程での開催だが、私自身は日帰りで今日のみの参加とさせていただいた。いま帰りの新幹線の中で、この文章を書いている(学会プログラムの詳細はこちら。ただし、報告ペーパーのダウンロードは政治思想学会員に限定されている)。

今回の共通テーマは《福祉社会と政治思想》というもので、私の研究テーマと密接に関わるものだった。とくにシンポジウムⅠでは「市場イメージの再検討」がテーマとされており、その第三報告が、ハイエクの市場イメージについて、その法の支配概念と科学論の検討を通じて論じるものだったので、大変興味深く聞かせていただいた。

その報告者だった酒井弘格会員(法政大学)に、私の方から質問を2つさせていただいたのだが、その1つ目は、「ハイエクが、みずからの市場イメージとの首尾一貫性が損なわれてしまうにもかかわらず、生活保護など、一定の福祉政策の必要性を認めざるをえなかったのは、一体なぜだったのか?」という質問だった。

それに対する酒井会員のお答えの主旨は、「それはハイエクの自由論や法の支配論から一義的に導かれた論理的な結論ではなく、むしろ心情的なものだったと思われる。その点で想起されるのは、彼が青年時代にはフェビアン主義的社会主義者だったという事実である」というものだったが、それは私自身も秘かに考えていたことだったので、酒井会員からも同趣旨の見解が聞けたことは心強かった。

私からのもう一つの質問は、「ハイエクには、ソ連型社会主義やケインズ主義的福祉国家に対する批判という消極的意義を超える、より積極的な意義などない--というJohn Grayのような立場もありうるが、そのような立場に対して、〔酒井会員は〕どのように応答されるか?」というものだったが、それに対するお答えは、大略、次のようなものだった。

「たしかにハイエクの議論それ自体は、市場と両立しうる福祉政策の基準は何かという問題について、曖昧かつ矛盾した解答しか出せていない。したがって、もっと確固たる思想的基礎を与える作業はこれからの課題として残されているが、ハイエク思想の独創性を継承しつつ、その課題に応えていくことは可能だと思う」

このお答えは、酒井会員の今後の研究業績について、大変強い興味を私に持たせてくれるものだった。というのも、かつて Jeremy Shearmur というハイエク(とポパー)の研究者は、1996年に出した次の本の中で、(私の読解が正しければ)この問題に対してむしろ否定的な答えを出し、リバタリアニズムの一種たる最小国家論の立場にこそ、ハイエク思想を現代的に発展させうる可能性を見出していたからである。

Jeremy Shearmur (1996) Hayek and After: Hayekian liberalism as a research programme (Routledge)

それに対して、酒井会員は、福祉国家に妥協的なハイエクの立場を、Shearmurとは反対に、極端なリバタリアニズムよりも魅力あるものと捉えている。だとするならば、酒井会員はこのShearmurのハイエク研究に対してどのような批判を展開されることになるのだろうか? 私としては大変強い興味を惹かれるのである。

もちろん、これは私自身が一方的に抱いている興味であって、酒井会員の今後の研究方向をそちらに強制しようとする意図は全くない。

とはいえ、実のところ、私自身はこのShearmurのハイエク研究を、まだ十分には消化し切れてはいない。なので、もしも酒井会員がご自分の意志でShearmurのハイエク研究を今後本格的に取り上げることになるのであれば、大いに参考にさせていただきたいのである。

ちなみにShearmurは、そのハイエク批判に当たって、ポパーの科学哲学に依拠していることを、上記の著書で述べている。そして、酒井氏の今日のご報告からは、ハイエクを何よりもまず科学者として捉えているように見受けられた(その点では、渡辺幹雄氏の研究スタンスとよく似ていると言えると思う)。

なので、私の勝手な憶測かもしれないが、もしかするとShearmurの議論スタイルは、人間論を中心に据えたハイエク論を展開していた私よりも、むしろ酒井氏のご関心の方にこそ、まさに合致するかもしれないという気もするのである。

もしもそうだとしたら、氏はShearmurに対してどのような異議を唱えることになるのか。あるいは逆に、綿密な検討の結果、むしろShearmurの見解に同意されることになるのだろうか--もしも氏がご自分の意志でShearmurのハイエク論を取り上げられるとしたら、私としては、そのご研究の成果を是非とも期待したいと思った次第である。

ついでながら、今回のシンポジウムⅠの第三報告においては、報告者の酒井会員からも、またコメンテーターの辻康夫会員(北海道大学)からも、拙著『ハイエクの政治思想』(勁草書房)に対して、大変好意的に言及していただいたことは、まさに望外の喜びであった。これを励みに、これからも研究に勤しんでいきたいと思っている。

| | コメント (0)

2010年4月 4日 (日)

英語でツイッター

最近は、研究上必要な本を少しずつ読み進めながら、その要点中の要点をツイッターに英語で簡潔に書くようにしている。

ひとつのツイートにつき140文字以内という字数制限が、英文を気軽に書こうとするにはちょうどよく感じられるので、これからもボチボチこれを続けてみようと思っている。

| | コメント (0)

2010年3月15日 (月)

ドラッカー『経済人の終わり』を読む

先週末で充電を完了し、再び動き始めた。授業の準備もさることながら、研究の面でも2本の論文を書く仕事があり、そのうちの1本は4月23日締切なので、その執筆に向けた準備を、先週末から急ピッチで進めていくことにしたのである(もう1本の論文は、6月下旬締切)。

その準備に必要と考え、昨日から改めて読み直し始めたのが、P・F・ドラッカー『経済人の終わり-全体主義はなぜ生まれたか』(上田惇夫訳、ダイアモンド社)である。言うまでもなく、ドラッカーは経営学の世界で非常に有名だが、この書は経営学の分野にはおそらく当てはまらないので、もしかすると、彼の他の本ほどには、この本は読まれていないかもしれない。

私がこの書に関心を抱くようになったのは、ハイエク『隷属への道』(春秋社)に、この『経済人の終わり』を意識して書かれたという一面が、実はあったからである(その詳細はここでは省略する)。

この『経済人の終わり』で私の興味を惹くのは、ドラッカーがこの書で、経済的自由の厳しさを明確に指摘していることである(第2章)。ドラッカーによると、資本主義が、それ以前の身分的安定の放棄を迫るものであったにもかかわらず、信条として広く受け入れられたのは、それが「自由と平等を実現する」と約束したからであった。

ところが、実際には資本主義は(そしてマルクス主義も)その「自由と平等をもたらす」という約束を裏切るものであった。そのため、大衆が絶望の淵に追い込まれ、その絶望の末に信じられるにいたったのがファシズムだった--ごくごく大まかに言えば、これが『経済人の終わり』の論旨である。

このドラッカーの論旨は、ハイエクが『隷属への道』第14章で“経済恐怖症”economophobia--春秋社の邦訳書では「経済嫌い」と訳されているが--と呼んでいる現象と、本質的には同じだと言える(ただし、“経済人の終わり”というテーゼをめぐる評価は、ドラッカーとハイエクとでは重大な差異があったのだが、それについては『隷属への道』第14章を参照されたい)。ついでながら、こうした平等と不平等をめぐる問題は、宇野重規『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社)においても、的確に論じられている。

いずれにせよ、現代日本が直面しているのは、まさに、この「経済的自由の厳しさにどう向き合うのか」という問題だと言えるだろう。自由と平等をめぐる問題だと言ってもよい。

戦後日本は、長らくGDPの増大を国家目標としてきた。その実現を可能にしてきたのは、言うまでもなく、重厚長大型の産業構造と、護送船団方式と呼ばれてきた経済政策である。そのもとで、日本国民は収入の継続的な増大を期待できた。人生の将来像が描きやすい時代を、20世紀後半の日本国民は生きてきたのである。

しかしながら、山田昌弘『希望格差社会』(筑摩書房)など、実に多くの論者がすでに指摘してきているように、また現在の経済状況がまさに物語っているように、グローバリゼーションと脱工業化が進む現代においては、GDPの増大による国民の継続的な収入増加を実現することは、もはや不可能である。要するに、現代は、まさに経済的自由の厳しさにまともに直面せざるを得ない世界となっているのである。

そうした時代にあっては、GDPの成長による物質的欲望の満足を経済政策の第一義的な目標とすることは、もはや出来ないと言うべきだろう。“経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン”が必要とされている所以がここにある。

| | コメント (0)

2009年12月31日 (木)

2009年を振り返って

いま、JR伊予西条から岡山へ向かう特急しおかぜ22号の車中で、この文章を書いている。大みそかを迎えて、この1年を振り返ってみると、今年は研究・教育両面で、初めての仕事の多い年だったことが思い出される。

まず研究面では3回にわたる海外出張があった。3月に北京、7月にチリのサンティアゴ、9月には再び北京へと出張した。この3回の出張は、いくつかの面でかなり対照的なものだった。

まず参加形態としては、3月の北京は皇學館大学社会福祉学部と中国社会科学院日本研究所社会文化研究室との間での学術交流によるもので、訪問団の一員としての出張だったのに対して、7月のサンティアゴ(世界政治学会)と9月の北京(国際法哲学・社会哲学学会連合)は、単身での出張だった。次に言葉の面では、3月の北京が日本語での研究発表だったのに対し、7月のサンティアゴと9月の北京では、英語での研究発表であった。また、飛行時間としては、北京へは3時間ほどで到着できたのに対して、地球の反対側のサンティアゴには丸一日以上(おそらく一日半ほど)かけて行かなければならなかった。

そもそも1年に3回も海外に行くなどということ自体が初めての経験だったので、苦労も決して少なくなかったが、いろいろな形態での海外出張を経験できたことは、大変有意義だったと思う。

また研究面では、『ハイエク全集Ⅱ-5政治学論集』の監訳に携わったことも非常に大きなことだった。英語→日本語への翻訳の仕事は、7~8人の共訳者の一人として1つの章を担当することはかなり以前に一度あったが(R・バーネット著『自由の構造』木鐸社)、1冊すべてにわたる翻訳を、しかも監訳者としての責任をもって行うことは初めてだった。これについては2年以上にわたる宿題となってしまっていたが、今年中に何とかやり遂げることができて安堵している。

さらに、経済産業省産業構造課における「オルタナティヴ・ヴィジョン研究会」の一員となったことも、実際の政策過程に(たとえ非常に間接的な形ではあれ)関与することになったという点で、非常に大きな出来事だった。

また教育面では、非常勤講師としての出講先が、これまでの大阪市立大学に加えて、関西大学にも行くようになったことが、新たな出来事だった。従来、皇學館大学でも大阪市大においても、担当授業科目名は「政治学概論」「政治学入門」「政治学」といった、実証的な現実分析を主な内容とした科目だった。それに対して、関西大学で担当することになったのは「政治思想史(近・現代)」であった。これは、私の本来の専門分野に密接にかかわるものであるという点で、これまでにはない新たな展開だったといえる。とはいえ、ここに至るまでの間に実証的な政治学を教えてきたことは、私の研究・教育両面での幅を大いに広げることにつながっているので、実証的な現実分析と規範的な思想の両面にわたる科目を担当できていることは、大変ありがたいことだと思っている。そのことが、上記の『ハイエク政治学論集』の解説を書く上でも、大いに役に立った。

また、慶應義塾大学・丸の内シティキャンパスにおいて、社会人を対象とした講座を、ゲスト講師として1回担当したことも、非常に新鮮な経験だった。これは拙著『ハイエクの政治思想』(勁草書房)が認められてのことだったので、大変嬉しいことであった。

本務校の皇學館大学でも非常に大きな転換があった。というのも、社会福祉学部入学生の募集停止(平成21年度入学生を最後として)、伊勢学舎への統合(平成23年度より)、新しい学部として現代日本社会学部のスタート(平成22年度より)といった重大な決定が正式に下されたのが、今年のことだったからである。

このように非常に盛り沢山だった今年も、あともう少しで終わろうとしている。いま、列車はちょうど瀬戸大橋を渡っているところだ。あと30分ほどで岡山に到着し、そのあとは新幹線と近鉄特急を使って、京都経由で橿原神宮前駅へと帰ることになる。実際にこの文章をブログにアップロードするのは、今日の夜に帰宅してからになるが、いずれにせよ、2009年=平成21年もいよいよ終わろうとしている。今晩はゆっくりと家で過ごして、新たな気持ちで新年を迎えたいと思う。

091231_171239 この写真は、伊予西条から岡山に向かって乗ったJR特急しおかぜ22号の車両を、岡山駅で降りたときに写したもの。6歳の娘に喜んでもらうために、アンパンマン列車となっていたこの特急に乗ることにしたものである。

| | コメント (0)

2009年12月24日 (木)

エレベーターではなく階段で

最近また、エレベーターではなくて、階段を使うようになった。私の研究室は研究棟の最上階の4階にあるのだが、その4階まで、エレベーターではなく階段を使って上るようになったのである。最近「また」と書いたのは、以前はそうしていたのを、この10月以降はやめて、エレベーターに頼ることが多くなっていたからである。

そもそも階段を使うようにしていたのは、もともとは健康のためだった。日頃の運動不足を少しでも解消しようと、階段を上っていたのである。ところが、この10月以降は、仕事の多さに少々気疲れしてしまい、その結果、エレベーターに乗るようになっていたのだった。

しかし最近また、階段を使うようになった。だがそうしようと改めて決意したのは、健康上の理由からだけではない。むしろ、主な理由はまた別のところにある。

もともと健康上の理由から階段を上り始めていたのだったが、毎日それを続けているうちに、いつのまにか、もう一つの理由が後から付け加わるようになっていた。それは、「一歩一歩、着実に…」と自分に言い聞かせるため--という理由である。

そもそも仕事というのは、一足飛びにはいかないものである。特に研究の場合は、一歩一歩着実に、歩みを進めていくしかないものだ。そのことを自分に言い聞かせるためにも、階段を使っていたのだった。「そういえば、そうだったな…」ということを、最近ふと思い出したのである。

最近それをふと思い出したのは、おそらく、大きな仕事が一段落したからである。ハイエク政治学論集が刊行されたし、年度内の授業もゴールが見えてきた。要するに、研究の面でも授業の面でも、次の段階に進むべき時が来たのである。

その次の段階へと新たに進むべきことを思った時、「初心に帰ろう」と決意した。そうすると自然に、「また階段を上ろう」という気になったのである。

また階段を使い始めると、なかなか気持ちがよかった。一歩一歩、段を上がっていくときに両脚にかかる負荷も、自分を強くしてくれているようで、かえって心地よい。こんな風に、研究も一歩一歩、着実に進めていけばよいのだ--そう自分に言い聞かせながら、今日も階段を一段一段上っていったのであった。

| | コメント (0)

2009年12月21日 (月)

『ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集』 完成

『ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集』が完成し、私の手元にも届けられた。奥付に記載された刊行日は2009年12月20日なので、書店にもそろそろ並び始めたものと思われる。
 ↓
春秋社 新刊案内 ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集

改めて読んでみると、監訳作業に打ち込んでいた時のことが如実に思い出されてくるが、何はともあれ、なんとか年内に刊行でき、大いに安堵している。本書の刊行が、今後のハイエク研究の進展に少しでも貢献できるものであることを願うばかりである。

【追記①】「解説」における訂正(お詫び)
小生執筆の解説文中に、一つ誤植があったので、お詫び申し上げるとともに、この場を借りて訂正します。

289頁 後ろから4行目

誤 第Ⅶ章と第Ⅷ章
 ↓
正 第XII章と第XIII章

ここは、校正段階で挿入した箇所ですが、責了としていたため、印刷段階で生じた誤植と思われます。とはいえ、校正時にかなり多くの修正を施していたので、印刷所での作業も大変だったにちがいありません。

この箇所では、本書第四部「議会制民主主義の改革」にかんして解説しており、立法院を構成すべき議員の年齢層として、1967年の段階では40-55歳とされていたのが、1973年以降は45-60歳と5歳だけ繰り上げられていたことに言及した箇所です。

その1973年以降の論文2篇は、本書では(アラビア数字で書くと)第12章と第13章に収められているので、この場を借りて訂正します。

【追記②】本書についてのコメントを歓迎します
読者諸賢におかれましては、万が一、こちらの思わぬ誤植や誤訳が見つかった場合は、どうぞご遠慮なく、本ブログにコメントをお寄せ下さい。

また幸い、誤植や誤訳はなくとも、読まれた感想などをお寄せいただければ幸甚です。

| | コメント (2)

2009年11月24日 (火)

近況報告:ハイエク翻訳など

現在、例の『ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集』の刊行に向けての作業が大詰めを迎えている。

幸い、私の手の及ぶ限りでの監訳作業は一段落して脱稿し(3つの章を脱稿前に監訳することは実はできなかったのだが、それ以外の計10章については監訳の手を入れることができた)、現在は校正段階に入っている。

その一方で、明日が締切と言われていた解説の原稿を、この連休を利用して、昨日から今日にかけて集中的に執筆し、つい先ほど、メールで春秋社編集部に提出したばかりだ。あとは解題の執筆と、校正作業である(校正は今月30日締切)。

今週は、もうひとつハイエク関連で、実は東京に出張する。慶應大学で主にビジネスマンの方々を対象とした講座のゲスト講師として呼ばれているからである。

古典を通して考える【自由と資本主義】

というわけで、相変わらず多忙な(あるいは超多忙な?)日々を送っているが、おかげさまで最近は、多忙な中でも、真面目一辺倒に片寄りすぎて心の余裕をなくしてしまうことなく、心豊かな生活を送ることができている。どのようにしてそのような心境の変化が得られたかについては、また機会を改めて書くことにする。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧