2009年9月20日 (日)

海外での研究報告を終えて

7月にチリの首都サンティアゴで開かれた世界政治学会、および今回北京で開催されたIVR(法哲学・社会哲学国際学会連合)世界大会--この2度にわたって、海外で研究報告を行うという機会に恵まれた。7月の報告を終えたときには、帰国後すぐに授業を再開しなければならなかったため、ゆっくり振り返る時間を持てなかったが、今回はそうするための時間的・心理的余裕が(少しは)あるので、この2度にわたる海外での報告の機会を、できるだけ簡潔にではあるが、今ここで振り返っておくことにしたい。

この2度の機会のいずれも、要するに、すでに日本語で筆者が行ってきたこと(拙著『ハイエクの政治思想』勁草書房)を英語でも発信する経験をしておきたい--という動機からのチャレンジだった。7月は拙著の主に第1章、今回の9月は同じく第3章の内容に基づいて、報告を行った。幸い、報告のための論文を英語であらかじめ執筆したり、実際に報告の場において英語でプレゼンテーションを行うことについては、実際にやってみて、それなりの手応えを得ることはできた。

しかしながら、報告後のディスカッションの時間になって、質問に対する応答を行おうとする段になると、日本語の場合とは違って、英語では、最低限のことは言えても、自分の言いたいことの全てが充分には伝えられなくなる--そうしたもどかしさを痛感させられることにもなったのである。

国際的な学会での研究報告の場合は、全体会議での基調報告の場合は別として、だいたい10~15分で報告することが求められる(少なくとも今回の2度の経験ではそうだった)。したがって、報告ペーパーをあらかじめ書くにあたっては、日本語では行っていた細かな議論を一切省いて、論旨の骨子のみを明快に描くことに努めた。そのおかげで、聴衆に報告の趣旨をクリアーに伝えることはできた(と思う)。しかしその反面、それ以外の議論の肉付けの部分は伝えられていないので、その点にかかわる質問がどうしても出てくるのである。

日本語でなら、そうした質問に対して緻密に答える訓練は、これまでかなり積んできたつもりである。ところが、私の英語の能力は、まだそのレベルには到達していなかった。その場を何とか乗り切るために、あるいは質問を何とか「かわす」ために、どうにかこうにか応答することはできたものの、日本語でならもっと緻密に述べることができたはずの内容が、英語になると途端に伝えられなくなってしまう--そのことを、如実に思い知らされたのであった。

この壁をクリアーするためには、普段からもっと、自分の言いたいことを英語で書く練習を積んでおくことが、まずは必要だろう。断片的な言葉ならともかく、およそ論理的な内容を正確に話すことができるためには、まずはそうした文章をもっとスラスラと書けるようになっていなければならないと思われるからである。その上で、あとは報告の場数を踏んでいくことだろうと思う。

いずれにせよ、これで今回の海外での研究報告は一段落した。これは「日本語を英語へ」という仕事だったが、今年のもう一つの大きな仕事は「英語を日本語へ」、すなわちハイエク全集第Ⅱ期 第5巻 政治学論集(春秋社)の監訳である。これからは、この監訳の仕事に邁進していくことになるから、要するに今年の私の研究者としての仕事は、英訳にせよ和訳にせよ、語学面での仕事となる。今年はとにかくそれを全うすることである。

そして来年以降、新たな研究の方向性を打ち出せるようにしたいと考えているのだが、今それに向けて大いに意識しているのが、萬田悦生氏のハイエク研究、すなわち『文明社会の政治原理:F・A・ハイエクの政治思想』(慶応義塾大学出版会)である。その萬田氏のハイエク研究は、氏がイギリス理想主義者の一人T・H・グリーンを研究してこられた視点から為されたものである。その氏のご研究を踏まえつつ、何らかの新たな研究の方向性を探っていけるのではないか--おぼろげながらも、今そのように考えている次第である。

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2009年9月13日 (日)

第24回IVR世界大会(北京)に向けて

実は明日の10:00に関空を出発する便で、北京に向かう。北京で開かれる第24回IVR世界大会に参加するためである。IVRというのはドイツ語に由来する略称で、正式名称を法哲学・社会哲学国際学会連合という。

大会の開催期間は9月15日~20日で、大会のメインテーマは、Global Harmony and Rule of Law だが、私が研究報告するのは、リバタリアニズム(Libertarianism)をテーマとしたスペシャル・ワークショップにおいてである(詳しくはこちら このなかのS34がそのワークショップである)。

7月の世界政治学会(チリ・サンティアゴ)に続いての海外での研究報告だが、今回は、その時ほどの緊張感はない。ほどよくリラックスできているように思う。もちろん、成功裏に報告できるよう、ベストを尽くすつもりである。

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2009年5月31日 (日)

世界政治学会に備えて

今日は英語で書いた論文を1本完成させることができた。7月に南米チリで行われる第21回世界政治学会(IPSA)での研究報告のための論文である。

この英語論文は、今月に入ってから、授業の合間を縫って書き続けてきたものである。拙著『ハイエクの政治思想』(勁草書房、2007年)の主に第1章(およびその他の章)の内容を踏まえたものだが、5月23日(土)にその草稿を書きあげた。

その草稿の英語を見てもらうため、丸善の英文校正サービスを利用したのだが、5月28日にそれが納品されたので、その後、最終的な推敲を経て、今日、そのPDFファイル(WordファイルをPDFファイルに変換したもの)を、世界政治学会のオフィシャルサイトへと無事アップロードすることができたのであった。分量としては、A4サイズで13ページ、4276単語の英文となった。

その丸善の英文校正サービスによる「原稿評価カルテ」によると、全体的に、「平均的レベルです」(5段階評価の3)あるいは「習熟したスキルを持っています」(5段階評価の4)という評点であった。項目別にみると、次のとおり:

英語表現について 平均評点 3.3
 構文の正確さ 3
 文章運びのスムーズさ 4
 単語の選び方 3

英文法 平均評点 3.7
 主語と述語の一致 4
 冠詞a, an, theの使い方 3
 時制の正しさ 4

英語表記のルールや論文スタイルについて 平均評点 4.0
 句読点の使い方 4
 参考文献の書き方や引用の手法 4
 アカデミック・スタイルの遵守 4

また、校正者からのコメントも付けられていたのだが、それによると、校正前の原稿は「英語のライティングスキルという観点から見ると、原稿は非常によく書けており、あとは文法などのささいなミスを変更するだけ」だった-とのことであった。

ちなみに、5段階評価の5は、「非常に高度なスキルを持っています」というものだが、私はまだ3~4の間のようである。今後は、全体の平均評価が4点台となることを目指していきたいと思っている。

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2008年12月31日 (水)

大掃除を終えて1年を振り返る

27日から今日の大晦日までの6日間連続で、今まで借りていた家の大掃除をしていた。もう少し早く終えてしまうつもりだったのだが、いざやり出してみると、掃除をすべきところが続々とたくさん出てきて、キレイさっぱりと明け渡せるようになるまで、今日の午後6時頃までかかってしまったのである。しかし、何とか年内にそれを終えることができたので、今はホッとしている。正月休み明けの1月5日に、私たち借主の立会のもと、この貸家の仲介業者による部屋のチェックを受けることになるが、そのための準備はおそらく十分に整えられたことと思う。

それにしても、今年はわが人生のなかで、公私ともに最も多忙な1年だった。春学期には週平均11コマの授業を名張、伊勢、および大阪市立大学という3つの場所で行ったし、夏休みに入ってからは、10月初旬に行われた皇學館大学社会福祉学部の10周年記念国際シンポジウムの準備に大わらわだった。そしてこの年末には引っ越しと大掃除である。このような忙しさは、大げさな表現ではなく、今までに経験したことのないほどの多忙さだった。しかし、それらをすべてやり遂げることができて、今は充実感でいっぱいである。

そのあまりの忙しさで、これまで本ブログに書きそびれていたのだが、実は研究面でも、この11月から12月にかけて、ちょっとした大きな出来事が二つあった。それは、拙著『ハイエクの政治思想』(勁草書房)の増刷と、来年の世界政治学会で研究報告できることが決まったこと、この二つである。

拙著の第2刷が発行されたのは、今年の11月20日だった。第1刷の発行が昨年の3月15日だったから、それからおよそ1年8か月で増刷されたことになる。第1刷は1200部だったが、第2刷は500部である。一般的に、第1刷が売り切れれば、出版社に対する責任を果たしたことになると聞いているので、著者として安堵した次第である。

その拙著の第1章の議論を英語で報告できる機会を与えられたのが、来年7月にチリの首都サンチアゴ(Santiago)で開かれる世界政治学会(International Political Science Association)においてである。今年10月の日本政治学会の総会で、3年に1度の IPSA が今回はサンチアゴで行われること、そしてその IPSA 2009 Santiago における報告者を募集中であることを聞き、思い切って応募してみたところ、12月5日に採用通知が届いたのであった。

来年にはハイエク全集第Ⅱ期第5巻政治学論集の監訳作業をいよいよ仕上げていかねばならないので、来年はその監訳とIPSAでの研究報告の準備という二つの点で、英語漬けの毎日が続きそうである。

26日に引越を終えてから今日までは、今まで借りていた家の大掃除で手一杯だったので、新しい家の方はまだ段ボール箱だらけであるが、幸い、今すぐ必要な本は箱に詰めずに、カバンに入れて持って来てあるので、明日の元旦からは、この新しい家の新しい書斎部屋で、早速、監訳作業を再開させたいと思っている。

それでは読者の皆様、よいお年をお迎え下さい。

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2008年9月 8日 (月)

モンペルラン協会2008東京大会に参加(2)

昨日書いたように、この大会の第1セッションは、気候変動問題がテーマだった。そこでの論調は、私の予想通り、基本的に4年前と変わらなかった。その4年前の論調については、本ブログ2006年6月3日の記事に書いてある。

とくにそれが鮮明だったのは、チェコ大統領のクラウス氏による報告だった。"Current Global Warming Alarmism and the Mont Pelerin Society's Long Term Agenda" と題されたその報告で、クラウス氏は、IPCCを批判している。氏によれば、"environmentalism" あるいは "global warming alarmism" は、かつての社会主義的な統制手段の再来だというのである。それによって自由が脅かされることこそ、氏にとって、何よりも警戒すべきことなのであった。その問題意識をよく表現しているのが、今年出版された次の書物のタイトルである。Vaclav Klaus, Blue Planet in Green Shackles: What Is Engendered: Cimate or Freedom? (Competitive Enterprise Institute, 2008)

また氏は、いわゆる「予防原則」についても、厳しく批判している。この予防原則については、本ブログ2006年5月22日の記事に書いておいたが、クラウス氏に言わせれば、この予防原則は気候変動のリスクを過大評価しているのだという。

もっとも、他方で氏は、豊かになれば環境保護への志向も高まる、とも述べている。したがって、市場経済によって豊かさを実現すればよいのであって、強制的な措置をとる必要はない、ということになる。つまり、氏が信頼する環境保護対策は、あくまでも“自主的取り組み”だけなのだろう。その一方で、環境税や排出量取引といった経済的手段による温暖化防止策に対してさえ、氏は否定的であった(氏によれば、それは「市場」や「価格」という言葉の“濫用”に他ならないのだという)。

以上のような議論が出てくるのは、おそらく、環境保護を訴える主張が社会主義と結びつくことが多かったからにちがいない。だとすれば、クラウス氏がそれを極度に警戒するのも無理はないだろう。というのも、氏は旧ソ連の衛星国だったチェコスロバキアで、共産主義政権の圧制に耐えてきた経験を持つからである。それは本当に苦しい体験だったに違いない。

しかし、氏の言うように、気候変動のリスクがまったくの杞憂にすぎないのであればよいのだが、はたして本当にそうだろうか…? やはり私自身は、そのリスクを真剣に受け止めつつ、自由主義的な環境保護の可能性を追求してみたい気がする。少なくとも私には、環境税や排出量取引までも否定するほど、政府権力に対して極度の不信感を持つ気にはなれない。たとえ自由主義の立場に立つとしてもである。政府権力が濫用される可能性を警戒しつつ、それと同時に、政府権力をいかにすれば正しく活用できるかを考えるべきではないだろうか?

追記:ちなみに、同じ第1セッションの3人目のスピーカー(米ハーバード大のE. L. Glaeser教授)は、私の英語のヒアリングが間違っていなければ、必ずしも環境税を否定していなかったように思う。環境税がその報告の本題ではなかったため、口頭でのアドリブを聞きとるしかなかったのだが、おそらくそうだったと思う。

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2008年9月 7日 (日)

モンペルラン協会2008東京大会に参加

いま私は東京に来ている。モンペルラン協会2008年東京大会に参加するためである。

モンペルラン協会の大会に私が参加するのは、これが3回目である。1度目は2000年サンチアゴ大会(チリ)、2回目は2004年ソルトレークシティ大会(アメリカ)、そして今回の東京大会である。この協会の世界大会は2年に1度の開催であり、2002年はロンドン、2006年は確か南米グアテマラでの大会だったそうだが、私の参加は4年に1度ずつとなった。

今回の東京大会も興味深いテーマが目白押しなのだが、私が特に関心を抱いているのは、明日午前中の第1セッションである。というのも、テーマが気候変動問題だからである。具体的には次のテーマとなっている:

Global Warming, Environment and Free Market

現在のモンペルラン協会がこの問題に関してどのような見解を示すのか、ポイントを聞き逃すことなく、明日の第1セッションに集中して臨もうと思っている。

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2008年4月 1日 (火)

平成20年度始まる

平成20年度が今日からスタートした。教育機関で仕事をしていると4月からいろいろなことが新たに始まるので、仕事の面では、年始の1月よりも4月の方が“新たな始まり”という感じが強い。

さて、平成20年度の私の担当授業は4~7月の春学期に偏ることになった。今年度を通じての私の授業の週間スケジュールは、次のとおりである。

春学期(4月~7月)隔週で週12コマ/10コマ
曜日 場所(コマ数)
月  名張(1) 伊勢(2)
火  名張(3)
水  名張(1) 伊勢(2)〔水の伊勢(2)は隔週〕
木  名張(1)
金  大阪市大(2)〔非常勤〕

秋学期(10月~1月)隔週で週5コマ/3コマ
曜日 場所(コマ数)
月  -
火  名張(1)
水  名張(1) 伊勢(2)〔水の伊勢(2)は隔週〕
木  名張(1)
金  -

このように、春学期がとても忙しくなる。その代わり、秋学期には時間的余裕を作れそうである。

授業で忙しい春学期だが、その間に、例のハイエク全集第Ⅱ期第5巻政治学論集の翻訳を是非とも仕上げねばならないので、今後数ヵ月は体力の勝負とも言えるかもしれない。

さて、新年度を迎えるにあたり、山中研究室のドア掲示も一新してみた。それがこの写真である。

ここでは小さくしか載せられないが、Photo この私の似顔絵は、プロの似顔絵師に描いてもらったものである。先日、3月29日(土)に家族で大阪・天保山にある海遊館に行ったのだが、その海遊館に隣接する「天保山マーケットプレイス」の一角に、似顔絵コーナーがあったので、そこで描いてもらったのがこの似顔絵である。ただし、このドアに貼ったのはそのコピーである。原画は自宅に飾ることにした。

天保山の似顔絵コーナーのサイトによると、ここには幾人かの似顔絵師がおられるようだが、私たちが訪ねた時に、そこにおられたのは、立石久美子さんという方だった。どこかで専門的に美術を学ばれたに違いないと思っていたが、このサイト掲載のプロフィールによると、「嵯峨美術短期大学卒業」とのことだから、やはり…と納得した。パステル画で優しく描いてくれたのも、私の好みに合っていて、とてもよかった。この場を借りて、似顔絵師の立石久美子さんに、感謝させていただきます(この立石さんのブログはこちら→illustron935☆大阪天保山似顔絵デスク)。この似顔絵(のコピー)を、大学の公式ホームページ掲載用の似顔絵として提出したので、いずれ近いうちに、そこにも掲載されることになると思う。

それにしても、このような絵による表現の方が、写真よりも趣きを感じることがあるのは何故だろう? どちらの方が実物に近いか…と考えれば、それは明らかに写真の方だ。それにもかかわらず、このような絵での表現には、写真にはない趣きがある。それはどうしてなのだろう…? これはなかなか興味深い問題ではないかと思う。

いずれにせよ、いよいよ新年度がスタートした。また新たな気持ちで仕事に勤しもうと思う。

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2008年3月31日 (月)

博士学位授与式に出席

論文や年度末の校務に追われていたため、本ブログでの記載が遅れてしまったが、先週月曜日の3月24日、京都大学での博士学位授与式に出席した。その式については、京都大学ホームページのトピックス欄の2008年3月24日「博士学位授与式を挙行」という見出しで紹介されている。昨年3月に刊行された拙著『ハイエクの政治思想』(勁草書房)が、博士論文として認められたのである。私の学位の名称は、「京都大学博士(法学)」(論法博第167号)である。

当日の出席者は課程博士と論文博士を合わせて500名を越えており、その一人ひとりに学位記が京大総長から直接手渡されるため、式の開始から終了まで2時間かかった。しかし、その2時間がまったく苦痛に感じられなかったのは、やはり、喜びが大きかったからであろう。

私は妻と娘を連れて出席したが、私と同様、家族同伴で出席される方も多数おられた。喜びの雰囲気に満ち溢れており、自然とお互いに記念写真のシャッターを押し合う場面もそこかしこに見られた。ここに掲載したのも、そうして撮っていただいた1枚である。Img_4151

こうして学位を授与されたことは、まことにも大きな節目であった。これを機に、これからも研究の道を喜んで歩いていきたいと思う。

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2008年3月27日 (木)

年度内の仕事が一段落

前回の更新から2週間以上も経ってしまったが、その間、先の3月10日締切の論文に引き続いて、実はもう一本の論文執筆に取り組んでいた。それは『イギリス理想主義研究年報』第4号に掲載予定の論文である。今月末締切なのだが、今朝その原稿を完成させることができ、締切までに提出するメドを立てることができたので、大いに安堵しているところである。

今回の論文は、先月刊行されたばかりハイエク研究書である、萬田悦生『文明社会の政治原理:F・A・ハイエクの政治思想』(慶応義塾大学出版会)を意識して書くことにさせていただいた。規定字数は原稿用紙30枚以内(厳守)であり、決して多くはない分量なのだが、萬田氏による堅実かつ重厚なハイエク研究を踏まえてのことだったので、その構想を立てるにあたっては、私なりに全力を注いだつもりである。

いずれにせよ、3月10日締切だった『政治学年報2008-Ⅰ』掲載予定の論文も含めて、これで今月末までに仕上げるべき論文2本を無事に書き終えることができ、年度内の大きな仕事が一段落した。あとは、その論文執筆のためズルズルと先延ばしになっていた、ハイエク全集の翻訳の仕事が待っている。今度こそ、今後はこの翻訳作業に集中できそうである。

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2008年3月11日 (火)

歩くことで仕事に勢いをつける

3月10日締切だった『政治学年報 2008-Ⅰ』の論文を、昨日無事に書き上げて提出し、英文の要約文も今日提出した。これで昨年来ずっと試行錯誤してきた大きな仕事を一つ無事に終えることができたので、大いに安堵している。

タイトルは「ハイエクの民主政治論における懐疑と失望:トクヴィルとの比較の観点から」とした。60枚強の分量である。トクヴィルを大変高く評価していたハイエクであったが、その民主政治論を比較してみると、むしろこの両者の間には大きな相違があった。トクヴィルは、デモクラシーの陥る“多数の暴政”や“民主的専制”-ちなみにこの両者は実は別の概念だったのだが、ハイエクはその違いに気づいていなかったように思われる-という危険性を鋭く批判しつつも、政治的自由によってデモクラシーを何とか生かそうとした。それに対してハイエクの場合は、専制支配への防波堤となるべき基本的自由はあくまでも経済的自由でなければならず、民主政治に対しては懐疑と失望の念を終始抱いていた。平和的な政権交代を可能にする唯一の方法として民主主義を正当化しつつも、多数者に対する不信感をハイエクは終生抱き続けていたのである。その点で、むしろハイエクの民主主義批判は、トクヴィルよりもむしろプラトンを思わせるものであった--以上のようなことを今回の論文に書いた。もとより、それが成功しているかどうかは、読者諸賢の判断に委ねなければならない。

ともあれ、今回この論文を先月末から一気に書き上げるにあたって、大いに私を前進させてくれたことがある。それは「歩くこと」である。

「一気に書き上げる」といっても、先月末からの約2週間足らずの期間、論文執筆のみに専念できたわけではなかった。というのも、大学で校務に従事すべき日もその間に計5日間ほどあったからである。

そのような中で、校務もこなし、論文も一気に書き上げるためには、自分を奮い立たせ、勢いをつけなければならなかった。そこで実践したのが、「歩くこと」だった。文字通り、外に出て歩く。とにかくズンズン歩くのである。そうすることで、不思議なことに、気持も大いに前向きになり、躊躇することなく仕事をドシドシこなすことができた。校務をテキパキこなすことで後顧の憂いをなくし、残りの日数を論文執筆にもっぱら充てることができたことは、精神衛生上も大変よかったと思う。

まず校務で大学に行かなければならなかったときに、自宅から最寄りの駅まで、20分間ほどの距離を歩いて通勤する。大学に行かずに自宅で論文に専念できる日も、まずは近所を20分ほど歩いた。そうすると心身共にスッキリとし、執筆作業が大いにはかどった。体も元気になり、ちょっとした家事を手伝う気持にもなりやすかった。家事で手足を動かすことが、さらに心も体も活性化させてくれたのである。

そのようなわけで、もう今ではスッカリ歩くことが習慣になった。昨日もプリンターのインクが切れて、新しいインクタンクを買いに行くときも、近所の家電量販店まで歩いて行った。歩いてみると、10分ほどで着いたので、こんなに近かったのか…とちょっと驚いたものである。こうして歩く習慣をつけると、何かにつけ「ちょっと面倒だな…」という気持が吹き飛んでしまうから、不思議である。

このように善いことだらけなので、これからも毎日歩こうと思う。それによって、これからもきっと仕事にも勢いがつくに違いない。

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2008年2月26日 (火)

論文の執筆開始

本ブログの2月15日の記事で、その末尾に「トクヴィルを大急ぎで読み直している」と書いた。それ以来、大学での業務の合間を縫って、『アメリカのデモクラシー』を読み進めてきたのだが、幸い、今日その読み直し作業を終えたので、今晩からいよいよ論文の執筆に着手した。その序論にあたる「はじめに」を書き始めたところである。それに続く本論の論述構成も素描できたので、あとはその構成に従って書き進めていくことになる。

執筆前にトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(全2巻)を読み直すにあたっては、その第1巻の上巻と下巻については、幸い、我が国におけるトクヴィル研究の第一人者のひとりである松本礼二氏による新訳が、2005年11月と12月に岩波文庫から出版されていたので、それを利用させていただいた。第2巻の新訳もその上巻が3月に出る予定のようだったが、それを待つ余裕はなかったので、1972年に岩永健吉郎・松本礼二両氏による抄訳(研究社刊)を再度利用した。それとは別に、全訳が講談社学術文庫から出ているので(井伊玄太郎訳)、それは第2巻の研究社の抄訳に収められていない部分について適宜参照させていただいた。

またそれに先立って、トクヴィル研究書としては、松本礼二氏の『トクヴィル研究』(東京大学出版会、1991年)や、新進気鋭のトクヴィル研究者・宇野重規氏による『デモクラシーを生きる:トクヴィルにおける政治の再発見』(創文社、1998年)と『トクヴィル:平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ、2007年)を参照させていただいた。もちろん、そのほかにもわが国にはすでに中谷猛氏や小川晃一氏によるトクヴィル研究がそれぞれ1974年と75年に出ているし、そもそもトクヴィル自体を研究していこうとするのであれば、そのほかにも参照すべき文献は山ほどあるだろう。しかし、今回の筆者の狙いは、トクヴィルそれ自体の研究にあるのではなく、あくまでも筆者のこれまでのハイエク研究の一環として、「ハイエクから見たトクヴィル」を取り上げるにとどまるので、これ以上の文献参照は断念することにした。

またトクヴィル自身の著書についても、今回はもっぱら『アメリカのデモクラシー』に限ることにした。そのほかにも『旧体制と大革命』(小山勉訳、ちくま学芸文庫。この小山氏も同じちくま学芸文庫からトクヴィル研究書を出されている)や、『フランス二月革命の日々:トクヴィル回想録』が出ていることはもちろん承知しており、できれば参照したいところだったのだが、ハイエクのトクヴィルへの言及は、管見によれば、『アメリカのデモクラシー』にもっぱら限られているので、『旧体制と大革命』および『回想録』の参照も、やはり断念することにしたのである。

論文を書き始めようとする際には、つねにこの種の“断念”がつきまとうのだが、その断念のタイミングがなかなか難しい。一方で、参照文献が不十分にとどまることは当然許されない。文献の渉猟は、充分に行う必要がある。しかし他方で、完璧を期すあまり、文献の参照に歯止めがきかなくなってしまうことも、実はあまり好ましいことではないのである。というのも、そうなってしまうと、いつまでたっても論文が書けなくなるからである。

今回のこの“断念”あるいは“決断”が100%正しいという自信があるわけではないが、3月10日の締め切りがいよいよ迫ってきたこともあり、思い切って論文執筆の開始を決断するに至ったのである。とはいえ、これが悪い意味での「見切り発車」ではないということも、たぶん間違いないと思っている。しかし、それも最終的には、出来上がった論文の内容次第で判断されねばならないだろう。今後も大学での業務が続くが、時間をうまく使って、全力で書き進めていこうと思う。

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2008年2月15日 (金)

論文の構想固まる

これまでずっと模索してきた論文の構想が、このほどようやく固まった。それは、ハイエクの民主主義観の変遷--これは“民主主義への淡い期待から幻滅へ”とでも表現できると思われるのだが--を、ハイエクのトクヴィル評価の変遷に即して描いてみる、という構想である。

以前に拙著『ハイエクの政治思想』第3章第3節で、晩年のハイエクがプラトン的なエリート主義へと傾斜していったことを指摘した際、それがいわばハイエクにおける“トクヴィルの(思想的な)死”に伴うものであることを論じた。しかしその際、そこではトクヴィルについてのハイエクのコメントのみに言及したにとどまっており、トクヴィルのデモクラシー論自体に踏み込んだうえで、それをハイエクと比較するという作業はしていなかった。今回の論文では、上記のテーマによって、拙著での議論を補強してみようと思ったのである。『隷従への道』(1944年)や『自由の条件』(1960年)でハイエクはトクヴィルに高い評価を与えていたが、『法・立法・自由』の第3巻(1979年)の第12章注14では、一転して、「トクヴィルに夢中になりすぎた」ことへの後悔の念を表明していた。そのトクヴィル評価の変遷は一体何故だったのか?--この問題を論じてみようというのが、今回の構想である。

これまで右往左往してきたなかで、今回ようやくこのような構想を固めることができた大きな要因の一つは、自分の足場を政治学(とくに政治思想)に置くことを完全に決意できたことによる。上記の拙著の最大の特徴がそもそも政治思想的観点からのハイエク論であることにこそあったにもかかわらず、その第4章では開発経済学の知見にも目を配っていた。それは、哲学・経済学・法学・政治学など諸領域を横断することで大きな思想体系を築きあげたハイエクを分析する際、その視角を自分の天分に照らし合わせてどこに定めるべきか、まだ完全には決め切れていなかったことを意味している。しかし、このたびの試行錯誤を通じて、自分の勝負すべきフィールドが政治学、とくに政治思想にあることが、心の底からよく分かったのであった。その結果、ハイエクの民主主義論の検討という、きわめて政治学的なテーマに辿り着いたのである。

そうと決まれば、あとは書くのみであるが、その前に確認のため、大急ぎでトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読みなおし始めたところである。締切が3月末から3月10日へと繰り上がったので、大いに急がねばならない。全力で走り抜こうと思う。

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2008年2月 7日 (木)

ただいま試行錯誤中(2)

試行錯誤を続けながらも、最近、少し光が見えてきたように思う。この光の指し示す先に一体何があるのかは、さらに探求を続けてみなければ分からないが、何かおぼろげに見えてきたのは確かである。こういうことは、研究プロセスによくあることだ。いずれにせよ、ハイエクそのものを主題として、書けること、書くべきことがまだありそうである。最近、邦語でのハイエク研究書が2冊立て続けに出版された(あるいは出版予定である)ことも(*)、そのことを物語っているのかもしれない。

(*)山崎弘之『ハイエク・自生的秩序の研究-経済と哲学の接点』(成文堂、2007年12月)
 萬田悦生『文明社会の政治原理-F・A・ハイエクの政治思想』(慶應大学出版会、2008年2月刊行予定)

ところで、今日は私の39歳の誕生日だった。大学売店で店員の方に「お誕生日おめでとうございます!」と言われたり、一人の学生さんから同じく「お誕生日おめでとうございます!」とメールをいただいたりした。売店の方にそうお声をかけていただいたのは、本ブログで「来年2月7日で39歳になる」と書いていたからであった。学生さんの方も、おそらくはそうだったろうと思う。当の本人はスッカリ忘れていたのだが、読み直してみると、たしかに昨年の大みそかに私はそう書いていた。それを読んで、お声をかけていただいたり、メールをいただいたりしたのだから、大変うれしく思うとともに、本ブログをお読みいただいているということに、気の引き締まる思いである。

帰宅すると、妻が誕生日プレゼントと、一足早いバレンタインのチョコレートを買ってくれていた。そのプレゼントとは、財布である。今の財布は、もうかれこれ15年ほどずっと使っており、ほころびが出てきていたので、そろそろ買い換えなければ…と思っていたところだった。感謝あるのみである。

こうして私は今日39歳になった。私を生んでくれた両親は既に他界してしまったが、生んでくれたことに改めて感謝し、明日からまた新たな気持で、研究と教育にいそしんでいこうと思う。

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2008年2月 4日 (月)

ただいま試行錯誤中

論文執筆のための試行錯誤が現在も続いている。本ブログに以前書いたように、最近ではマイケル・ポラニーの自生的秩序論あるいは自由論を勉強し始めたり、進化ゲーム理論における「相互扶助を語る自生的秩序論」の動向を追ってみたりしてきたのだが、一方でマイケル・ポラニーに踏み込むには、3月末締切では時間が全然足りないし、他方で、外的強制を全く必要としない秩序形成の可能性を追求する進化ゲーム理論は、政治権力の必要性を大前提とするハイエクの議論とはかみ合わないので、結局、そのいずれも今回の論文のテーマには使えないことが分かったのであった。

そんなわけで、どうしたものか…と思い悩む日々が続いてきたのだが、ふと思ったことは、「何もハイエクから急いで離れようとしなくとも、政治学の観点から、まだハイエクそのものを使って書くべきことが残されているかもしれない」ということだった。というのも、拙著『ハイエクの政治思想』の第4章では開発経済学にも足を踏み入れたのだったが、いま思えば、筆者の能力からすれば、自身の専門とは違う分野に踏み込むよりも、むしろ政治学の議論に徹するべきだったかもしれない…という思いがしてきたからである。それはまた、ハイエク全集第Ⅱ期第5巻政治学論集の翻訳の仕事--これも3月末締切である--と無理なく両立できる道でもある。

そう思って、改めてハイエクの政治学関係の論文(その民主主義論)を新たな気持で読み直しはじめたところ、これまでのような不安がなくなり、妙に心が落ち着いてくるのを感じた。これまでハイエクは経済学や法哲学の分野で論じられることが多かったなかで、政治学の観点からハイエクを論じたのが拙著の最も大きな特徴だったとすれば、そしてその視点からまだ論ずべきことが残されているとすれば--そんな気が徐々にしてきたのだが--それを今回の論文テーマにすればよいのではないか、と思えてきたのである。その論文が掲載されるのは日本政治学会の年報だから、その意味でもそれこそがふさわしいはずなのであった。そう分かってみれば、なぜもっと早くに気づかなかったのか、とも思うのだが…。

だが今さら後悔してみても始まらない。もはや残された時間は2ヶ月を切っているが、ハイエクを題材とするのであれば、おそらく堅実に仕事を進めていくことができるだろう。幸い、授業期間を終えて、まとまった時間を比較的取りやすい時期に入ったので、とにかく前に進んでいきたい。反省した後はそれ以上徒らにくよくよするべきではなかろう。ただ前進あるのみである。

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2008年1月 1日 (火)

翻訳に明け暮れた元日

今日から2008(平成20)年がスタートした。読者の皆さんはこの一年最初の日をどのように過ごされただろうか?

この元日を、筆者はどこにも出かけず、もっぱら翻訳の仕事に費やした。例のハイエク全集第Ⅱ期政治学論集の翻訳である。実のところ、この翻訳の仕事は、ここ1・2ヶ月のあいだ新たな論文の構想の模索に追われていたため、ほとんど全くといっていいほど進んでいなかったのだが、今日のまとまった作業のおかげで、この仕事に再び勢いを取り戻すことができた。授業期間が再開すれば、今日のように一日中翻訳に取り組む時間を取ることはできないだろうが、この正月休みの間に大きく勢いをつけておけば、授業期間再開後も、その勢いに乗って地道に作業を積み重ねていくことができるだろう。

それにしても、翻訳はやはり非常に時間のかかる作業である。今日の午前9時から1時間の昼休みを挟んで午後5時までのおよそ7時間を費やして和訳できたのは、ほんの4ページのみであった。だから翻訳の仕事はある短期間にまとめて一気にやろうとしても、それはできない。むしろ、(本ブログの昨年10月15日の記事でも書いたように)毎日少しずつ進めていき、それを長期間にわたって積み重ねていくべきだろう。

それを軌道に乗せるためにも、この正月休みは、家族と一緒に過ごすくつろぎの時間以外は、翻訳の仕事に没頭するつもりである。

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2007年12月26日 (水)

マイケル・ポラニー文献収集記:ちょっとした失敗談

去る11月30日の記事でも述べたように、筆者は先月からマイケル・ポラニーの研究に着手しているのだが、そのための文献収集の際にちょっとした失敗があり、我ながら笑ってしまった。

マイケル・ポラニー関係の文献を色々と探し、入手していく過程で、ポラニーとハイエクとを比較した次の論文があることを知った:

Jacobs, Struan (2000) "Spontaneous Order: Michael Polanyi and Friedrich Hayek", Critical Review of International Social and Political Philosophy, 3:4, 49-67.

この論文タイトルから「これは是非とも入手せねば…!!」と思い、この学術雑誌(Critical Review of International Social and Political Philosophy, 以下 CRISPP と略記)の所蔵状況を国立情報学研究所の Webcat Plus で調べてみたのだが、残念ながら、日本の大学図書館にはこのCRISPPがほとんど入れられておらず、上記の Vol.3, No.4 に至っては所蔵が皆無であった。

それでいったん諦めかけたのだが、「ちょっと待てよ…」と思い直し、今度はGoogleを使って、CRISPP のフルネームを直接入力し、検索してみたところ、何と CRISPP ウェブサイトそれ自体が存在しており、そこから有料で上記の論文を直接購入できることが分かったのである!

それで大いに喜んで、オンライン上でセッセと手続きを進め、Mastercard での精算手続きも済ませ、無事に購入申込を完了した。それが先月の28日のことである。代金は US $25であった。

そうしてその後、「この論文のコピーが航空便か船便で送られてくるにちがいない」と思い、昨日までずっと首を長くして待っていたのだが、いつまでたっても一向に送られてこない。「これはおかしいな…」と思い、先月はその受信を簡単に確認していただけの注文確認メール(purchase confirmation)を今度はよくよく読んでみたところ、次の注意書きに目が点になった:

Note that purchased articles are available to view online or download for 72 hours from the time of purchase. No print article is supplied.

「ん? 購入時から72時間以内にダウンロード?? プリントされた論文は提供されない…???--シマッタ!!」 要するに、郵便でハードコピーが送られてくるのを待つのではなく、購入から三日以内にPDFファイルをオンラインでダウンロードすべきだったのである…!!

しかし、当然すでに期限切れ(expired)となっており、先の購入代金25ドルは、この失敗の代償として泡となって消えてしまった。結局、もう一度手続きを最初からやり直し、再度25ドルを支払って、今度は即座にファイルをダウンロードし、昨日無事に目的の論文を入手できたのであった。

この失敗に我ながら笑ってしまったのは、購入手続きをオンラインで完了させるまでは時代に適応していたのに、それが終わった途端、「ハードコピーの郵送を待つ」という旧式の発想に逆戻りしてしまっていた自分が、妙に可笑しかったからである。考えてみれば、この“フラット化”の進んだ時代に、オンラインでのダウンロードこそが当たり前なのであった。

いずれにせよ、25ドルの「レッスン料」を支払って(?)、フラット化時代にふさわしい文献収集体験をすることができた。この経験を生かして、これからも研究に必要な文献収集にセッセと勤しみたいと思う。

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2007年11月30日 (金)

“ハイエク後の社会主義”の研究を断念

ここ数ヶ月ほどの間、“ハイエク後の社会主義”をめぐる議論を追ってきたが、その方向での研究を断念することにした。前回の記事で言及した David L. Prychitko, Markets, Planning and Democracy: Essays after the Collapse of Communism (Edward Elgar, 2002) をその後速読してみたのだが、Burczak にせよ Prychitko にせよ、ここでの議論は多分に経済学の分野におけるそれであり、これについて私の出る幕は、どうもなさそうだからである。このことについては、実は前回の記事を書いた11月15日の数日後に最終的な判断を下したのだったが、これまで記事を更新できずにいたため、ここに書くのが今日になってしまった。

きわめておおまかな要約であるが、私の読み取ったところによると、要するにここでの議論の焦点は、ハイエクの知識論を取り入れた「経済民主主義」の実現が可能かどうか、ということである。Burczak の『ハイエク後の社会主義』がそれを可能だとし、ハイエクの社会主義経済批判を乗り越える形での Labor-Managed Firm が可能だと考えるのに対して、オーストリア学派の Prychitko はそれを不可能だとし、むしろ経営者の企業家精神が重要だと考えている、というのが両者の間での違いのようである。

いずれにせよ、ここでの議論の主たるテーマは、「社会における知識の分散」を説いたハイエクの知識論をめぐるものだった。他方でハイエクが唱えていた自生的な秩序原理をめぐる問題は--私の期待に反して--議論の対象とは結局なっていなかったのである。

そのようなわけで、私が次に書こうとしている論文のテーマとして“ハイエク後の社会主義”の動向を取り上げることは、きっぱりと断念することにした。経済学の専門的な訓練を私は全く受けていないからである。

その代わりに既にここ2週間来、進み始めている研究方向は、実は、マイケル・ポラニーの自生的秩序論についてである。拙著『ハイエクの政治思想』の補論1で、ハイエクとポラニーの全体主義批判の違いについて論じたのだが、それを受けて、今度はポラニー自身の議論を本格的に追ってみよう、と考えたのである。

拙著の補論1でも書いたように、「暗黙知」や「自生的秩序」の概念を取り入れる上で、ハイエクがポラニーからの影響をはっきりと認めているにもかかわらず、その内容は、実はかなり相違している。そのポラニーの議論を「もう一つの自生的秩序論」として本格的に研究する価値はあるにちがいないと思うのである(少なくとも今の段階ではそう思っている)。調べてみると、すでに英米では盛んに研究されているようである。そうした研究動向を踏まえつつ、私自身の研究がどのように進捗しているかについては、また機会を改めて、本ブログに書き綴っていくことにしたい。

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2007年11月15日 (木)

ハイエク後の社会主義をめぐって:Th. Burczak と D. Prychitko

前回の記事で述べた Shearmur の本を速読したところ、だいたいその主張をおおまかにはつかめた(あるいは再確認できた)ので、別の本に移ろうと思い、以前に入手しておいた次の書物を研究室で今日ふと手にとってみたところ、この本が Burczak の Socialism after Hayek に非常に関連の深い書物であることが分かった:

David L. Prychitko, Markets, Planning and Democracy: Essays after the Collapse of Communism (Edward Elgar, 2002)

著者の Prychitko は、本書掲載の著者紹介によると、米国の北ミシガン大学経済学科長であるとともに、同じく米国のジョージ・メイソン大学--公共選択学派のメッカ--のジェイムズ・ブキャナン政治経済学センターでの「市場と制度」研究プログラムの Faculty Affiliate(「研究員」とでも訳せばよいだろうか)である。本書の Introduction によると、彼はハイエクが属したオーストリア学派の立場に立ちつつも、ハイエクを真剣に受け止めつつ社会主義を再生させようとするポストモダン・マルクス主義者--Burczak はその論客の一人であるが--との議論を真剣に続けてきた研究者である。

本書の Introduction を読むと、ベルリンの壁崩壊以降、市場と社会主義との関係をめぐって、すでに1990年代から活発に議論が重ねられてきたことがよく分かる。その議論を消化しつつ、わが国の状況に照らし合わせて考察を深めることは、ハイエク研究者の一人として、為すべき仕事の一つかもしれない。10月30日の記事で、「Burczak を読み進めることはいったん中止する」と述べたが、オーストリア学派の立場に立つ Prychitko を他方に置くことで、また新たに見えてくることもあるかもしれない。

とはいえ、この議論は政治学というよりは経済学の分野に近いのだが、経済学のみというわけでもない。むしろ、政治経済学の分野に属するといえるだろう。現にPrychitkoは「比較政治経済学」(comparative political economy)という言葉を使っている(上掲書, p. 1)。数理経済学ではないので、政治学畑の私にもついていける議論だろう--と信じて、今後はこの Prychitko の議論と照らし合わせつつ、Burczak の“ハイエク後の社会主義”の議論についての検討を再開しようと思う。

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2007年11月13日 (火)

精読と速読

本ブログを10月30日(火)に更新してから、いつの間にか、もう二週間が経ってしまっていた。前回の記事で挙げた2冊のハイエク研究書のうち、そのときに「明日から読もうと思う」と書いていた Espada の本ではなく、実は Shearmur の本を読み始めている。というのも、こちらの方がハイエク思想の全体像に真正面から取り組んでおり、よく考えてみると、私にとってこちらの方が気になる書物だということを再認識したからである。

ところが、実は今まで、この本を少し読みあぐねていた。というのも、一字一句逃さずに、細部にわたって精読することが私の得意とするところなのだが、逆に言うと、それは私には“精読”にこだわりすぎる傾向があるということであり、それが今回はかえって逆効果となっていたからである。

実を言うと、この Shearmur の Hayek and After という本は、非常に読みごたえのある本である。言い換えれば、なかなか読み進めにくい本なのである。論じられている内容も多岐にわたっていて、この著者のハイエクに真正面から取り組む姿勢には大いに感服するのだが、その中には、必ずしも今の私の問題意識に深くかかわるわけではない論点も数多くある。

ところが私には、とにかく最初から順番に一字一句逃さずに、じっくりと味わって読んでいこうとする癖があって、それが時には災いとなるのである。効率が悪くなり、そのうち、読書が苦痛になってきて、なかなか進まないことに対するフラストレーションがたまっていくことになる。

こういうときは、もうひとつの読書のスキルである“速読”を活用すべきだろう。それは、目次を読んで内容を予測することや、各段落の最初の文章のみをまずは拾い読みしていき、議論の大筋のみをまずはつかんでおく--といった方法である。この本には小見出しもたくさん付けられているが、目次にはそれが掲載されていない。そこで私は、かなり以前に、小見出しも含めた詳細な目次を手作りで作成しているのである。その詳細目次を活用して、私の問題意識に照らし合わせて、まず読んでおきたい小見出しのところを優先的に読んでもよいはずなのである。

実はこういった“速読”の方法を、1年生向けの基礎演習という授業では、学生に対して教えている(毎週水曜日の1講時目、つまり明日の朝である)。学生に対して教えているのに、自分のこととなると、ついついこれまでの「精読にこだわるクセ」が顔を出す--というのは、やはり矛盾しているというものだろう。

論文は来年3月が締切だし、もうひとつ、ハイエク全集第Ⅱ期政治学論集の翻訳の仕事も3月締切であることを考えると、もっと研究のテンポを上げていかねばなるまい。ここはひとつ、“速読”のスキルを活用して、研究のスピードをもっと上げていこうと思う。

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2007年10月30日 (火)

『ハイエク後の社会主義』を読む(4)

本ブログ10月12日の記事で挙げておいた文献を頼りにアマルティア・センについて--とくにその「潜在能力アプローチ」について--おおよその知識は得たので、それを踏まえつつ、『ハイエク後の社会主義』(Socialism after Hayek)第5章を読んだのだが、その読後感は、「う~む…ちょっと難しいなぁ……」というものだった。

その「難しい」というのは、今すぐ私自身の問題関心とうまく融合させるのが難しい、という意味である。というのも、著者Burczak のねらいが、ハイエク的自由主義の欠点を克服しつつ、それを発展させていく--ということよりも、むしろ、あくまでも社会主義の現代的再生のために、ハイエクをその再生のための試金石に(のみ)活用することにこそあるということが、本書第5章(あるいは第6章以降)の議論から、よく見えてきたからである。考えてみれば、本書の表題そのものからして、それは当然のことだったのかもしれない。

だが、現在の私の問題関心は、あくまでも自由主義の立場に自らを置きつつ、ハイエクの限界をいかにすれば克服できるかという問題の探求にあるから、その私自身の問題意識と本書のそれとは、(少なくとも現段階では)うまく融合させにくいのである。私自身は旧ソ連崩壊以降の社会主義陣営内での議論状況に通暁していないため、本書の議論にこれ以上ついていくことは、少なくとも現段階においては、少々苦痛を伴うものとなってきた。

そこで、とりあえず本書を読み進めていくことはここで止めて、明日から別の書物へと移ることにした。それは、次の書物である:

J. C. Espada, Social Citizenship Rights: A Critique of F. A. Hayek and Raymond Plant (Macmillan Press, 1996)

本書は、自由主義の立場に立ちつつ、ハイエクの新自由主義とR・プラントの社会主義とを共に批判した書物であり、英オクスフォード大学で博士号を取得した学位論文である。すでに以前にも一度、かなりの程度読み進めた本なのだが、まだ最後までは通読していないので、今回、新たな気持ちで再読してみたいと考えたのである。

また、次の書物も、すでにかなり綿密に読み進めてきたものの、まだ完全には消化し切れていない本である:

J. Shearmur, Hayek and After: Hayekian liberalism as a research programme (Routledge, 1996)

本書も自由主義の立場に立っているが、その特色はフェビアン社会主義者だった青年ハイエクにも目を配りつつ、ハイエク的自由主義のジレンマを鋭く指摘している点にある。そのジレンマの指摘にかんしては拙著『ハイエクの政治思想』の執筆に際してかなり活用させていただいたのだが、著者自身の思想的立場についてはまだ消化不良に終わっているので、この本も依然として気になっている書物なのである。

そのような訳で、今後は上記の2冊を読むことで、研究を進めていこうと思う。『ハイエク後の社会主義』の読書は、現在の自分にとって、今すぐ研究成果につながるものではなかったが、研究プロセスにおいて、こうした試行錯誤は常につきまとうものである。くじけず、柔軟に粘り強く、これからも研究を進めていきたい。

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2007年10月15日 (月)

翻訳の仕事は毎日少しずつ

現在、研究面では、来年3月までが期限の仕事を二つ抱えている。論文1本の執筆(のための読書)と『ハイエク全集』第Ⅱ期第5巻「政治学論集」の翻訳、この二つである。

授業の合間を縫ってのこの研究の仕事については、これまで、この二つを隔週で交互に行っていく方針だった。だが、そうではなく、双方共に毎日少しずつ行なう方針に変えることにしようと思う。というのも、特に翻訳の仕事が、まとまった長い時間、集中的に行なうのはかなりハードだということが分かったからである。研究面で1週間まるまる翻訳だけ--というのは、少なくとも今の私にとっては、かなりきつい…。

やはり翻訳というのは神経を使う仕事である。だから毎日少しずつ進めていき、それをこまめに積み重ねていこうと思う。ちょうど語学の勉強のように。

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2007年10月 2日 (火)

毎日少しずつ着実に、そして部屋は整理整頓

昨日から秋学期の授業期間がスタートした。年末年始の休みを挟んで、来年1月までの4ヶ月間、授業が続くことになる。幸い、順調に滑り出すことができた。体にエンジンがかかってきたように思う。体力も徐々に回復してきたようだ。

やりたいこと、やるべきことは、なかなか沢山ある。試みに書き出してみよう。

○研究:来年3月までに論文1本執筆(そのための文献精読)、同じく3月までに春秋社刊ハイエク全集第Ⅱ期第5巻政治学論集の翻訳

○教育:隔週で週6コマあるいは8コマの授業(そのための準備を含む)

○委員会関係:学生委員会、広報委員会、FD推進委員会等の諸委員会の仕事

○クラブ・サークルの顧問:サッカー部、フットサル部、軟式野球サークル、ソフトボールサークルの練習を、時々見に行ってあげること(あまりできていない…)

○英語:通訳トレーニング入門(毎晩30分ほど)、ECC英会話学校への通学(毎週土曜日午前、ただし仕事が土曜日にも入ることが先月は多くて、ほとんど行けていなかったが…)

--などなどである。

これらの仕事をコンスタントにこなしていくためには、うまくスケジュールを組んで、毎日少しずつ進めていくことだ--と改めて実感している。それも、できるだけそのスケジュールを定期的なものとし、それを習慣づけた方がよい。授業の時間割は動かせないものとして定められているから、それ以外の時間に他のことを組み入れていくことになる。

週ごとの仕事のリズムが完全に定まるまで、まだもう少し手探りの状態が続きそうだが、今月半ばぐらいには、だいたいの要領が分かってくるだろう。どうやら研究の時間は、私の場合、やはり朝食前の早朝の時間を利用するしかなさそう(あるいはそれがベスト)である。

順調に滑り出せた大きな要因の一つは、部屋を整理整頓したことだった。研究室も自宅の部屋も、少々乱雑になっていたので、先月末に思い切って整理整頓を敢行したのである。おかげで、気分がスッキリした。

また、大学の仕事は自宅に持ち帰らないことにした。それにこれからは、夏・冬・春休みでも平日には大学に行って、休み期間中の研究は、自宅ではなくて研究室で行うことにした。私の場合、その方が生活のリズムにメリハリがつくことが分かったからである。現在、自宅に置いてある本を、毎日少しずつ、研究室に持って行っているところである。自宅では語学の勉強に限ることにした。その方が、自宅の部屋もきれいに保ちやすいからである。

いずれにせよ、大切なのは、そうしたリズミカルなスケジュールのなかで、毎日少しずつ進んでいくことだと思う。一気に進もうとしない方がよい。毎日着実に、少しずつ。少しずつでよい。その積み重ねが、大きな成果へとつながっていくのだから…。

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2007年5月21日 (月)

国際シンポ「持続可能な発展のための民主主義」に参加

5月18日(金)~20日(日)の三日間にかけて京都大学大学院人間・環境学研究科で開催された国際シンポジウム「持続可能な発展のための民主主義」に参加してきた。といっても、校務の関係で、参加できたのは二日目の午前中までだったが、それでも得られたものはなかなか大きかった。

初日の午後1時からスタートした基調講演には間に合わなかったのだが、同日2時より始まった第1セッション「持続可能な発展のための環境ガバナンスを支える民主主義の理念と実践」での報告や討論から伺えたことは、環境問題の解決にむけて、民主主義が一つの試練にさらされていることだった。というのも、民主的な政治決定が必ずしも環境問題の迅速な解決に寄与できるわけではないため、環境問題の解決のみを考えるのであれば、むしろ一種の環境エリートによるプラトン的な“哲人王政治”の方がよいようにも思われるからである。かつて倫理学者の加藤尚武氏はその著『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー)で世代間倫理の重要性を訴えた上で、その世代間倫理の要請が、往々にして現世代の利益しか考えようとしない民主主義に対して重大な挑戦となっていると指摘していたが、その問題が今まさに問われているのだということを改めて痛感した。

二日目の午前に行われた第2セッションでは、中国が取り上げられた。「中国における環境ガバナンスの現状と課題」と題されたこのセッションにおける3名からの報告の中で、特に私の注目を惹いたのは、第2報告者の包茂紅・北京大学教授による、中国の環境NGOの活動についての報告だった。まず中国における環境NGOの数が現在2,768にも上るという事実に驚かされた(これは日本の環境NGOの数をはるかに上回るのだそうである)。包教授によると、1978年に中国最初の環境NGOができたが、1994年以来増加し始め、現在に至っているのだという。

だが、その中国の環境NGOにきわめて特徴的なのは、実はそのNGOが、NGOであるはずにもかかわらず、実は一種の「官許」によるものが多いということである。すなわち、中国での環境NGOのうち、49.9%が実は政府によって上から組織されたNGO--これをGONGOというのだそうである--であり、草の根のNGOは7.3%にすぎない。彼らの活動は、政府を批判するものというよりは、むしろ政府が環境問題に取り組むのを助けるのを目的としているのだ、というのである。従って、こうした活動が中国の民主化につながると単純に楽観視できるわけではない、というのが包教授の主張であった。というのも、包教授によれば、環境NGOが反政府勢力になるのを防ぐために、政府によって規制された枠組の内部でのみ、その活動は許されているからである。それゆえに、中国における市民社会形成の道のりはまだまだ長くなりそうである--というのが包教授の結論であった。本ブログで以前に書いた中国における独特の国家-社会関係のあり方(こちらこちら)が、ここにも現れているように思う。

その第2セッションでもう一つ私の注目を惹いたのは、オーストリア国立大学のキャサリン・モートン教授による第1報告のなかで、(市場主義者の主張にもかかわらず)土地の私有化がかえって環境悪化につながる場合が中国において発生しているという指摘がなされていることだった。その報告ペーパーでは簡単に指摘されているだけだったので、この点について質問し、さらに詳しい話を聞いてみたいと思ったのだが、校務の関係でもう出発する時間になってしまったので、そのセッションの終了を待たずに会場を後にしなければならなかったのは大変残念だったが、今後私が自由化と環境問題との関係を考えていく上で、重要な示唆を得ることはできたと思う。

この国際シンポジウムに参加して、もう一つの嬉しい収穫は、これまで参加してきたいくつかの国際シンポジウムの中で、英語の聞き取りが最もよくできたことだった。報告者の発音が大変明快だったことも大いに助けになったが、それにしても大体80%~90%ぐらいは、直に聞いて理解できたような気がする。とはいえ、ちょっと気を抜くとやはり分からなくなるので、同時通訳に頼ることもあったが、そのイヤホンがなくとも聞き取れることがたくさんあったことは、とても嬉しかった。それとともに、同時通訳者の方々(そういえば全て女性だった)のすばらしい力量には、改めて驚嘆した次第である。

今回、このシンポジウムに参加できたのは、その実行委員長を務められた足立幸男・京都大学大学院人間・環境学研究科教授(公共政策学)より、その開催のお知らせをいただいたおかげであった。またそのシンポジウムで、足立先生門下の研究者や共同研究者の皆さんに(久しぶりに、あるいは初めて)お会いでき、旧交を温めるとともに新たな出会いにも恵まれたことは、大変有難いことだった。この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第である。

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2007年4月27日 (金)

中国政治経済の勉強を開始(3)

本ブログ4月13日の記事に書いた理由により中国政治経済の勉強を始めているが、参考までに、これまでに私の読んだ主な文献の中から、特に感銘を受けたものを挙げておくと(かなり以前から読んでいたものも含めて)、以下のとおりである:

○木村雅昭 『「大転換」の歴史社会学-経済・国家・文明システム-』(ミネルヴァ書房、2002年)

私の恩師の御著書。比較史的方法を駆使して近代市場社会成立の背景を分析したもので、市場原理主義や新古典派経済学が孕む今日の問題状況が見事に解明されている。中国が取り上げられているのは、その「第九章 帝国と経済体制-中国」においてである。もとより、この第九章の議論を本当に理解するためには、本書をすべて読み通した上で、その議論全体に通暁しておく必要がある。私はもちろん一度は通読しているし、いくつかの章は何度も読み返しているのだが、それでもまた読み返す必要がまだまだありそうだ。それほど重厚で浩瀚な書物である。

○野田宣雄 『二十世紀をどう見るか』(文春新書、1998年)

新書ではあるものの、20世紀末から21世紀にかけての歴史的大変動を、(私なりに図式化すれば)《グローバル化による国民国家の危機 → エスニーと帝国の復活=「中世への回帰」》 という歴史認識によって、鮮やかに解き明かした名著。その第7章で中国のことが論じられている(「中華帝国と日本」)。改革・開放路線を鄧小平独特の帝国支配への復帰の試みと捉える視点は、非常に示唆的である。

○三宅康之 『中国・改革開放の政治経済学』(ミネルヴァ書房、2006年)

現代中国の政治経済を分析するに当たって、国家中枢と基層社会の狭間に位置しているが故に統治の矛盾の集約点となる地方指導部に視点を据え、中央地方政府間関係を軸として、共産党独裁体制の統治の内実とその実質的変容に迫った力作。その議論の主旨については一応理解したつもりではあるのだが、その詳細な分析についてはまだ綿密に消化できていないため、また読み直す必要がありそうである。

○滝田豪 「中国農村における公共性の危機-基層政権の「不良債権化」と「企業化」-」『日中社会学研究』第13号(2005年10月)53-72頁

いただきものです(滝田さん、ありがとうございます)。現代中国の市場経済化のなかでの農村基層政権の有様を明快に分析した論考で、そこにおける公共性が私的に融解している実態が鋭く描かれている。私はここに、中華帝国において伝統的だった家産制的支配における、いわば「私物化された公的権力」(とでも言うべきかと私は思うのだが)が中国農村に根強く生き残っている有様を、まざまざと見せつけられた思いがする。中国における政治文化のあり方がその市場経済化に及ぼす影響に、深く思いを致さずにはいられなかった。

以上4つの文献が、これまで読んできた中で特に感銘を受けたものである。もちろん、まだまだもっと読んでいかねばならない。これからも私なりに勉強を続けていき、本ブログにも、その経過を折に触れて書き留めていこうと思う。

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2007年4月24日 (火)

中国政治経済の勉強を開始(2)

授業の合間を見て、中国の勉強を少しずつ続けている。私にとって全く未知の分野であり、まだ勉強を始めたばかりなので、試行錯誤の連続である。現代中国の政治経済の根底にひそむ社会構造や政治文化のありさまについては、まだまだよく分かっていない。

それでもおぼろげながらに分かってきたことは、中国では、人的ネットワークが決定的な役割を果たしており、それが企業の経営組織においても、中央・地方政府での権力関係においても、非常に重要な要因となっているらしいということである。そのために、往々にして公と私とが融け合ってしまい、権力が私的に行使されることが多くなってしまうらしいのである。そこには、中国が伝統的に帝国でありつづけたこと、その帝国において家産制的な支配が行われてきたことが強く作用していると言えそうである。このことは、現代中国の改革開放路線において、大きな混乱要因となっているかもしれない。

しかしこれはまだ、私にとってはおぼろげな理解にすぎないので、まだまだたくさん本を読んでいかねばならない。幸い、私にとって重要となりそうな文献にどんなものがあるかも徐々に分かってきており、その注文も今日できたので、入手でき次第、読み進めていこうと思う。私の中国勉強は、まだまだこれからである。

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2007年4月20日 (金)

Googleアラートで温暖化ニュースをチェック

最新のニュースを追っておくことは、私の重要な仕事の一つだが、最近、そのために便利な方法を知った。「Google アラート」の利用がそれである。

利用方法は非常に簡単である。まずはGoogleのサイトにアクセスし、そのニュースのページにある「ニュースアラート」のページに行く。そこで検索用語を指定し(たとえば「温暖化」)、自分のメールアドレスを登録すれば、その用語関連のニュースを報じたヘッドラインのリンクの一覧が、メールで送られてくるのである。そのメール送信の頻度も設定できる(私の設定は「1日1回」である)。あとはそのリンクを辿ればよいだけだから、非常に便利だ。必要と感じたものはプリントアウトしてファイルに綴じておくことにすれば、簡単に保管もできる。

そこで手始めに、“温暖化”と“IPCC”を検索用語として試しに登録してみたところ、IPCC関連は何日かに一度だけだが、温暖化関連は毎日アラートメールが届くようになった。また、英語のニュースも気になるので、英語版Googleで"global warming"を登録しておいたところ、これも毎日送信されてくる。いかに温暖化が大きな関心事になっているかが、このことからも分かるというものである。

その温暖化関連のニュースで最近目立つのは、「地球温暖化問題が国連安保理で初めて議題になった」というニュースである。イギリスの強い要請でそうなったようだが、米・中の抵抗により、今回は公開討論のみとなり、決議は採択されないという。しかし、議題として取り上げられるようになったこと自体は、大きな一歩だと言うべきだろう。

そのような世界の動きの一方で、日本政府から未だに温暖化防止に向けて積極的な姿勢が見えてこないのが大変残念である。安全保障という観点からも、わが国の政府はもっと真剣に温暖化問題に取り組むべきではないだろうか。

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2007年4月13日 (金)

中国政治経済の勉強を開始

実は最近、本欄3月30日に書いたテーマと並行して、中国の政治経済についても勉強を開始した。それは以下に述べる理由からである。

私の勤める皇學館大学が、北京にある中国社会科学院・日本研究所と、実は2003年10月に学術研究交流協定を結んだ。私の所属する皇學館大学・社会福祉学部には「地域福祉文化研究所」が附置されているのだが、研究交流協定に基づいて、その附置研究所が中国社会科学院・日本研究所と「日中福祉文化の研究-地域と家族をめぐる福祉課題-」というテーマで共同研究していくことが昨年3月に決まり、その共同研究プロジェクトが少しずつ動き始めている。私自身は(今のところまだ)その附置研究所の所員ではないが、その共同研究への協力を依頼されていて、来年度に何らかの研究報告をすることを求められているため、中国の政治経済について、勉強し始める必要が生じてきたのである。

実を言うと、研究テーマとしての中国には、少々苦い思い出がある。というのも、大学4年生の秋に大学院合格が決まった後、翌年4月の進学に備えて研究テーマを何にするか考えていたときに、実は一度、中国研究を考えたことがあったものの、それをスグに諦めることになってしまったからである。

その時の私は、資本主義と社会主義の問題を考えるフィールドとして、中国を漠然と思い浮かべたのであった。そのため、中国語の勉強にもほんの少しだけ着手したこともある。しかしながら、その当時の未熟きわまりない私には、「資本主義と社会主義の問題を考えてみたい」という漠然とした理由を超えて、もっと具体的にどういう視角から中国研究を進めればよいのか、シッカリとした研究目的が全く見えてこなかったため、結局断念したのである。それと同時に、中国語の勉強も放棄してしまうことになった。それ以来、研究対象としてハイエクを選び取るまでの間、文字通りの“迷走”を続けることになったし、そのハイエク研究ですら、修士課程の2年間の間は全くモノにならなかったため(ようやく最初の公表論文の原稿を仕上げることができたのは博士課程の2年生のときであった)、精神的に非常に苦しい時期を味わうことになったのである。

そのような経緯があったため、いまでも中国のことを考えるとき、あの頃のことが甦ってきて、胸が少々締め付けられるような感じさえしてきたのである。いま思うと、それはちょっとした劣等感にもつながっていたように思う。だから、上記の日中研究交流に基づく仕事の話が私にも及んできたとき、実は内心かなり気が重かったことは否定できない。

しかし、見方を変えれば、あのとき自分の中で研究テーマとして中国を思い浮かべたとき、その当時は全く分からなかったとはいえ、やはり、研究すべき“何か”を、漠然とではあれ、自分の中に直観的に感じ取っていたのかもしれない。それが今になって、機が熟してきたことにより、中国研究の話が私にも舞い込んできた、と考えることもできるのではなかろうか--そう思い直したとき、「よし!やってみよう!!」と勇気を振り絞ることができたのである。それはまた、大学院進学を控えて、不安で不安で仕方なかった頃の自分に対する苦いマイナスの思い出を、逆にプラスの思い出に切り替えることのできた瞬間でもあったように思う。

中国に関する書物はそれこそ汗牛充棟であり、「どれから手を付けてよいのやら…」と目が眩みそうになりそうなものだが、私の場合、非常に幸いなことに、私の出た京大法大学院(政治学専攻)には、私の恩師はもちろんのこと、当時の大学院生仲間(先輩・同僚・後輩)に、中国をはじめとした東アジアあるいは東南アジアの優秀な研究者がたくさんいて、個人的にも親交があるから、何から読み始めればよいかについて、迷う心配は全くなかった。考えてみれば、大変有り難いことだと思う。

曲がりなりにも、これまでのハイエク研究に一段落を付けられた以上、ハイエク研究をしてきた者の立場から、何か新たな視点を打ち出すことも決して不可能ではないだろう。そう信じて、新たな歩みを一歩一歩進めていきたいと思う。

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2007年4月11日 (水)

頭脳明晰な早朝の時間

昨夜は9時半には床に就いた。おそらく10時頃には眠りに落ちたと思う。そのおかげで、今朝はずいぶん早くに目が覚めた。なんと午前3時前である。もっとも、それは、その時間に消防車の音がけたたましく鳴っているのが聞こえたためであったのかもしれない。しかし、その後すぐに再び眠るのではなく、パッチリ目が覚め、体も爽快だったことを考えると、やはりそれは“早寝”の効果だったと思う。

しばらく横になったままでいたのだが、もうスッカリ目覚めてしまったので、本を読むことにした。それは以前に、帰りの電車で夕方に読んでいたときには、あまり頭に入ってこなかったものだった。ところが、今朝早くに読んでいると、不思議にもスーッと頭に入ってきて、スムーズに理解できたのである。

これには2つの要因があったように思う。一つは睡眠により疲れが取れていたこと。もう一つは気分がゆったりしていたことである。以前に帰りの電車で夕方に読んでいたときには、その日の仕事で少々疲れていたし、それに焦りの気持ちもあった。それだけに、今朝の読書との理解度の違いに、改めて驚いたのである。

やはり早朝の時間は、私の経験では、頭脳が明晰な時間帯のようである。もっとも、早起きできるためには、あまり心配しすぎないことも大切だろう。というのも、ここ数週間は、授業シーズンの開始を目前にして、少々、取り越し苦労が過ぎてしまっていたため、思うように早起きできなかったからだ。それでも幸い、だいだい授業の日々を順調に送れるだけの最低限の目処はたってきた。いよいよのときになると不思議に腹が据わるのは、私の性格の有り難いところだ。

今日からいよいよ授業が開始される。今日の9:10からの1講時目から早速私の担当授業が幕を開ける。今日は早起きできたおかげで、気持ちにも余裕を持てているようだ。

これからも心をゆったりとさせ、早寝早起きを続けながら、早朝の時間を生かしてコツコツと研究を続けつつ、授業にもシッカリ取り組んでいきたいと思っている。

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2007年3月24日 (土)

研究者同士のつながりの大切さを改めて実感

本欄ですでに書いてきたように、拙著『ハイエクの政治思想』(勁草書房)が上梓され、書店にも並べられているようだが、それに先だって、120名あまりの研究者の方々にその拙著を謹呈させていただいた。大変ありがたいことに、その献本への御礼状が、電子メール、手紙、それにハガキで、私の手元に届くようになった。本当にありがたいことである。

学界での本書への評価がいかほどのものになるかは、これから徐々に定まってくるだろうが、とにもかくにも自分のこれまでのハイエク研究を一つの形にまとめ上げ、大きな一区切りをつけた以上、今後はそれを基盤としつつも、自分の研究の幅を広げていく必要があるし、またそうしていきたいと強く思っている。

その際に非常にありがたいのが、研究者同士のつながりである。献本するために謹呈リストを作成したが、このリストを眺めていると、ここに載せられている研究者の方々とよくも出会えたものだと、感謝の思いで一杯になるのである。

今後、このつながりを益々大切にしつつ、お互いに切磋琢磨し合いながら、自分の研究業績を積み上げていき、世の中に少しでも貢献していきたいと、強く思う次第である。

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2007年2月27日 (火)

博士号取得へ向けて

昨日の午前中に、私の母校である京都大学大学院法学研究科の事務室を訪れた。拙著がまもなく出版される予定だが、その拙著を博士学位論文として提出することになるので、その際に必要な申請書類の様式をもらうためである。

考えてみれば当たり前のことだが、申請に当たっては、履歴書や論文要旨など、ちゃんとした書類を用意することになっている。その用意すべき書類のリストや、書類記入に当たっての注意事項を読んでいると、気の引き締まる思いがした。

かつて私は大学院の博士課程時代に、達成したい大きな目標として、3つのものを掲げたことがある。それは、博士号、就職、それに結婚である。この3つの目標を大学院生仲間にも公表し、「この3つが、はたしてどの順番でかなっていくことになるか?」とか、「結婚するなら、どんなタイプがいいのか?」などといったことを話の材料にして、大学生協食堂で冗談を言い合ったものである。

この3つのうち、まず最初にかなったのは就職で、平成10年(1998)4月に皇學館大学・社会福祉学部で政治学担当の専任講師となることができた。平成14年(2002)4月には助教授となって現在に至っている。次に実現したのは結婚で、同年9月に現在の妻と結婚し、おかげさまで、それ以来ずっと幸福な家庭生活を送ることができている。翌年9月には女児を授かったが、その娘の発育も順調で、昨年9月に3歳となった。早いもので、この4月からは3年保育で幼稚園に入ることになっている。

こうして最後に残ったのが博士号である。それもいよいよ、具体的に申請に向けて動き出せる段階を迎えることになった。上記の3つの目標を持つようになったのは、たしか平成8年頃だったから、それからもう10年以上も経ったことになる。

いざ博士学位論文の提出を具体的に意識し始める段になると、「これが一体どんな評価を受けることになるのだろうか?」とか、「口頭試問ではどんな質問がされるのだろうか?」といったことが、にわかに頭に浮かんできて、多少不安にならないでもない。だが、今さら躊躇していても始まらないので、勇気を持って、必要な準備を着実に進めていきたいと思う。

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2007年2月25日 (日)

法理学研究会で研究報告

昨日の2月24日に、法理学研究会で研究報告をする機会を与えていただいた(同志社大学・光塩館にて)。法理学研究会(略称:法理研)というのは、1933年に発足した、まことに伝統ある研究会である。その由緒ある研究会で、これまで私は折に触れて研究報告をする機会を与えていただいているので、大変ありがたく思っている次第である。

今回でたしか5度目の報告だったように思うが、今回の報告内容は、この3月に出版される拙著『ハイエクの政治思想-市場秩序にひそむ人間の苦境』(勁草書房)の第4章を要約したものであった。

その内容をできるだけ簡単にまとめてみるならば、おおよそ、次のとおりである:

自生的秩序論で知られてきたハイエクの市場秩序論は、その“自生的”という言葉がもたらす第一印象とは異なり、実は本質的な意味で政治権力の必要性を認めるものであった。というのも、ハイエクによれば、あるがままの生身の人間は市場における自由競争の厳しさに堪えることを欲しないから、政治権力によって市場に踏みとどまらせない限り、ともすれば自由競争から逃れようとするからである。

自由競争において、努力をした者がその努力の程度にふさわしい結果を得るわけでは必ずしもない、とハイエクは冷徹に主張する。というのも、ハイエクによれば、努力の程度とは無関係の「運」の要素も大きく影響するし、それに何よりも、ハイエクに言わせれば、人間は無知の存在であり、その能力には限りがあるからである。したがって、ともすると、人間はその厳しい市場競争から逃げ出そうとする。しかし、自由競争が広く行われることが社会全体の活力維持のためには必要不可欠だから、人々を市場競争に踏みとどまらせるには、政治権力の働きが不可欠となるのである。

たしかにハイエクは、市場秩序を人間の設計によって出現させることは不可能だと説いていた。ハイエクによれば、市場秩序の出現は、政治権力によらない自生的な社会過程を通してのみ可能である。しかしながら、その市場秩序の自生的な出現は、決して“円滑な”ものではなかった。というのも、厳しい競争を課す市場原理は、人々の嫌悪するものだったからである。むしろ、一種の歴史的偶然による“意図せざる結果”として、なかば奇跡的に出現できたのが市場秩序だった。したがって、自生的かつ偶然にも奇跡的に出現できた市場秩序を、その出現後も人々の反発から守り抜くためには、政治権力の働きが必要不可欠となるのである。

以上のまとめは、非常に簡略化したものであり厳密性に欠けるので、詳しくは拙著を読んでいただきたいのだが、それでも今回の報告内容の骨子はだいたい表現できていると思う。

先にも書いたように、以上の報告内容は、今度出版される私の本の内容に基づいたものであり、自分なりにハイエクを繰り返し読み、考え抜いた末に到達した結論である。しかも、書物としてもうすぐ世に出ることになるのだから、今さらジタバタしても始まらないはずであった。

しかしながら、いざ研究報告を間近に控えてみると、「これで大丈夫だろうか…。思わぬ欠陥が潜んでいて、手厳しく批判されはしないだろうか…?」などという不安が頭をよぎった。そうなると、法理研での3度目の研究報告(3~4年ほど前の)で少し失敗した記憶もまざまざと甦ってくる。「あのときはまだ試行錯誤の真っ最中の報告だった。今回はそうではない」と自分に言い聞かせても、まだ不安は去らなかった。「実際、本に書いておいて、その本がまもなく書店に並ぼうとしているのに、もう後には引けないのに、今さら何を不安がっているのだろう…」と、自分で自分を可笑しく思ったものである。

最後には覚悟を決めて、腹を据えて研究報告に臨んだのだが、幸いにもおおむね好評で、論旨に関わる致命的な欠陥を指摘するコメントは一つも出なかった。参加者の先生方から、むしろ好意的なコメント・質問をいただいてホッとした。「大変勉強になりました」というお声も、研究会終了後に幾人かの先生方からいただいたことは、望外の喜びであった。

今回の研究報告での好意的な反応によって、もうすぐ世に問われる拙著への自信を少しは深めたのだが、もちろん最終的には、実際に世に出てみないと分からない。しかし、私なりにハイエクの思想体系に徹底的に取り組んだ末に生み出された成果であることは間違いないので、それが書店に並ぶ時を、今は心静かに待ちたいと思う次第である。

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2006年12月19日 (火)

ただいま索引作成中

ここのところ、授業等の合間を縫って、本の索引作りにかかりっきりになっている。いざ作り始めてみると、意外と時間のかかる作業だということが分かった。190~200程度の項目を挙げ、その項目が載っているページ番号を一つ一つ挙げていく。やってみると、なかなか根気のいる作業である。

これまで、本を読む場合に、索引欄の存在を当たり前のように思ってきたが、いざ自分が作り始めてみると、いかに手数のかかっているものかがよく分かる。索引欄の分量はページ数にするとほんの4ページほどだが、そこに挙げられている項目とページ番号のひとつひとつに、貴重な労力が費やされているのである。

それにしても、索引を作っていると、自分の文章の中でどのような言葉をどれだけの頻度で使っているかがよく分かって面白い。文章を書いているときとはまた別の面から、自分の文章の性質を改めて発見できる。

その作成作業は、ようやく半分を過ぎたところだ。丁寧さが要求される地味な作業だが、着実に進めていきたいと思う。

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2006年12月14日 (木)

出版作業に役立つ本

先週の土曜日に再校刷が手元に届いたので、現在、再校作業中なのだが、その際の重要な仕事が、索引をつくることだ。今週は、その索引の原稿作りに取り組んでいる。

こうして、出版に向けて順調に事が運べているのだが、その際、本の出版が初めてである私にとって、大変役に立ってくれているのが、次の書物である:

中村健一『論文執筆ルールブック』(日本エディタースクール出版部、1988年)

この本は「論文内容の書き方というより、印刷・出版用原稿の書き方の技術的部分に焦点を当て、とくに人文・社会科学系の著書および雑誌原稿の執筆を支援しようとする」もので(iページ)、編集者の立場から、執筆者の立場に立つ人々に向けて書かれている、というのが特徴である。

本書のまえがきには、次のような文がある:

出版物をつくるということは、執筆者と編集者および印刷・製本所との共同作業であるわけですから、もしこの三者のだれかが協調しないときにはよいものはできない、ということを覚えておいてほしいものです。

これは、本の原稿を書く者にとって、非常に大切なことだと思う。今回、初めて自分の本を出そうとするに当たって、この本は実にいろいろなことを教えてくれた。今回、出版に向けて順調に事を進めるにあたって、この本は大いに役立ってくれている。

残念ながら、日本エディタースクール出版部ウェブサイトの本書紹介ページによると、本書は現在品切れ中のようだが、こういう本は、私のような立場に立っている者にとって、必要不可欠な書物だと思う。将来、何らかの形で再版されることを願わずにはいられない。

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2006年11月17日 (金)

ただいま校正作業中

最近、本欄の更新が途切れ途切れになっているが、それは、前回の記事にも書いたように、現在、校正作業に専念しているからである。論文の校正ならこれまでに何度も経験しているが、本1冊分の校正は初めての経験なので、かなり慎重になっているのが自分でも分かる。

いま行っているのは初校の校正である。基本的には誤字脱字のチェックの作業のはずなのだが、初校に限っては、ある程度の加筆も認められている。本書中で取り上げているハイエク研究者の人物紹介を加筆することは編集者の方も了解済みであるが、それ以外にも、著者として、その主張内容をより明確にするために、少しだけさらに加筆させていただく箇所も出てきた。

脱稿したときには、文章内容それ自体としては、すべて「書き切った」つもりだったのだが、いま改めて読み直してみると、必ずしも意を読者に伝え切れていない箇所もいくつか目についたのである。それで、その箇所についても、少し加筆している。

それにしても、この初校での加筆作業をしていて分かることは、私がこれまで、ハイエクの政治思想体系の全貌をつかみ、それを表現するために、自分なりにいかに労力を費やしてきたかということだ。ハイエクの思想体系は複雑な陰影に富んでおり、単純な断定を許さないものであるがゆえに、その全貌を正確につかむために、非常に多くの時間を要してきた。その過程で研究に取り組んでいる自分の姿が改めて思い出されてきて、なかなか感慨深いものがあったのである。

とはいえ、そんな感慨にいつまでも浸っているわけにもいかない。ここまで来た以上、自分のハイエク研究を一日でも早く世に問い、その真価の判断を読者に委ねなければならないからだ。このあとも初校の作業を着実に進め、出版作業の円滑化に貢献したいと思う。

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2006年8月30日 (水)

出版予定の時期が確定

本欄8月8日の記事で脱稿したことを書いておいたが、このほど、出版社の方との話がまとまり、来年3月の刊行予定で出版作業を具体的に進めていくことになった。うれしい限りである。

どの出版社からの刊行になるかは、出版作業の最終段階になってから明らかにさせていただくことにするが、その編集者の方は、私がまだ駆け出しの頃からハイエク研究者としての将来性を見込んで下さり、「原稿ができ次第、すぐご連絡を」と声をかけ続けて下さっていたのである。

あれからもうどれぐらいになるだろうか。その編集者の方と初めてお会いしてからどれぐらいの年月がたったのか、よく思い出せないのだが、たしか、まだ私が大学院生の頃だったような気がする。だとすると、もうあれから、少なくとも10年近くの年月は経っていることになる。

その途上においては、本当に私がハイエク研究者の一人として“モノになる”かどうかについて、よく分からないと思われた時期もきっとあったに相違ないと思う。それでもずっと待ち続けていて下さったことに、深甚の感謝を捧げずにはいられない。

こうして振り返ってみると、つくづく、人との出会い、そのご縁というのは本当に大切だと思う。これからもその出会い・ご縁を大切にして、報恩感謝の気持ちで研究生活を続けていきたい。

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2006年8月11日 (金)

事典項目執筆ほぼ完了

昨日に着手した『イギリス哲学・思想事典』の執筆作業が、今日ほぼ完了した。まさかこんなに早く進むとは思ってもいなかったので、我ながら大変驚いている。

だが、よく考えてみると、これは当然の結果であるとも言えるかもしれない。というのも、その前に博士論文の執筆を終えていたが、今回の事典項目の執筆作業は、まさにその延長線上にあったからである。

昨日も書いたように、制限字数は4,800字だが、内容の濃い文章を書こうとするならば、4,800字分だけの力では足りない。むしろ、その4,800字の文章の背後に、もっと分厚い知識があって、それをギュッと凝縮させたものであることが分かる文章でなければ、密度の濃い文章にならないのである。

ところが幸い、この項目執筆に先立って、およそ原稿用紙400枚分=160,000字にわたる論文の原稿を仕上げていたので、その中から今回の仕事に関係する内容を踏まえた上で、それを凝縮させて書くことができた。

したがって、今回の作業に直接に着手したのは昨日だったが、もっと深い意味では、もうすでに、博士論文の執筆に取り掛かった昨年初めから、今回の項目執筆作業にも事実上取り組んでいたと言えるのである。

そういう意味で、今回、この事典の項目執筆の仕事をいただいたことは(依頼を受けたのは今年の4月だった)、私にとって実に時宜にかなったものであった。大いに感謝したい。

もちろん、念には念を入れて、推敲を明日もつづけたいと思うが、今月末までという締切を確実に守れるメドが立ったことで、ひとまず安心できたことをありがたく思っている。

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2006年8月10日 (木)

次の仕事に着手:案ずるより生むがやすし

今日は次の仕事に着手した。『イギリス哲学・思想事典』の“自生的秩序”の項目の執筆である。

この『事典』は日本イギリス哲学会の創立30周年記念事業として企画されたもので、学会の総力を結集して刊行される。出版は研究社であるが、その研究社の創業100周年の記念事業でもあるのである。そのような事業に加わるに値する者の一人として選ばれたことは大変光栄だったので、喜んで引き受けさせていただいた。

しかし、実を言うと、少しだけ「難しそうだな…」という一抹の不安がないわけではなかった。事典のなかの一項目を執筆するというのは初めてのことだからである。

制限字数は、私の場合、4,800字以内厳守である。この限られた字数を守って、しかも書くべきことを的確に分かりやすく書かねばならない。これは案外難しいことである。というのも、“自生的秩序”というのは、ハイエクがそのおよそ40年あまりにわたる研究生活のなかで結実させた壮大な思想体系の、まさに中心概念であり、語るべきことはいくらでもあるからだ。

しかし今回は、厳格な字数制限があるから、その語るべきことのなかから、さらにトピックを厳選して、基本的な点を正確にかつ分かりやすく読者に伝える必要があるのである。

そして原稿の締切は、今月末日まで(これまた厳守)である。もうすでに8月だから、暢気に構えているわけにはいかない。

そのように真面目に考えていけばいくほど、「これはなかなか難しいぞ…」と思えてくるのであった。

しかし、こんな風に取り越し苦労ばかりしていても始まらない。とにかく引き受けた以上、やるしかない。これまで積み重ねてきた自分の研究蓄積を信じて、やるしかないのである。

それに、いざやり始めていると、これまでの経験からしても、案外スムーズに行くものだ。「案ずるより生むがやすし」と言うではないか--こう思い直して、いい意味で楽な気持ちになって、とにかく着手してみたのである。

するとどうだろう、本当にスラスラと筆が進んで行った(より正確には、キーボードを打つ指が進んで行ったというべきだろうが)。まだ荒削りなところも少なからずあるだろうが、意外や意外、必要な字数のほとんどを、今日一気に書けてしまったのである。

また明日以降に読み直して、磨き上げていく必要はもちろんあるだろうが、とにかく、やり始める前からあれこれ考えすぎるよりも、とにかく着手してみることの大切さを、今日改めて実感した。まさに「案ずるより生むがやすし」だったのである。

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2006年8月 8日 (火)

脱稿しました

今日、ついに脱稿した。原稿を出版社に提出したのである(電子メールにファイルを添付して提出した)。これが本当に出版に値するものだと判断されれば、いよいよ出版に向けて動き出すことになる。出版されれば、その書物を今度は博士号請求論文として、私の出身大学院へと提出することになる。

実は昨晩は気持ちが高まってなかなか寝付けなかったので、夜中の3時半頃まで、原稿の前半部分を読み直し、縦書きに組みなおしたことに伴う細かな修正作業を行なっていた。

今日はその続きの作業をしていたわけだが、その過程で気づいた箇所についてその文章表現を直したり、加えられられると思われた箇所に脚注をいくつか加えたりした。そうして、ついさきほど、脱稿に向けてのすべての作業を終えたのである。

これでいよいよ、原稿を自分の手から離したことになる。次の研究での仕事は、イギリス哲学事典の“自生的秩序”の項目の執筆である。

あと、教育の仕事としては、担当授業科目のレポートが提出されてきているはずなので、その採点の仕事が控えている。気持ちを切り替えて、研究でも教育でも、次の仕事に気持ちよく取り組んでいこうと思う。

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2006年8月 7日 (月)

作業終了:完成

ついに今日、最終作業を終え、博士論文が完成した。分量を計算してみると、原稿用紙換算で約405枚である。爆発的な喜びはないが、やはりしみじみとした喜びが湧いてくる。

現在、提出用に縦書きに組みなおし、一枚一枚プリントアウトしながら、アルファベットや数字が横向きのままになっていないかどうかを点検している最中だが、それが終われば、いよいよ脱稿である。

思えば、この論文を書き始めてから、もう一年半ほどたった。これまでの私の人生のなかで、最も大きな仕事だったように思う。

脱稿して出版社に渡すということは、この原稿を世に問うということになるから、なかなか勇気のいることだが、いつまでも手元に置いておいても仕方がないので、思い切って読者の前にこの原稿をオープンにしたいと思う。

大きな仕事が一つ終わった。また次の仕事も控えているから(今月末締切の原稿:イギリス哲学事典の“自生的秩序”の項目の執筆)、気持ちを切り替えていく必要があるが、まずは大きな仕事を終えることが出来た喜びをしみじみと味わいたい。

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2006年8月 6日 (日)

あともう一息

例の最終点検作業がおかげで今日も順調に進み、あともう一息というところにまで漕ぎ着けた。具体的に言うと、論文草稿は序章+四章+終章の計六章と、2つの補論とからなっているのだが、最後の終章と2つの補論を残すのみとなったのである。

今日判明して大変うれしかったことは、いつのまにか分量が原稿用紙400枚に達していたことだ。本欄1月9日の記事で書いたように、その時点では「ほぼ350枚」だった。ところが、今回の最終作業の過程で自然と気づいて書き足していくうちに、(7月末に書けた2つの補論も含めて)いつの間にか念願の400枚に達していたのである。以前に補論で苦しんでいるときにはなかなかそこまで到達できなかった。今思えば「400枚」という数字に執着しすぎていたのかもしれない。ところが今回はそのことを気にせずに自然体で書き足していくうちに、いつの間にか400枚に到達していたのだから、不思議なものである(ちなみに1月9日の記事のタイトルを「博士論文草稿完成」としていたが、今考えると、まだそのときはまだ完成していなかったのである)。

今回の作業のヤマは、論文の箇所で言うと第2章と第3章、日付で言うと昨日と今日だったように思う。実際、今日第3章を終えた後、第4章は大変スムーズに進んだ。おそらく最大のヤマは越えたと思う。

それにしても、昨日今日の二日間で嬉しかったことは、ヤマを越えられたという結果もさることながら、その過程で粘り強さを大いに発揮できたことだ。たしかになかなかキツかったのだが、それと同時に、「自分はこんな風に粘り強く、こんなにも根気よさを発揮できる力があったんだ」と思うと、それが非常に嬉しかったのである。

私の愛読書の一つに『光明の生活法』(谷口雅春著、新版平成8年発行、日本教文社)という本があるが、その本のなかに次のような一節がある:

生命の本来の面目は自由自在なところにある。しかし自由が自由とわかるのは自由がただ障礙(しょうがい)を破ったときにおいてのみである。剣の名手は敵者があらわれてはじめて自分の自由を現実にすることが出来るのだ。水は平地にたたえられている時はまだその自由は潜んでいるに過ぎないのである。それが逆境の上に置かれるとき何物をも押し流す自由を得るのだ。(212~213頁)

また同書の巻頭言にはこんな一節もある:

兄弟よ、海の波が巌(いわお)にたわむれるように、困難にたわむれよう。猿が木の幹を攀(よ)じのぼるのをたのしむように困難を楽しんで攀じのぼろう。もし軽業師(かるわざし)が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば誰も喝采(かっさい)する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。〔中略〕盤根錯節(ばんこんさくせつ)は『生命』がたわむれるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だと云うか。登山を不幸だと云うか。ゴルフを艱難(かんなん)だと云うか。競泳を悲惨だと云うか。如何なる苦しみも戯(たわむ)れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健なる無限の生命力が湧いて来る。

思えばこの博士論文の執筆作業は、まさに困難そのものだった。まだ感慨にふけるのは早いが、それにしてもここまでの歩みを振り返ってみるとき、上記の引用文にもあるように、まさに“困難にたわむれる”ことの喜びをしみじみと味わうことができたのである。

結果もさることながら、それを目指す努力の過程で発揮されていくさまざまな美徳(粘り強さ、根気よさ、忍耐力、明るさ、愛深さ等々)の開発、すなわち自分に宿っているはずの多様な潜在能力の開発を楽しみにして、これからも日々努力を重ねていきたいと思う。

ともあれ、論文完成まで、あともう一息だ。明日も頑張ろう!

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2006年8月 5日 (土)

最終作業続行中

今日も引き続き、脚注の最終点検作業を続けている。前回の記事で「思わぬ単純ミスが予想以上にあった」というのは、たとえば細かいミスとしては、pp.179-180とすべきところを、pp.180-181というようにずらして書いてしまっていたり、pp.180-183とすべきところをpp.180-182としていたり、というものであり、この種のミスは散発的に見られる程度だったのだが、大きなものとして驚いたのは、次のようなものだった。

ハイエクの『隷従への道』という本があるが、私はこの原書を2冊持っている。どちらもシカゴ大学出版部から出されたものだが、一つは1972年の改装版で、もう一つはこの本の出版五十周年を記念して1994年に出されたものだ。いま前者を「原書A」、後者を「原書B」としておこう。

この原書Aと原書Bでは文字の組み方が異なっているので、同じ文章でも、前者と後者とでは載っているページ数が異なるのである。

ところが、今回の見直しで発見して大変驚いたのは、その『隷従への道』の参照箇所を指示した脚注で、この両者を混在させてしまっていることだった。私としては原書Bで統一させているつもりだったのだが、原書Aのページ数を指しているものも少なくなかったのである。

おそらくこれは、かつてかなり以前に原書Aを用いて書いていた論文を、今回の博士論文に部分的に組み入れたことで発生したものだ。あるときから私は原書Bの方を使うようになっており、今回もそれを踏襲しているのだが、原書Aを用いていた頃の論文を組み入れたとき、「その当時は原書Aを用いていた」という事実をスッカリ忘れてしまっていたのである。

まさかこんな間違いをしてしまっているとは夢にも思わなかったので、大変驚いたのである。つくづく、この最終点検作業を怠らないでよかったと思う。

このような思わぬ大きなミスがあったが、それ以外には、上述の細かいミスは多少あったものの、現在までのところ、おおむね、脚注で挙げている参照箇所が的確なものであることが分かり、ホッとしている。

それにしても、この最終点検作業も根気のいる作業だ。筆者の立場としてだけではなく、読者の立場に立って、一つ一つの脚注が正しく書かれているかどうか、丹念にチェックしていく。“しらみつぶし”とはまさにこのことである…。

しかし、何度も言うように、この脚注も決しておろそかには出来ない。本文での議論内容を裏付ける根拠を示す箇所であり、そういう意味では、論文の土台となる“データ”と言えるからだ。データに誤りがあっては、せっかくの論文もそれこそ“台無し”になってしまう。

登山にたとえると、今は9合目といったところだろうか。最後の最後まで気を抜けないが、根気よく一歩一歩あゆんでいき、頂上までたどり着きたいと思う。

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2006年8月 4日 (金)

博士論文最後の仕上げ作業:最後まで気を抜くべからず

ずいぶん長い期間にわたって取り組んできた博士論文が、いよいよ大詰めに入ってきた。7月31日の記事で「脚注修正作業が一段落」と書いたが、それは、引用文献の表記の仕方を根本的に変更していく作業だった。それを受けて、脚注で表記している参照箇所の指示に誤りがないかどうか、一つ一つ丹念にチェックしているのである。

実を言うと、もうこの作業はしないで、出版社に出してしまおうかとも少し考えた。しかし、「やはり最後の最後まで気を抜いてはいけない、丹念にやり通さねば…」と思い直し、この作業に今月に入ってから取り組み始めたのである。何となく、このままこの作業をやらずに済ませることは気持ちが悪いような気がして仕方がなかったからである。

そうしてやり始めてみると、意外と単純なミスが少なくなかったので驚いた。参照頁の表記に誤りが結構あることが分かったのである。それに、思わぬ副産物として、自然と書き足していくこともできている。それも、脚注にのみならず、本文の記述にも細かい補強を自然と加えることができているのである。まだこの作業の途中であるが、つくづく、この作業を飛ばしてしまわないでよかったと思う。

実を言うと、例の「補論」も、脚注にしては長すぎた記述が結構たくさんあったのを、二つにまとめて、「補論1」「補論2」という形で独立させることもすでに出来ている(これは先月下旬の作業中に出来ていたのである)。さんざん苦労してきた「補論」であるが、おかげで最後にはスムーズに出来上がった。これで、読みやすさが少しは増したと思う。

最終段階に入ってきて、気持ちがはやるのを覚えているのは事実である。実は今朝、「よぉし、今日中に仕上げてしまうぞ!」と意気込んでいたのである。しかし実際には最後まで行かなかった。この分だと、完全に仕上げるには日曜日までかかりそうである。

しかし、この期に及んで焦ってみても仕方ないだろう。この作業に取り組む中で学んだことは、「最後の最後まで気を抜くべからず」ということだ。ゴールテープを切るまで、一歩一歩、最後の最後まで着実に歩を進めて行きたい。

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2006年7月31日 (月)

脚注修正作業が一段落

たったいま、脚注修正作業を一通り終えた。もちろん、もう一度綿密に見直して、誤りがないかどうかを丁寧にチェックする必要はあるが、ともあれ一段落ついたので、ホッとしたところである。結局、この作業にはおよそ10日間を費やしたことになる。

これと同時並行で参考文献リストを作成していったが、脚注にいちいち書いていたのをこのように一度にリストアップしてみると、英語文献でA4用紙で5ページ、日本語文献で3ページの分量になった。このリストアップ作業の前には、「自分が一体どれほどの文献を読みこなしてきたのだろう? 十分な量だったと言えるのだろうか…?」という心配もあったのだが、こうしてリストアップしてみると、結構な量になっているのが分かり、この点でも少しホッとした。これが自分のこれまでの研究の積み重ねぶりを物語っているのだと思うと、感慨深い。やはり、日々コツコツと歩いていれば、自然と結構な量になっていくのである。「塵も積もれば山となる」「継続は力なり」とはよく言ったものだと思う。

とはいえ、まだ脱稿できるわけではない。最後の最後まで油断してはなるまい。中途半端なまま脱稿して、校正段階で苦労するよりも、念には念を入れて、万全を期して出版社に提出すべきだからである。残りの作業にも全力を尽くしたい。

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2006年7月29日 (土)

実りを楽しみに待つということ

「結果を焦らずにプロセスを味わう」ということを心がけるようになったせいか、最近の私は、何を見てもそのことに引きつけて理解しようとする傾向にあるようだ。今日は、農業の様子を伝えている番組を見ているときにその傾向が現れた。

その番組というのは、今日の夜7時からテレビ朝日で放映していたもので、所ジョージが若手芸能人を呼び集め、沖縄に所有する別荘の荒地に「所ファーム」を作ろう、という内容だった。現代の若者に農業や漁業の素晴らしさを伝えようというねらいがあったらしい。この番組を妻が見ているのを、私も夕食をとりながら一緒に見ていたのである。

この番組では、沖縄の別荘という特殊なシチュエーションだけではなく、東京でも野菜を育てられますよ、というメッセージを伝えるためであろうか、東京六本木のテレビ朝日の屋上で--このシチュエーションもちょっと特殊ではあるが--お笑い芸人コンビが夏野菜(なすび、トマト、トウモロコシ)を60日間かけて育てる、というプロジェクトの様子も伝えていた。

私がこの番組を見ていて印象的だったのは、畑を荒地から作ったり、夏野菜を苗から育てたり、という過程を経ることで、現代の若者である芸人たちが、とてもイキイキしていたことである。もちろん、仕事上の演出も多々あっただろうが、それでもやはり、彼らのあの喜びようは、単なる番組の演出以上のものがあったように思う。とくに夏野菜を東京六本木という都会のド真ん中のビルの屋上で育てた芸人たちがその野菜でカレーを作って食べているときの、「おいしいーっ!!」という笑顔は、本当に嬉しそうだった。

都会に住んで消費者として暮らしていると、買い物に行けば何でもすぐに手に入るから、米や野菜を育てた農家の方々の手間暇のことをあまり考えずに、ただ当たり前のように食べるだけになりがちだ。しかし、もしも自分たちで苦労しながら育てたものなら、本当においしく感謝して食べられるだろう。そのプロセスを実際に経た後だからである。そこには苦労も多いだろうが、だからこそ、収穫の喜びも増すのである。

この農業における「実りを楽しみに待つ」ということは、およそ物事すべての成就にもあてはまる大切なことを教えてくれているように思う。それはやはり、「プロセスを経るからこそ、結果の喜びがある」ということだ。都会暮らしをしていると、そういう自然のリズムからはるかに遠ざかってしまいがちであるが、作物を育てるときの時間の流れこそが、まさに自然に合ったリズムなのではないだろうか。

私の研究においても、結果をいたずらに焦るのではなく、実りを楽しみに待つという姿勢を保ちながら、日々の積み重ねをコツコツと行なっていきたいものだと思う。もしかすると、ちょっとした家庭菜園を、手軽にできるところから始めてみるのもいいかもしれない。

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2006年7月28日 (金)

クラシック音楽奏者の集中力

7月23日の日曜日朝9時からのテレビ番組「題名のない音楽会」で、ラヴェルのボレロが取り上げられていた。その日はオープンキャンパスで日曜出勤だったので、それを録画しておいたのだが、最近はそのビデオを毎日見ている。

ご存知の方も多いと思うが、ボレロはフランスの作曲家ラヴェルによる非常に有名な作品である。演奏時間はおよそ15分、曲全体が一つの大きなクレシェンドになっており、メロディはたった2種類のみ、しかも最初から最後まで全く同じリズムである。それなのに、この曲が聞く者を飽きさせない面白さをもっているのは、管弦楽の魔術師と言われていたラヴェルがその中にさまざまな仕掛けを組み込んでいたからであるという。そのさまざまな仕掛けについて、この番組では、音楽の素人の私にもよく分かるように、やさしく解説してくれていたので、大変面白かった。名曲だけあって、何度聞いても味わい深さが増すばかりである。

ところで、この番組のビデオを見ていて、改めて感心させられたのは、演奏しているオーケストラの方々の集中力のすごさである。クラシック音楽の演奏の様子を見ていていつも魅力を感じていたのは、音楽の素晴らしさはもちろんなのだが、それに加えて、演奏者の方々が演奏中に見せてくれる、研ぎ澄まされた知的な集中力である。

すばらしい音楽を美しく表現するために、プロの演奏者の方々は、日々大変な努力をしておられるに違いない。私は音楽をキチンと習ってこなかったため、楽器は何も出来ないから、その難しさは想像するしかないのだが、とにかく楽器は全く出来ないので、ただただ驚嘆するばかりである。その努力は並大抵ではないはずなのだが、プロのクラシック演奏者の演奏の様子を見ていると、そこから伝わってくるのは、やはり“表現の喜び”である。実際、私も、ラヴェルのボレロの演奏をビデオで見ていて、感動の涙がジワッとこみ上げてくるのを抑えることが出来なかったのである。

私には音楽のことについて専門的に語る資格は全くないが、あのクラシック演奏者の方々が見せてくれる、あの知的で凛とした集中力は、私も是非見習っていきたいと強く心に思ったのであった。というのも、分野の違いこそあれ、論文を書くということも同じく“表現活動”であり、学術的なものである場合、そこにはクラシック音楽奏者の方々が見せてくれるのと同じような、知的な集中力が必要だからである。

あのキリッと引きしまった凛とした集中力を、私も自分の研究活動において、少しでも発揮していきたいと思う。

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2006年7月26日 (水)

脚注修正作業で忍耐力を発揮中

今日の午前中は自宅で仕事をしている。午後からは大学に行き、試験の採点と、会議の予定である。

自宅では、例の脚注修正作業を行なっている。文献名をいちいち挙げていたのを、参考文献リストを作っておいて、脚注では[Hayek, 1960]のように出典を書き換える作業である。

これはまことに地道な作業だ。本文を書くときとはまた違った忍耐や持続力、また緻密性が要求される。しかし、地道ながらも大変重要な作業である。というのも、注は本文中の議論を裏付ける根拠となる出典を示す場所だからである。もしも注に挙げた文献やその頁数の情報に誤りがあると、本文の論述の土台が一挙に崩れてしまう。したがって、創造性はなく一見退屈だが、非常に重要な作業である。

もしもこれを、完成を性急に追い求める心境で行なっていたら、誠にイライラする作業となっていたことだろう。華やかさのない、非常にこまごまとした仕事の連続だからだ。

しかし、その過程を楽しむ心境で取り組んでいると、また別の味わいがしてくるから不思議である。つまり、忍耐力や緻密さといった美徳を発揮できるすばらしい機会だと思えるようになるのである。そうすると、作業に取り組んでいるプロセス自体を楽しめるようになってくる。

私は基本的に冷房は使わず、扇風機を回しているだけだから、汗もいっぱいかくが、慣れるとかえってこれぐらいの方が体に力がほどよく入ってよい。冷房がついていると、生気を吸い取られていく感じがして、脱力感に襲われてしまうのである。

そんなわけで、今日の午前中には、この脚注修正作業で、忍耐を発揮することが出来たことを嬉しく思う。午後からは、採点作業で--これまたなかなか神経を使う地道な作業であるが--同じように忍耐を発揮していこうと思う。

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2006年7月24日 (月)

過程を楽しむということ

おかげさまで、体調がずいぶん戻ってきた。自然治癒力のありがたさを痛感している。

ところで、今回体調を崩した心の原因を反省してみて、今日新たに気づいたのは、「焦りすぎていた」ということである。博士論文の脱稿へ向けての最終作業の完成を、精神的に急ぎすぎていたのである。

しかし、物事の実現にはプロセスがつきものだ。段階を踏んで、ある一定の時間をかけていかないことには、物事は実現していかないのである。そのプロセスを少しでも早めよう、縮めようと、いつの間にか焦りすぎてしまっていたことが、今回のカゼひきの精神的原因だったように思う。

私の愛読書の一つに、ジョージ・レナード著(中田康憲訳)『達人のサイエンス』(日本教文社)という本がある。平成6年に発行された本だが、今でも時々ひもといて読んでみることがあるぐらい、私にとって精神的支えになっている本の一つである。

この本に書いてあることは、要するに「人生における成功や理想の実現になにか王道があるとするなら、それは終わることのない長期のマスタリーのプロセスにある」(4頁)ということだ。このマスタリー(Mastery)というのは、「初めに困難であったことが、練習や実践を重ねるにしたがい、しだいに簡単で楽しいものに変わっていく不思議なプロセス」のことである(2頁)。

要するに最近の私は、博士論文の脱稿へ向けた最終作業において、このプロセス自体を楽しむ、という心の余裕が欠けていたのである。

こう気づいてみると、心がスゥーッと軽くなった。ともするとこのプロセスが苦しみであるように思ってしまうこともあったが、これからはもっともっと、この「過程を楽しむ」ということを心がけていきたいと思う。

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2006年7月19日 (水)

補講をやはり断念:脱稿へ邁進すべし

前回の記事で「補論構想を再び模索中」と書いた。今朝早く起きて、それを試みてみたのだが、まったく恥ずかしいことに、結局、やはり断念することにした。分量を増やすために書き足そうとしても、どうしてもうまく行かなかったからである…。

長い脚注をどうするかの問題は、編集者の方との打ち合わせで決めることにして、もうあれこれと内容に関して原稿に手を加えようとすることは、今度こそキッパリとやめることにした。

この失敗は私にとって大変苦々しいものであったが、しかしながら、貴重な教訓を得ることも出来た。それは、

いったん書き上げたものは、それが念には念を入れて今の自分に書ける全てを出し切ったものであるならば、すみやかに脱稿すべし

--ということである。というのも、あまりに手元で温めすぎると、いくらでも手を加えたくなってしまうからである。

あまり手元で温めすぎると、どうも原稿が不完全に見えてきて、つい改善の手を入れたくなってしまう。しかし、そうしようとすると、新たに勉強しなければならないことが見えてくる。そうすると、中途半端なことは出来ないから、そこからまた時間がかかってしまう……こんなことをしていると、いつまでたっても出版に踏み切ることは出来なくなるのである。

そんなわけで、今朝、気持ちを完全に入れ替えた。これからは、脱稿へ向けて、推敲から校正へと、読み直す姿勢を完全に切り替えることにしたのである。

「出版に向けて体裁を整える」という観点から必要な作業は、注における参考文献の挙げ方である。原稿執筆の段階では、旧来の方式に従って、各注でいちいち著者名、書名、刊行年等を挙げていたが、最近では、巻末に一括して参考文献リストを掲げておいて、本文中の注では、たとえば [Hayek, 1960, pp. 50-51] というように、簡単な記述にとどめておくやり方も増えてきた。この方が注の記述を簡略化できるし、また一括して参考文献リストが挙げられている方が、読者としても好都合だろう。この後者の方式にするための修正作業がまだ大きな宿題として残されている。

ともあれ、いずれにせよ、「推敲モード」から「校正モード」へと切り替え、脱稿へ向けて邁進すべし!--と心に決めたのであった。補講執筆をめぐる顛末は苦々しいものであったが、どんな経験も何らかの教訓を含んでいるものであろう。この経験を今後に生かしたいと思う次第である。

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2006年7月16日 (日)

補論構想を再び模索中:全体主義の終末論的側面に関連して

本欄の「研究プロセス」のカテゴリーの記事で再三言及してきた博士論文の原稿について、去る4月24日の本欄で「補論を断念」と書いたのだが、実を言うとここ数日の間で、その補論の構想がまた別の形で浮かびつつある。

それは、ハイエクの全体主義批判に関連する論点であり、すでに原稿の脚注で触れているものである。すなわち、マルクス主義にしてもファシズムにしても、≪善と悪との闘争によるユートピアの到来≫という一種の終末論的な教義を内包していたのだが、ハイエクは全体主義のそのような宗教的(あるいは擬似宗教的)な側面を真剣に取り上げることをしていなかった、という点についてである。

全体主義のこのような擬似宗教的な側面が私にとって非常に気になって仕方がないのは何故かというと、現代イスラム原理主義のテロリズムが念頭にあるからである。

とはいえ、いわゆる「市場原理主義」がイスラム原理主義をもたらした直接の原因そのものと言い切れるかどうかは、今の私にはまだ分からない。というのも、そこにはむしろ、イスラエル寄りのアメリカの中東政策に対する反発や、イスラム諸国の権威主義的政権の不公正さに対する怒りなどが、直接的には大いに作用しているだろうからである。

私が気にしているのは、そういった直接の原因結果の関係というよりも、もっと大きな思想的文脈である。つまり、自由市場経済は決して、かつての全体主義における“政治による救済”を斥ける代わりに、いわば“経済による救済”を保証するものではない、ということである。

マルクス主義による救済の夢が幻滅に終わったとはいえ、ハイエクに代表される自由市場主義はそれに代わる救済のメッセージを与えるものではない。全員が物質的豊かさを例外なく享受できることを約束するものでは決してないのである。むしろそれは、市場競争では必ずしも努力が報われるとは限らないが、そのような“不条理”は、あたかも自然災害のごとく、誰のせいにもできない複雑現象のもたらす没人格的な社会過程の結果なのだから、その不運な境遇を甘受せよ、というきわめて冷たいメッセージをわれわれに突きつけてくるものなのである。

現代のイスラム原理主義は、池内恵『現代アラブの社会思想:終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年)によると、いまや終末論的色彩を濃厚に帯びている。そのような終末論的色彩を濃厚にしている現代アラブ社会において、かつて社会主義とセットになって唱えられてきたアラブ・ナショナリズムが衰退したからといって(かつてこの“アラブ民族社会主義”を唱導していたのがエジプトのナセルであった)、また社会主義圏が1990年代初頭に至るまでに崩壊したからといって、それに代わるものとして、きわめて散文的な自由市場経済が冷戦終了後にアラブ世界に急激に導入されたとしても(※)、それは終末論の夢からアラブの民衆を醒まさせるだけの思想的な力を持つことはできなかっただろう。そのような思想的限界が、実はハイエクの全体主義批判における上述の欠点の中に、すなわちマルクス主義が実は持っていた終末論的側面を真剣に取り上げることをしなかったという欠点のうちに潜んでいたのではないか、という気がしてならないのである。

(※)IMFの主導による市場経済のアラブ世界への急激な導入とそれがもたらした結果については、宮田律(2001年)『現代イスラムの潮流』集英社新書、pp. 78-85を参照。

それにしても、このようなことを補論の題材として、なぜ改めて考え直し始めたのかというと、上述のテーマについて触れた脚注の文章が、脚注にしては非常に長い、ということである。読者にとっての読みやすさという観点からすれば、もしかすると長い脚注は敬遠されるかもしれない。

ところがこの文章は脚注にしては長いのだが、本文中に組み入れるにはやや物足りない分量である。要するにこのトピックの扱い方が、どうも中途半端に終わっているような気がしてきたのである。春学期の授業が一段落して、改めて読み直し始めてみると、そのような気がしてくるのだった。それならば、いっそのこと補論として独立させ、分量をそれなりに整え直した方がよいのではないか、と思えてきたのである。

編集者の方との本格的な出版に向けての打ち合わせは、先方とこちらの双方の都合から、8月に入ってからということになっているから、その前に補論を書き始めてみたいと思っている。うまくいくかどうかはやってみないと分からないが、とにかくトライしてみようと思う。きわめてchallengingなテーマであることは間違いないのだから…。

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2006年4月24日 (月)

悪戦苦闘の末、補論を断念

今日はうかつにも少し体調を崩し、授業を休講してしまった。午前・午後とずっと眠っていたが、睡眠を十分とったおかげか、体調が回復してきたようである。幸い、気分もゆったりしているので、今日は先日予告しておいた「補論を書こうとしての悪戦苦闘ぶり」について、思い出すままに書き綴ってみようと思う。

2月の中旬に博士論文の原稿を書き上げたといったんは判断したものの(その時点で原稿用紙換算でおよそ360枚であった)、分量をもう少し増やし、せめて400枚ぐらいにできれば…と思い、補論を加えようとしてきた。ところが、2月下旬から3月末までの間、やってみてはダメ、またやってみてはダメ……と繰り返した末に、それが全くうまく行かないことが分かり、結局は補論を付け加えることを断念したのである。

非常に苦い経験であり、その最中は心理的に非常に苦しかったが、貴重な教訓を得ることもできた。

その教訓というのは――“焦りは禁物”ということである。

大変よく知られた表現であり、筆者自身も頭ではよく知っていたはずの言葉ではある。だが、今回の経験でその意味を頭でだけでなく、身体全体で如実に実感したのである。

補論の構想としてどのようなことを考えていたのかというと、次のハイエク研究書の内容を契機とした、スコットランド啓蒙からハイエクへと至る「見えざる手」の議論あるいは「自生的秩序論」の継承と変容について、素描することであった:

Christina Petsoulas, Hayek’s Liberalism and its Origins: His idea of spontaneous order and the Scottish Enlightenment (Routledge, 2001)

この本の眼目は、要するに、これまで疑問視されてこなかった「ハイエクの思想的起源としてのスコットランド啓蒙」というテーゼに対して「ハイエク進化論への批判」という観点から異議を唱えることである。すなわち、マンデヴィル、ヒューム、スミスといったスコットランド啓蒙思想においてはハイエクの展開したような進化論は決して見られなかった、というのである。

ここでPetsoulasが行なっているハイエク進化論への批判それ自体は、ハイエク研究の世界ではすでにお馴染みのものであり、私の博士論文の原稿でもかなりの字数を割いて取り上げていたトピックだったため、そのトピックを別の角度から取り上げなおすことで、補論として付け加えることができないか、と考えたのであった。

ところがである。いざやってみると、どうやっても、どうあがいてみても、どれもこれも中途半端になることが分かった。というのも、マンデヴィル、ヒューム、スミスといったスコットランド啓蒙の思想をまだ私が本格的に勉強したことがなかったために、本当に自信を持って書くことができていなかったからである。上記の書物を通して間接的に知ることはできるとはいえ、そのPetsoulasのマンデヴィル、ヒューム、スミスについての議論(およびそれらとハイエクとの比較)の妥当性を自分で判断する用意が、まだ今の自分にはないことが分かった。マンデヴィルにせよ、ヒュームにせよ、スミスにせよ、大学院生時代にある程度は読んでいたものの、そのときに真に理解していたわけでは全くなかった。要するに、まだ私が研究者の一人として真に知っていると多少なりとも自信を持って言えるのはただハイエクのみである――ということを、イヤというほど思い知らされたのである。

「まだ自分はハイエクしか本当には知らない」――そう思うと、研究者としてまだまだであるような気がして、非常に苦々しい思いがした。悔しかったのである。

しかしながら他方で、私は少なくともハイエクは知っている。大学院生のときから数えてすでに13年もの間、ハイエクを本当の意味で理解するため、誠に遅々とした歩みではあったが、途中で諦めることなく、食らいついてやってきた。ハイエクの思想体系は、単純な理解を許さない非常に複雑なものだったが、その甲斐あって、自分なりにやっと理解することができたのである。

何事も「はじめの第一歩」からである。マンデヴィルにせよ、ヒュームにせよ、スミスにせよ、とくにヒュームとスミスは言わずと知れた18世紀イギリス社会思想の巨人であるが、ハイエクもそれに劣らず、二十世紀の巨人といってよいだろう。そのハイエクを理解できたのである(少なくとも自分はそう信じている)。だとするならば、時間をかけて着実に勉強していけば、ヒュームやスミスを自分なりに理解することもできるはずである。

しかも、私の場合は、ハイエクについての理解を足場として、それができる可能性があるのである。ヒュームやスミス自身の研究はわが国にもこれまで相当な研究の蓄積があるが、ハイエク研究からスタートした私にも、何かしら貢献できることもあるにちがいない。ただそのためには、また一から始める必要があるがゆえに、今すぐにはできないだけに過ぎないのである。

今回の失敗は「補論を何とか春休み中に仕上げてしまいたい!」と焦りに焦った結果のことであった。しかし、何も焦る必要はなかったのである。また次の研究への新たな第一歩を踏み出しただけのことなのだ。こうして、補論を付け加えることは断念するに至ったというわけである。

そう決めてしまえば、それまでのモヤモヤが嘘のように、心が晴れ晴れとするのを覚えた。非常に清々しい気分になれたのである。もうこれで、ハイエクについて勉強してきた私がその研究の蓄積から書けるだけのことは、もうスッカリ書いてしまった。これを世に出すことになるのだと思うと、「本当に大丈夫か?」という不安がよぎらないではないが、もうどう考えても、私にはすでに原稿に書いたようにしか、ハイエクを解釈することができないのである。だとするならば、もうこれ以上、先送りしていても仕方がない。思い切って私のハイエク理解を世に問うしかないだろう。

そのようなわけで、博士論文の原稿執筆については、これで今度こそ本当に一段落したことと思う。出版に向けての具体的な作業はまだ残されているだろうが(たとえば本文で取り上げた参考文献のリスト作成など)、内容的にはもう書くだけのことは書いてしまった。補論を付け加えようとして最後の最後に悪足掻きをしてしまったが、そのおかげで、「今の自分にもうこれ以上書けることはない!」という踏ん切りをつけることができた。これからはいよいよ出版に向けて動き出そうと思う次第である。

≪追伸≫以上のようなわけで、今後当分の間、ヒューム、スミスの原典(邦訳であるが)にじっくり当たっていくことにしようと思う。本欄に書きかけたまま保留中のトピックである「格差社会」についても大変気になるところではあるが、これから当分の間は、「格差社会」といった、まさに現代的でホットなトピックについては、もちろん頭の片隅は置きつつも、いったんは一歩退き、授業(やその準備)以外の研究の時間の当て方としては、ヒューム、スミスの世界に没頭することにしたい。

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2006年2月22日 (水)

近況報告:論文結論完成

本欄1月18日の記事で「結論補強の必要あり:また時事問題を取り上げます」と予告しておきながら、ずいぶん日数が経ってしまった。

実を言うとその間に、ルーティンワークの合間を縫って、例の博士論文の結論部分の執筆に取り組んでいたのだが、それがこのほど出来上がったのである。

1月18日の記事を書いた時点では、このブログに先に試論的に書いてみてから、それを博士論文の結論部分の執筆に生かそうと思っていたのだが、結局、順序が逆になり、論文の方が先に出来上がってしまった。

そのようなわけで、予告を裏切ってしまったことを心よりお詫び申し上げます。

その代わり、明日からしばらくは、その論文の結論部分を適当に分けて、本欄にしばらく連載していきたいと思う。

ただし、この結論部分自体は言うまでもなく、論文全体の一部を占めており、しかもその締め括りとなる部分であるから、それだけを取り出してそのまま掲載しても、前後関係がよく分からないことになるだろう。

したがって本欄では、それだけでも独立させて読めるよう、適宜アレンジしたものを掲載することにしたい。

その記事の内容は、現代日本社会の有様を読み解くキーワードを、次の三つに求めるものとなるだろう:

ターボ資本主義、希望格差社会、アフルエンザ(アフルエンス+インフルエンザ)

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2006年1月18日 (水)

結論補強の必要あり:また時事問題を取り上げます

推敲・加筆・修正を続行中の博士論文草稿だが、その結論部分について、もっと補強する必要性を感じるようになった。

この草稿の構成は序章+四章+終章の全六章構成だが、この終章は、以前に書いたある論文を踏襲したものだ。ところが、これを今回、博士論文の終章に組み込むに当たっては、その結論部分を、草稿全体の議論を踏まえ、かつ現代の国際情勢に照らし合わせつつ、もっと大幅に補強すべきだと思うようになったのである。というのも、今のままでは、この博士論文草稿を締めくくるには、少々弱い--尻切れトンボとなってしまっている--という印象を拭えなくなったからである。

だとすると、この結論部分をもっと生き生きとしたものにするためには、やはり新たに書き下ろさなければならなくなるわけだ。どうやら、博士論文草稿の完成目標を「今月末まで」へと延長しなければならないようである。

というわけで、ここのところずっと、本欄ではもっぱら「研究プロセス」のカテゴリーに属するような記事ばかりとなっていたが、このあたりでまた、最近の国内・国際情勢の趨勢をめぐって気になってきたことを、博士論文草稿への下書きのために、本欄に書いていくことにしようかと思っている。

特に気になっていたのは、国際情勢で言うとWTO香港会議の結果であり、またそれを考えるために精読すべき文献としては、ロバート・ギルピン『グローバル資本主義:危機か繁栄か』(古城佳子訳、東洋経済新報社、2001年[原著2000年])である。

また、わが国の国内情勢で言うと『希望格差社会』や『下流社会』と題された書物がベストセラーになり、「勝ち組・負け組」といった言葉がやたらと使われるようになった社会風潮であったり、また昨日より大きく報道されるようになったライブドア問題に象徴されているような投機経済の問題であったり、である。

本欄の記事について振り返ってみると、時事問題について書いていたのは、せいぜい9月までであり、それ以降はもっぱら「研究プロセス」についてだったように思うので、9月まで本欄の時事問題についての見解を読んで下さっていた読者諸賢には、もしかすると退屈な思いをさせてしまっていたかもしれない。

数日前に、試しに私の名前(山中優)を入力して検索エンジンで検索してみたら、リンクの可否について私に直接聞いてくださった方のブログにばかりではなく、私の知らないところでも、その他のいくつかのブログに本欄へのリンクが貼られていたので、我ながら驚いたものであるが、そのような読者の皆様におかれては、昨年の秋以降、本欄を興味深く読まれた方々は少なかっただろうと思う。私としても、博士論文執筆に専念している間も、もちろん、数多くの時事問題について大いに気になっていたのであるが、それについて本欄に書く時間を取れないでいたことについて、どうかお許し願いたい。

ともあれ、本日以降またしばらくは、私の博士論文の執筆に関係し、その結論部分を補強するために必要な時事問題について、本欄に書き綴っていくことになろうかと思うので、お付き合いいただければ幸いである。

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2006年1月17日 (火)

博士論文まだ完成せず:ただいま推敲・加筆・修正を続行中

1月9日の本欄で「博士論文草稿完成」と宣言してしまったが、どうやらそれは勇み足だったようである。というのも、読み直してみると、どれも細かい点ばかりとはいえ、加筆・修正すべき箇所がたくさん出てきたからである。

完成間近となって「はやく完成させてしまいたい」という焦りが出ていたが、それは誤りであった。

授業の方では学期末を迎え、単位認定のための学生の小テスト答案の採点作業-かなりの量である-も行なうべき時期にさしかかってきた。何かと多用になるが、時間を有効に使って、喜んで前に進んで行きたい。

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2006年1月 9日 (月)

博士論文草稿完成

今日までの正月休みを利用して、博士論文の作業をほぼ終えることができた。その間、論じたいことを正確に伝えるために必要な加筆・修正・削除を行なってきたが、それを序章から終章まで、ひと通り行うことができたのである。

またこれを全部プリントアウトして、細かな表現上のチェックのための推敲を行う必要はあるだろうが、基本的には、ほぼ完成したといってよいだろう。

原稿枚数は、結局、全部で400字詰原稿用紙にして約347.5枚(つまりほぼ350枚)となった。本文のみができてから脚注作成に取り掛かる前に行なった予想枚数とほぼ一致している。

この原稿を仮製本して学位請求論文として提出することを先にするか、あるいはまずは出版し、その出版したものを学位請求論文として提出するかについては、まだ最終的な決断はしていないが、とっくに博士課程の三年間を博士号を取れないままに(研究指導認定退学という形で)終えてしまっている私としては、(いわゆる「課程博士」ではなく「論文博士」を目指すことになるわけだから)おそらくは後者の「まず出版する」という道を選ぶことになるだろう。すでにある出版社の編集部の方から声を掛けていただいているのも、非常に有難いことである。

とはいえ、まだ油断は禁物である。望ましいのは、出版社への脱稿前に、然るべき研究者の方にこの草稿を読んでもらうことだ。というのも、そうすることで有益なコメントをいただくことが考えられるからである。それはまた、思わぬミスを未然に防ぐにも必要なことだろう。お引き受けいただけるかどうかは分からないが、ある研究者の方に、この草稿を読んでいただくことをお願いしてみようかと思っている。もちろん、その前に、私の恩師の教授に「草稿完成」のご報告をまずはしなければならない。

ともあれ、今日までの正月休みの間に、何とか論文を仕上げることができたことは、非常に大きな収穫である。とはいえ、その代わりに、明日の夕方から始まる授業の準備をすべて後回しにしてしまったため、明日の午前中には急いでその準備に取り掛からなければならないが、論文を完成させることができたことで、授業の準備にも快く取り掛かれることだろう。頑張るべし!

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2006年1月 4日 (水)

脚注作業:第四章まで終了

今日、博士論文の第四章までの脚注作業を終えた。マラソンで言うと、いよいよゴールテープのある競技場のトラックにさしかかった、といったところだろうか。

あとは、終章の脚注作業と、論文全体の細かな最終チェックである。気持ちがはやるのを感じるが、油断は禁物である。最後まで気を抜かずに、作業を精密に進めねばならない。

とはいえ、ここまで進んで来れたことには、やはり感慨深いものがある。この正月休みにまとまった時間が取れるのを最大限に活用して、一気に完成させたいと思っている。

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2005年12月18日 (日)

研究会の恩恵:重要な加筆・修正の絶好の契機

昨日の土曜日に、ある研究会で研究報告をさせていただいた。それは、私の大学院時代の恩師の弟子たちで構成している「比較政治研究会」という名の研究会である。そこで、私の博士論文草稿の後半部分を報告させていただいた。

大変ありがたかったことは、そこで非常に有益なコメントをいくつもいただいたことである。そのなかでも、特に次の二点に関するものが私にとって非常に有難いものであった。そのコメントの主旨を私なりに要約すると、それは次のようなものであった:

①ハイエクのもっていた三つの顔--(1)『自由の条件』以前、(2)『自由の条件』、(3)『自由の条件』以後--について、それを無理やり統一的に理解しようとはせずに、それらは互いに異なる三つの別々の顔だったとみなせるのだから、だったら、あなたの重視するハイエクの顔--(3)のハイエク--を前面に出して、なぜあなたがハイエクのその顔を重視するのか、その理由をハッキリと述べればよい。

②ハイエクと開発主義の関係について:あなたはハイエクを「途上国が開発主義を採ることについて、ハイエクは、積極的に唱えないまでも、それを許容するだけの懐の深さを持っていたのではないか」とおっしゃったが、とてもそうは思えない。むしろ、ハイエクはやはり先進国しか見ていなかったのではないか。だとしたら、それがハイエクの途上国にとっての限界なのだから、それはあなたが「ハイエクの限界」として明確に指摘した上で、あなた自身の見解を打ち出せばよい。

この二点について、言われてみると、いずれもまったくその通りであり、非常にありがたい指摘であった。

そして今日、その指摘を踏まえて、論文を加筆・修正することができた。その過程で、以前から、文化的進化論に加えてもう一つの重要な加筆材料だった、ハイエクの分配的正義批判についても、勢いに乗って、今日一気に加筆することができたことは、非常に大きな進展であった。

これで、重要な加筆・修正については、一段落したように思う。これからは、本文を創造的に書き加える作業、そして脚注において補足的に論じる作業を終え、出典を示すだけの単純・地道な脚注作業に戻って、ゴールに向かって邁進するのみである。マラソンで言うと、40キロ地点にさしかかった、といったところだろうか。いずれにせよ、「創造的に論じる」という点においては、「やるだけやった!」という実感をもつことができたのであった。

それにしても、研究会でいただいたコメントは、いずれも大変有益なものばかりであった。このような場で報告させていただくことは、そしてそこで批判的・建設的なコメントをいただくことは、やはりとても大切なことであることを、改めて実感した次第である。

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2005年12月15日 (木)

思わぬ副産物:補論を脚注に変更して論文が進捗

本欄の11月19日付の記事で、ハイエクの文化的進化論をめぐる最近の理論動向については、第三章に「補論を加える」という形で書く方針を立てていたが、今日、執筆作業をしているうちに、自然と、補論ではなく、「脚注を加える」という形で、きれいに収まってしまった。

実はこの作業は、思わぬ副産物だった。というのも、今日は今週の土曜日にある研究会で研究報告をすることになっていて、それに備えて、博士論文草稿の後半部分を基に報告レジュメを作成しているうちに、自然とこの草稿自体にも、書き加えていくことができたからである。

実を言うと、最近は少し焦っていた。というのも、早朝の寒さのために論文作業が進まなかった一方で、授業の準備だけではなく、現在とみに多用になってきた、私の勤務大学の学内学会での庶務の仕事(私は庶務委員の一人である)とで手一杯になっていて、論文の執筆にまで中々手が回らなかったからだ。

脚注において出典を示すだけの単純作業がずっと続いていたのだが、「補論」を新たに書かなければ…と思った途端、早朝の寒さも手伝って、朝早くに起きられないでいたため、ずっと滞っていたのだった。

ところが今日は、木曜日で私の担当授業がないのを幸いとして--私は木曜日を「研究日」として勤務大学に申請させていただいている--久しぶりに夕方から夜にかけて、論文の仕事をした(その代わりECCの時事英語レッスンは休ませてもらったが…)。明後日に迫った研究報告のレジュメのメドをつけるために仕事を始めたのだが、その副産物として博士論文そのものの執筆も進められたことは、思わぬ収穫であった。

そもそもの段取りとしては、この「補論」を仕上げてから、悠々と研究報告レジュメを作るつもりだったのだが、それが滞っている中で、研究会の日が迫ってきたので、やむをえず段取りを入れ替えて、レジュメの作成から始めたのである。それが論文自体の進捗にもつながったので、大変うれしかった。

私がこのように喜んでいるのは、ハイエクの文化的進化論をめぐる最近の議論動向をまとめることが、大きなヤマとなっていたからである。このヤマが、今日、思わぬ副産物としていつの間にか越えられたことは、大変重要な進展であった。

とはいえ、他方では、多用な中でも、合間の時間を縫って、最近の動向を知るための文献をコツコツと消化してきたことも、今日の成果の大きな要因だったと思う。

今日は、論文に取り組む時間も、いつもの早朝ではなく夕方から夜にかけてであったという意味でも、思わぬ収穫であった。たとえ早朝の時間を利用することがよいことであっても、それだけにこだわる必要はないということなのだろう。

何はともあれ、今日はうれしい日であった。これからも頑張ろう!

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必要な早朝の寒さ対策

ここのところ、博士論文の執筆作業が滞ってしまった。その原因は、早朝に起きられなくなったからである。

厳密に言うと、目は相変わらず覚めるのだが、寒いために二階の仕事部屋に行く気になれない。実をいうと、恥ずかしながら、私は寒さが大の苦手なのである…。

「それなら、暖房を使えばいいではないか」と読者は思われるだろうが、いまその部屋にあるのは温風暖房だ。温風暖房は、言うまでもなく、空気を乾燥させ、のどによくない。のどを痛めると風邪を引きやすくなる。

それに加えて、今年は「新型インフルエンザ」も懸念されているが、その予防対策として、勤務先の大学の産業医によるアドバイスのひとつとして、「マスクの着用」や「暖房をつけたまま寝ない」ことなど、のどの乾燥を防ぐための対策が言われていた。それもあって、のどの乾燥を恐れて、温風暖房も使えないでいるのである。

今は緊急避難的に、どうしても必要なときは加湿器を同時に使っているが、これが電気の無駄遣いであることはいうまでもないだろう。そのような訳で、冬の本格的な到来によって、早朝の時間をうまく使えなくなってしまった。

しかし、幸いなことに、最近「オイルヒーター」という暖房が人気であることを妻から聞いて知った。これは温風ではなく、機械の中にあるオイルを電気で温めて、部屋全体をポカポカ暖めてくれるそうだ。空気を乾燥させないから、のどにもよいのだそうである。

「オイルヒーター」でもっともよいと評判なのは、イタリア製の「デロンギ暖房」というものらしい。すでに注文しているのだが、人気商品のため、なかなか納品されてこない。

「早く来い来い、デロンギ暖房」-これが昨今の私の心境である。

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2005年11月24日 (木)

第3章の脚注作業:3分の2終了

今朝の作業で、博士論文第3章の第2節までの脚注作業を終えることができた。この章は3つの節で構成されているから、あともう一息だ。

とはいえ、まだこの章については、以前にも本欄で述べたように、「補論を書き加える」というなかなか大きな作業が残っている。

それを考えると、第3章の脚注作業を終えられるのは、今月中ということになるだろうか。

何とか年内に作業をすべて終えたいと思っている。頑張るべし!

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2005年11月19日 (土)

ハイエク文化的進化論を論じた第3章:脚注作成の大きなヤマ

今日は早朝に引き続き、午前中にも時間が取れたので、引き続き脚注作業をおこなっているが、つくづく、第3章は“大きなヤマ”だなぁ…という思いがする。

というのも、この第3章は、ハイエクの文化的進化論を論じた章だからだ。このトピックは、ハイエク研究の世界で、激しい論争の的になってきたのである。したがって、注においても、これまで以上に、精密さを期さねばならない。

ただ、幸いにも昨年(2004年)に、これまでのハイエク研究の流れを集大成させた、画期的な研究書が出た。それが、本日朝の本欄記事でも言及した、コルドウェルのHayek's Challengeである。

ちなみにこのコルドウェルは、米ノース・カロライナ大経済学教授で、現在刊行中の英語版ハイエク著作集の編集責任者を務めている研究者である。

このコルドウェルの書物に、これまでのハイエク文化的進化論の諸批判が、非常に手際よくまとめられているので、それを踏まえることができるのである。

この書物は2004年に出た。筆者は自分のハイエク研究を博士論文にまとめるための統一的な視点を得るのに苦労してきたため、これまで非常にモタモタしてきたが、その間にこのコルドウェルの書物が出たということは、幸いであったというべきであろう。というのも、これからのハイエク研究は、この書物に多かれ少なかれ言及することなくしてはありえないと思われるからだ。

とはいえ、このコルドウェルは経済学者のハイエク研究者であるから、やはり、政府によらない市場秩序の自生的出現を説いたハイエクの文化的進化論に、最終的には肯定的な立場をとっている。

しかしながら、筆者は政治学・政治思想の立場からのハイエク研究であるから、そこには自ずから視点・立場の違いが生じている。それは、ハイエクにおける政治権力の問題をめぐっての違いである。筆者はやはり、ハイエクが他方で政治権力の必要性を認めざるを得なかったことに、あくまでもこだわりたいのである。

いずれにせよ、ハイエクの文化的進化論を論じた第3章は、脚注作成の上でも一つの大きなヤマである。いわば“精神的な体力”とでも言いたいようなものが要求される、まさに“正念場”である。頑張るべし!!

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博士論文:11月19日現在の枚数

現在、第3章の脚注作成に入っているが、今朝、いま現在の字数を計算してみたら、以下の通りであった(Wordでファイル(F)→プロパティ(I)と操作すれば即座に字数が出てくるから大変便利である):

はじめに 約12,000字
第1章  約11,000字
第2章  約40,000字(以上脚注あり)
第3章  約29,000字
第4章  約23,000字
おわりに 約10,000字

計    約125,000字 = 400字詰原稿用紙約312枚(11月19日現在)

9/15の本文完了段階では約285枚だった。脚注を半分終えたところで、約30枚増えたことになるから、単純に計算すると、このペースで行けば、脚注を全部つければ60枚増えることになる。

そうすると、285+60=おおよそ350枚となり、本欄9月15日の記事で予想したとおりになるというわけだ。そういう意味では順調といえそうである。

だが、この350枚という数字が、博士論文として十分な枚数といえるかどうかは、よく分からない…。

当然まず第一に問われるのは質=中身だろうが、量の問題もやはり大いに気になるところである。

とはいえ、枚数は、さらにもう少し増えそうである。というのも、第3章で論じたハイエクの文化的進化論について、それに対してこれまでなされてきた実に様々な批判に関しては、「補論」という形で、第3章末尾に、本文として、新たに付け加える必要性を感じ始めたからだ。

もしもそれを加えるとしたら、もう少し枚数は増えるだろう。後半の脚注も加えて、それで400枚近くにまで行ってくれるとよいと思うのだが、あまり補論が冗長になってもいけないだろう。はたしてどうなることか…?

まぁ、あれこれ取り越し苦労するよりも、とにかくやってみるほかあるまい。前進あるのみ!!

ちなみにこの「補論」の執筆に際しては、次の書物を踏まえるつもりである:

Bruce Caldwell, Hayek's Challenge: An Intellectual Biography of F. A. Hayek (Chicago UP, 2004) pp. 352-361.

ここに、ハイエクの文化的進化論への批判が、5つのタイプに分類されて、手際よく整理されて論じられているので、これを踏まえつつ、議論するつもりである。

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2005年11月 8日 (火)

脚注作業続行中:第二章まで終えました

授業に取り組む毎日のかたわら、早朝の時間を利用して博士論文の脚注作業を続行中であるが、おかげで今朝、第二章までの脚注作業を終えることができた。全四章構成だから、ちょうど折り返し地点に来たわけである。

脚注を付けてみると、やはりというべきか、かなり記述が分厚くなってきた。現時点での総字数はまだ計算していないが、本文のみのときと比べて、かなり文字数は増えていることと思う。

「まだ折り返し地点か…。先はまだ長いなぁ」という思いもしないではないが、他方ではやはり、少しずつの積み重ねの力を強く感じもする。まとまった時間を待っているだけだったら、ここまで進んで来ることはできなかったはずである。

早朝にこの作業をしておくと、日中の授業に精神的に集中できるのも大変ありがたい。

ともあれ、半分まで来た。後半戦も頑張るべし!

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2005年10月26日 (水)

朝の時間を順調に活用でき始めました

本欄10月17日の記事に、「コマ切れの時間として朝の時間を生かすことを目指す」と書いたが、嬉しいことに、先週末ぐらいから、それが本当にできるようになってきた。不思議と朝5時頃に自然と目が覚めるのである(今朝などは目覚めが4時50分であった!)。

面白いのは、それに伴って、晩に眠たくなる時間も自然と早まってきた、ということである。昨晩などは、夜9時ごろにはもうフトンに入ってしまった。おそらく夜9時半頃までには眠ってしまったことだろうと思う。気づいたら、翌朝(つまり今朝)の4時50分であった。

無理に起きたのではない。自然に目が覚めたのである。目覚まし時計を5時に合わせていたが、それが鳴る前に目が覚めてしまった。“爽やかな目覚め”とはまさにこのことを言うのだろうと思う。

おかげで、今日も朝の時間を使って、博士論文の脚注作成作業を進めることができた。嬉しいかぎりである。これで今日も心置きなく、今日の授業に専念できるというものだ。

この生活パターンは私の理想としてきたものである。続けるべし!!

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2005年10月17日 (月)

多用な中での時間の活用法:コマ切れの時間を生かすということ

現在博士論文の脚注の作成作業中であることは本欄でも何度も書いているが、10月から授業が始まったので、博士論文の作業を、夏休み中のようにはまとまった時間を使って集中的に行うことができなくなり、滞りがちになっていた。

授業の準備を怠るわけにはいかないし、私の性格はやりだすと中途半端で投げ出したくないタチであるから、授業の仕事のため論文の作業に戻れず、多少なりとも焦る気持ちになることもしばしばであった。

しかし昨日あたりから、そのイライラを解消できるようになってきた。「コマ切れの時間」を利用し、それをこまめに積み重ねていこう-と気持ちを切り替えることができたからである。

多用な中で研究のための時間をうまく取るために、「早めに起きて早朝の時間を利用する」という方法をとろうと努めていることは以前にも本欄に書いた。だが、これまではともすると、その早朝の時間を、やはり「一度にまとまった形で」取れるよう、すごく早く起きようと無理をし、それが長続きしない--ということを、これまで何度も経験してきたのである。「コマ切れの時間を使う」ということは頭では分かっているつもりだったが、まだまだ一気に進めてしまおうという傾向に執着していた自分に気がついたのだった。

しかし、考えてみると、そんなに一度にいっぺんに事を済まそうとする必要はなかったのである。コツコツと積み重ねていけばよいのだ。もちろん、まとまった時間が取れるに越した事はない。しかし、状況がそれを許さない以上、それに適応して時間の取り方を工夫する、というのが賢明な対処の仕方というものだろう。それに、考えようによっては、短時間のコマ切れの時間の方が、かえって集中力を持続させやすいというものだ。取り掛かるときに、変に大仰に構えることなく、いい意味で気軽に取り掛かることもできる。

そんなわけで、これからは、朝少しだけ早く起きてコマ切れの時間を作り、それを毎日積み重ねていく事によって、論文の作業を進捗させていこうと思う。「塵も積もれば山となる」。着実に積み重ねていくべし!

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2005年9月27日 (火)

脚注作業開始

脚注を作成する作業を開始し、まずは「はじめに」に必要な脚注を付すことができた。意外に早く進んだので、われながら驚いている。

それには二つほど理由があったように思う。一つは、やはり「案ずるより産むが易し」とはよく言ったもので、やり始めれば意外とスムーズに進んでいったということ。もう一つは、以前に書き溜めた諸論文の脚注を利用できたということ。特に、文献情報はそのまま「コピー&貼り付け」でOKだから、便利なものである。パソコンの便利さに今更ながら驚くとともに、これまで少しずつでも論文を書き溜めてきた積み重ねを思い、少し感慨深くなった。

しかし、まだ「はじめに」の脚注作業が終わったばかりである。引き続いて、第1章以降の作業を続けなければならない。

とはいえ、「はじめに」の脚注作業を終えて、ホッとしたことがある。それは、脚注を付けていくと、それだけで字数がグッと増すことだ。博士論文を書いてきて、いつも少し心配していたのが「字数が足りなくなりはしないか」ということだったが、本文だけでも、極力冗長にならないように書いたにもかかわらず、300枚を超えることができた(冗長な単なる字数稼ぎは論文としては却って逆効果である)。これに加えて脚注を全て作成し終われば、結構な分量になってくれることだろう。

授業開始まであと1週間をきったが、授業準備を進めつつ、脚注作業もコツコツと進めていきたい。

追伸:「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、お彼岸を過ぎると途端に朝晩がめっきり涼しくなった。彼岸花が一斉に咲いているのが大変印象的である。そこで、このブログのデザインも、ちょっと秋らしくしてみた。都会暮らしの私ではあるが、季節感は少しでも大切に保ち続けたいものだと思っている。

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2005年9月23日 (金)

博士論文目次変更分(9月23日現在):次は脚注

本欄9月15日に、現在執筆中の博士論文目次を掲載したが、その後、第四章と「おわりに」の部分を変更した。9月15日現在「おわりに」にしていたところを第四章に組み込み、あらたに「おわりに」を書き加えた。変更部分の目次は次のとおりである(変更したところのみ掲げる):

第四章 自生的秩序と政治権力――その現代的含意

(一、は変更なし)

二、現代的含意――二十一世紀の国際政治経済システムにとってのハイエクの意味

IMF・世銀の新古典派的な市場移行戦略――そのハイエクとの異質性

途上国を襲う急激な国際統合の波――その危険性

途上国にとってのハイエクの意味とは?――開発主義の問題

ハイエクと村上泰亮――その相違点

(a)産業政策をめぐって

(b)分配平等化政策をめぐって

(c)まとめ

ハイエクと村上泰亮――その共通点

(a)創造型の技術革新の必要性

(b)国際的な雁行形態の経済成長

残された問題

おわりに――市場原理復権の理想と現実

市場原理復権の理想――利益誘導型政治の抑制

市場原理復権の現実――バブル経済・貧富の格差・国家の退場

(a)バブル経済――非生産的な投機行動

(b)貧富の格差――産業構造の根本的変革の中で

(c)国家の退場――グローバル時代における政府の苦境

結 論

これまで本文の執筆・推敲に取り組んできたが、これでもう、本文については今度こそ一段落ついたような気がする。

これまでは、心のうちから促されるままに本文を書き、推敲を重ね、加筆・修正してきたが、不思議なことに、「もう本文はこれでいい」という感じが、内から湧き起こってくるのである。「さぁ、次は脚注だ」という気に自然となってきた。

これで本文執筆という「創造性が要求される仕事」は一段落した。あとは、創造性というよりは、「実務的な緻密さ」が要求される脚注である。

新学期の授業開始を約1週間後に控えているが、授業準備もぼちぼちと進めつつ、博士論文の脚注作成に全力で取り組んで行きたい。いよいよラストスパートである。

脚注作りには、本文執筆時とはまた別の忍耐が要求される。「時間がかかりそうだなぁ…」という気もしていたが、「なぁに、やりだせば、意外とあっという間さ!」という気もしてくる。

脚注作成は面倒のようにも思えるが、本文での議論の根拠・出典を示すところだから、学術論文にとっては大変大切な部分である。それに、脚注をつけていくと、これまで本文だけでいわば「裸」だった論文に、重要な衣装が着せられ、学術論文らしく引き締まった姿になっていくから、面白いものである。

さぁ、あともう一息である。やるしかない!

追記:今日は私たち夫婦の3回目の結婚記念日であった。9月8日に2歳となった娘を連れて、ささやかながら、サンマルクというレストランで昼食をとった。結婚して丸三年がたったわけだ。改めて、私にとってかけがえのない妻であり、子である、ということをヒシヒシと感じた。この大切な家族のためにも、仕事に邁進せねばならない。明るく楽しく進んでいこう!!

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2005年9月15日 (木)

博士論文 タイトルと目次(9月15日現在)

論文のタイトルと目次を以下に掲げさせていただこう。目次には小見出しも含まれている。これらはいずれも9月15日現在のものである:

タイトル
F・A・ハイエクの政治思想:人間の無知・自由の規律・反市場的な自然感情


目次
はじめに――本稿の目的

二十一世紀にハイエクを論じる理由

ハイエク研究の世界における本稿の位置

(a)近年のハイエク研究の潮流①――自由主義擁護の思想体系として

(b)近年のハイエク研究の潮流②――自生的秩序論と議会制改革論の関係について

(c)本稿の立場

第一章 全体主義批判――〝市場さもなくば隷従〟

ハイエクの政治信条――西洋文明の精髄としての個人主義

ハイエクの全体主義批判――社会主義こそが全体主義の根源

その全体主義批判の一面性――経済統制が全体主義の原因?

〝市場さもなくば隷従〟――そのもう一つの意味

第二章 自由論――義務論と帰結主義の間で

一、社会主義批判――〝人間の無知〟と〝自由の規律〟

社会主義批判の背景――ハイエクの反形而上学

ハイエクの標的――サン=シモン主義

サン=シモン主義批判(一)――自由の実現をめぐって

ハイエクの認識論と科学観――単純現象と複雑現象

自由の存在理由――〝人間の無知〟

サン=シモン主義批判(二)――繁栄の実現をめぐって

〝自由の規律〟――自己の運命に対する責任

二、義務論的自由論――Ch・クカサスのハイエク解釈

ハイエクにおけるカント的な義務論

正義感覚――暗黙的な行為ルール

市場秩序の本質――その〝盲目性〟ゆえの公平性

積極的自由論者ハイエク――〝高次の自己実現〟としての自由

Ch・クカサスのハイエク評価

三、帰結主義的自由論――R・クレイのハイエク解釈

カント的義務論の装いをまとった帰結主義

ハイエクの帰結主義的自由論

R・クレイのハイエク評価

帰結主義者ハイエク

四、義務論と帰結主義の併用――ハイエクの二つの顔

ハイエクの自由論――義務論と帰結主義の併用

なぜハイエクは義務論的要素を払拭できなかったのか?

力点の変遷――「帰結主義的な義務論」から「義務論的な帰結主義」へ

ハイエクの二つの顔――〝楽観主義者ハイエク〟から〝悲観主義者ハイエク〟へ

第三章 文化的進化論と議会制改革論――市場秩序を脅かす反市場的な自然感情

一、ハイエクの文化的進化論――方法論的個人主義から集団淘汰論へ

秩序の二つの種類――「つくられた秩序」と「成長した秩序」

進化論的合理主義――自由・繁栄・平和を達成する〝拡大された秩序〟

ハイエクの進化論への異論――V・ヴァンバーグのハイエク批判

方法論的個人主義から集団淘汰論へ

二、〝意図せざる結果〟の意味転換――個人の自由から〝タブーの奸智〟へ

集団淘汰論の前提――「無知の承認に基づく自由擁護論」再説

ルールの遵守動機と実際の機能との峻別

非合理的な宗教の果たす機能――〝意図せざる出現〟の促進

個人の自由から〝タブーの奸智〟へ

社会理論家ハイエクと自由主義者ハイエク

三、議会制改革論――〝意図せざる結果〟後の市場秩序

文化的進化論と議会制改革論――この両者は矛盾するか?

正義感覚――その真正の担い手としてのエリート

ハイエク的エリートのアンビヴァレンス――努力に対する報酬をめぐって

第四章 自生的秩序と政治権力――その現代的含意

一、目的独立的な自生的秩序――その政治権力との関係

コスモスとタクシス――自生的秩序の本質としての目的独立性

コスモスを生み出すルールの自生的起源

成長したルールはなぜ立法による修正を必要とするか

目的依存的な権力の否定と目的独立的な権力の肯定――貨幣発行自由化論と議会制改革論

政府による必要最低限の保障――開かれた社会に不可欠なものとして

二、現代的含意――グローバル資本主義の見直しを迫るものとして

IMF・世銀の新古典派的な市場移行戦略――そのハイエクとの異質性

途上国を襲う急激な国際統合の波――その危険性

おわりに――現代の国際政治経済システムにおけるハイエクの意味

ハイエクと開発主義――その相違点

(a)産業政策をめぐって

(b)分配平等化政策をめぐって

(c)まとめ

ハイエクと開発主義――その共通点

(a)創造型の技術革新の必要性

(b)国際的な雁行形態の経済成長

(c)わが国のとるべき道

結論――残された問題

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本文執筆完了

しばらく投稿が滞ってしまったが、その間、例によって博士論文の執筆に取り組んでいた。

たぶんであるが、一応、本文は執筆し終わった。枚数を計算してみると、400字詰め原稿用紙にして、約285枚程度であった。

これから注作成の作業に入るが、注を付け終われば、たぶん、350枚程度にはなると思う。

10月からの大学での授業開始が近づいている。その準備もしなければならない。頑張るべし!

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2005年8月29日 (月)

博士論文執筆状況(8月末現在)

お盆休みをはさんで、かなりの日数がたってしまったが、その間に論文執筆を進めることができた。その「進めることができた」というのは、量的にというよりは、むしろ質的にである。

まず博士論文のタイトルであるが、次のようなものに変更することにした:

F・A・ハイエクの政治思想--自生的秩序に潜む〝反市場的な自然感情〟

次に章構成であるが、当初は全部で五つの章にするつもりだったが、思い切って整理して、四つの章にすることにした。具体的には次のとおりであるが、第四章についてはまだ仮題である:

はじめに--本稿の目的

第一章 全体主義批判--〝市場さもなくば隷従〟

第二章 自由主義論--その二元的構造

第三章 文化的進化論と議会制改革論--市場秩序を脅かす反市場的な自然感情

第四章 ハイエクの現代的意味--グローバリズムはハイエクからの帰結か?

当初は議会制改革論について、ハイエクの分配的正義批判とセットにして(つまり『法・立法・自由』の第二巻と第三巻の議論をセットにして)、独立の章を設けて、第四章として論じるつもりだったが、いろいろと試行錯誤した末に、思い切って整理し、第三章のなかの一つの節に組み入れたのが、大きな変更点である。

そんなわけで、第三章までをおおよそ書き上げることができた。あとは、私のハイエク解釈を現代の世界情勢分析にどのように応用するか、である。それが第四章になる。

いよいよ佳境に入ってきた感があるが、ここまできたら、もうあとはゴールに向かって突き進むのみである。頑張るべし!!

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2005年8月 7日 (日)

主体的に読むこと

昨日8月6日付の本欄で、「ノートをとること」について書いたが、実をいうと、村上の議論を一からノートに整理する作業は中断した。なぜなら、昨日までの私が村上の議論にあまりにも巻き込まれそうになっていることに気付いたからである。

昨日の本欄に書いた「要約ノートの重要性」はもちろん変わらないが、昨日までの私は、自分が何故村上の議論を読む必要を感じていたかを忘れて、非常に内容豊かな村上の議論に圧倒されそうになっていたように思う。しかし、研究していく上で非常に大切なのは、主体性を失わないということなのだ。

もちろんそれは、独善的になるということではない。そうなってしまえば、それこそ研究者としては終わりである。他者の議論には謙虚に耳を傾けなければならない。本を読む場合には、その本において著者が何を言わんとしているか、客観的につかむ努力を怠ってはならないのである。その際に要約ノートを作ることは非常に有用である。

しかし、昨日は幸いなことに、自分の主体性・視点を取り戻してからは、ノートを改めて作らなくとも、線を引きながら読んでいく過程の中で、村上の議論の主旨を、自分にとって必要なかぎりでではあるが、すでに客観的につかんでいることに気がついたのだ。したがって、改めてノートを作成する必要はなかったというわけである。

私が村上の議論を非常に気にしていたのは、とどのつまりは、「21世紀を生きる日本人として、ハイエクのメッセージをどのように受け止めるべきか」ということを考えるためであった。というのも、村上の開発主義の議論は、他ならぬわが国の経験を踏まえて打ち出されたものだからである。それは、今日のグローバリゼーションの中で後進国の置かれている立場を考える場合にも必須の議論だと思われる。

しかも村上の議論の非常に重要な点は、もはや後進国の段階を脱したわが国に対して、開発主義からの脱却を説いている点である。私はその村上の慧眼に脱帽せざるを得ない。

そのようなわけで、村上の議論に敬服しつつも、私なりの視点から、「21世紀を生きる日本人として、ハイエクのメッセージをどのように受け止めるべきか」という問題について、下書きの文章を現在まとめつつあるので、それがまとまり次第、この『研究日記』に掲載しようと思う。

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2005年8月 6日 (土)

ノートをとること

村上泰亮『反古典の政治経済学』(全二巻、中央公論社)を読み終えた。やはり非常に内容の濃い良書であった。

途中、試験の採点の仕事もあったので少し苦労したが、村上を読むこと自体は楽しいことであった。

さて当面の私の課題は、「社会主義なき21世紀にわれわれはハイエクをどう受け止めるべきか」という問題を考えるための一環として、村上の開発主義の議論を咀嚼することである。

しかし、非常に内容豊かであったため、頭の中がまだよく整理されていないようだ。

本欄5月10日「自然体で書くこと」で、私はつぎのように書いた:

書き始める前から、書こうとする内容について、あれこれと細部にわたって完璧に構想が立ってから書くのではない。もちろん、アウトラインとしては構想を立てているが、いざ書き始めるときには、書こうとする内容が、“漠然と”思い浮かんでいるだけだ。

ところが、書き進めていくうちに、不思議や不思議、書きたいことが芋づる式に、スルスル、ズルズルと出てくるのである。

そうしてひととおり書いてしまった後で読み直してみると、もちろん修正・加筆を要する箇所も出てくる。しかし全体としては、意外にも、結構ちゃんと書けているのである…!

ところが、今回はまだ、アウトラインとしても、構想がまだ浮かんでこないのである。何かこう、まだ頭の中がモヤモヤしている。

読んでいる最中にいろいろ思い浮かんではいたし、もちろん、本に線は引いている(ちなみに、私は昨年より、齋藤孝氏の“三色ボールペン方式”で線を引いている)のだが、今朝になっていざ文章を書いてみようと思っても、まだ構想が思い浮かんでこないのである。これはたぶん、まだ頭の中がよく整理されていないからだ。

そこで、初心に帰って、ノートを作成することにした。つまり、要約ノートである。たぶん、これを作成していくうちに、頭の中が整理されてくるだろう。とにかく行動あるのみである。

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2005年7月21日 (木)

博士論文の執筆再開

今朝は久しぶりに、博士論文の執筆を再開した。5月30日以来だから、実に1ヶ月半ぶりのことである。

しばらく執筆の手を休めざるを得なかったのは、ひとつは授業に忙しかったためだが、それだけではない。第3章までの本文を書き終えたところで、どうしても手を休めざるを得なかった。いよいよ山場に入ってくるので、それまでのように授業をしつつ、その合間の時間をこまめに利用するというやり方ではなく、夏休みに入ってから、じっくりと取り組みたかったからである。

ちなみに博士論文の章構成の構想は、次のとおりである〔( )内は本文の字数〕:

はじめに 21世紀にハイエクを論ずる理由(7,032)

第1章 全体主義批判-“市場さもなくば隷従”(13,035)

第2章 自由論-その二元的構造(35,532)

第3章 文化的進化論-市場秩序の“意図せざる出現”とその意味転換(22,702)

第4章 分配的正義批判と議会制改革論-ハイエク的エリートの統治術

第5章 ハイエクの現代的意味-現代のグローバリゼーションはハイエク的理念の実現か?

ついでながら、論文のタイトルを(より正確に言うとサブタイトルを)4月29日に書いたのとは少し変えて、「F・A・ハイエクの政治思想-自生的市場秩序論における政治権力の問題」とするかもしれない。まだ確定的ではないが…。

上記の各章タイトルも、まだ仮のものである。

それはともあれ、第3章までの本文の字数を合計すると、78,301字=およそ195枚(400字詰め原稿用紙)である。これに残りの二つの章の本文と、全章の注を合わせると…400枚ぐらいにはなるだろうか?(なってくれるだろうか?)

少し心配しているのは、論文の字数がそれ相応のものになってくれるかどうか、字数が足りなくならないか、ということだ。しかし、そんなことはとにかく書いてみなければ分からないので、余計な取り越し苦労というものかもしれない。

この『研究日記』で最近、現代の世界情勢について試しに論じてみたのは、上記の第5章を意識してのことだった。

第4章では、いよいよハイエクにおける政治権力の問題を真正面から取り上げることになる。おそらくこの博士論文における最も重要な章になるだろう。

そう考えると、「はたしてうまく書けるだろうか?まだ勉強が足りないのではないか?」といった不安が頭をよぎる。

たしかに一方では、まだ文献を集める必要はある。そのために昨年度中に申請した、勤務大学内での学術振興基金の利用が、幸いにも今年度は認められているので、その基金はぜひとも活用し、文献を読まなければならない。

しかしながら、それと同時に、基本的なアイディアがすでに頭の中である程度出来上がっているのも事実である。したがって、少なくともその基本的アイディアの部分に関しては、これ以上あれこれ取り越し苦労して躊躇するよりも、思い切って書き始めてみるべきなのだ。

まだ夏休み前の大学の仕事が完全に一段落したわけではない。実はまだ今日も2コマの補講が残っているし(結局、学期中に風邪を引いて、5月下旬のことだったが、休講してしまった…)、その後には試験の実施・採点が控えている。これがなかなか労力の要る作業だ。神経を使う作業でもある。

とはいえ、もう週に8コマの授業を毎週毎週こなさなければならない、ということはなくなった。夏休みは目前である。

そんなわけで、今日からまた博士論文の執筆を再開することにした。書いてみなければ分からないが、とにかく前に進んで行こうと思う。

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2005年6月17日 (金)

サマータイムのつもりで

今日からサマータイムのつもりで早起きすることにした。朝の時間を活用するのにちょうどよいと思ったからだ。

きっかけは、6月12日の産経新聞に載っていた「しんぶん副読本 サマータイム効果は?」と題された記事を目にしたことだった。

周知の方も多いと思うが、サマータイムというのは、「日の出時刻が早くなる4-10月に時計の針を1時間進める」というやり方だ。朝早くから充分に明るいのだから、たとえば今の日本で午前6時となっているのを、午前5時と考えるのである。

同記事によると、この制度は現在、世界70ヵ国以上で導入されていて、経済開発協力機構(OECD)に加盟する30ヵ国の中では、日本と韓国、それに夏場は白夜となるため導入の必要がないアイスランド以外では、すべての国で実施しているという。

たしかに、午前5時の夏空はもう冬空の午前6時のように明るいから、たとえば夏の午前5時を「午前6時」と考えてしまえ-ということだろう。冬の午前5時だと空はまだ真っ暗だが、夏の午前5時ならもう充分に明るいから、それを「午前6時」と考えるということには、たしかに一理あると思う。

また、同記事によると、日没が1時間遅くなる分、照明の点灯時間を遅くすることができるから、朝夕の照明時間や冷房費などを節約でき、省エネ対策にもつながるとも言われているそうだ。

実を言うと、以上のようなサマータイムの効用について、上記の新聞記事に出会うまでは、私もあまり深く考えたことはなかった。去年の夏、米国ソルトレークシティで行われたモンペルラン協会(The Mont Pelerin Society)の世界大会に参加したが、そのときに時計を合わせる必要上、「時計の針を1時間進めるというやり方らしい」ということを単に知っていただけである。

しかし、よくよく考えてみると、この研究日記上で「私の研究時間帯」と題して以前に書いたように、早朝の時間を少しでも有効に活用したいと思っている私のような人間には、このサマータイムのやり方が大変便利であることに気がついた。たとえば今の午前4時を「午前5時」と考えると、その時間に起床することが、心理的にずっとラクになるだろう。また、たとえば今の午後9時を「午後10時」と考えることによって、「早く就寝しよう」と思うこともできるに違いない。

要するに、早寝早起きがより一層しやすくなると思うのである。

とはいえ、日本でそれが今すぐ導入されるかどうかは分からない。省エネの観点から、いま改めて注目を集めつつあるらしいが、反対の人も少なくはないようだ。

同記事によると、賛否の割合は、環境省の調べで、「賛成」13.5%、「条件が整備されれば賛成」46.2%、「反対」20%、「分からない」20%というものらしい。

「過半数が賛成だから、ほどなく導入されるはずだ」と考えることもできるかもしれないが、反対20%というのは決して少なくはない割合だ。この反対派が熱心に、強力に反対し、その一方で割合の上では過半数の賛成派がその熱心さでは劣るということになったならば、政治の世界では逆に「反対」という結論に落ち着くということもありうるだろう。

しかしながら、制度的に導入されるまで待つには及ばない。まずは自分個人として行動すればよいのだ。実際に今日は、授業の準備の必要上、ためしに午前4時半に起床してみたが、外は充分に「午前5時半」のように明るかった。夏の朝はほんのり涼しくて、本当に爽やかだ。鳥もすでにさえずっていた。文字通り、“The early bird catches the worm.” ――「早起きは三文の得」――というわけである。

そんなわけで、これからは“サマータイム”のつもりで、毎日の生活を送ってみようと思う。はたしてこれが続くのかどうか、その結果や如何に……これについては、また後日報告することにしよう(楽しみにしていて下さい!?)。

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2005年5月10日 (火)

自然体で書くということ

この研究日記をつけ始めて、私の中でちょっとした変化が起きはじめた。それは、いわば“自然体で”文章を書けるようになってきた――ということだ。

これまで私は、文章を書くにあたっては、いま思うと、かなり「構えていた」ように思う。要するに意気込みすぎていたのだ。「力んでいた」と言ってもいい。

それが災いして、現在執筆中の博士論文も、正直言うと、なかなか筆が進まなかった(あるいは「キーボード打ち」が進まなかったと言うべきか?)

ところが、この『研究日記』で文章を書くときには、気楽に書いている。そうすると不思議にも、スラスラスラッ――と書けていくのだ。

とはいえ、もちろん、ブログ上に公開するのであるから、推敲はする。公開するのは、ワープロソフトのWordで下書きをし、何度か読み直して、「これでよし!」と思ってからのことだ。

しかしながら、その下書きの文章を書く手が、格段にスムーズになったのである。ほどよい気楽さが、かえって幸いしたのだろうと思う。

書き始める前から、書こうとする内容について、あれこれと細部にわたって完璧に構想が立ってから書くのではない。もちろん、アウトラインとしては構想を立てているが、いざ書き始めるときには、書こうとする内容が、“漠然と”思い浮かんでいるだけだ。

ところが、書き進めていくうちに、不思議や不思議、書きたいことが芋づる式に、スルスル、ズルズルと出てくるのである。

そうしてひととおり書いてしまった後で読み直してみると、もちろん修正・加筆を要する箇所も出てくる。しかし全体としては、意外にも、結構ちゃんと書けているのである…!

この体験が何よりもありがたいのは、これが博士論文の執筆にも大いにプラスに働きつつあることだ。最初から変に取り越し苦労することなく、「とにかく書き始めてみよう!」と、ほどよく気楽な気持ちで、キーボードに向かうことができるようになってきたのである。

これは本当に、思わぬ収穫であった。この調子で、この『研究日記』も、それからもちろん博士論文も、勇気を持って、大いに喜んで書き進めていこうと思う。

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2005年4月30日 (土)

私の研究時間帯

私が研究のための時間を割くのは、主に早朝である。ちょっと朝早くおきて、1時間ほどの時間を、読書や論文の執筆に当てることにしている。

「当てることにしている」というと、「毎日欠かさず」早朝の時間を利用しているような印象を与えるかもしれないが、恥ずかしながら、目が覚めてみるともう大学へ行く時間…ということも少なくないのが悩みのタネである。

それにしても、なぜ早朝の時間か-というと、やはりそれが一番、研究に適した時間だと実感しているからである。

言うまでもなく、基本的に日中は授業の時間帯である。授業自体が必ずしも毎日というわけではないが、授業には当然、「準備」というものが必要だから、しかるべき準備をしようとすると、おのずから、一定の時間を割くことになる。

それでは、日中の仕事が終わったあとの、夜の時間帯はどうかというと、実は20代の頃は、若さに任せてといおうか、真夜中に頑張って研究していたこともある。しかし、それでは、体調が長続きしないのだ。いつか必ず、どこかで風邪をひいて、数日間寝込むことになるのであった。

それに比べると、早朝の時間を使った場合の心のゆとりといったら、どうだろう!少なくとも私自身の体験からすると、心のゆとりは夜の時間の比ではない。それに、早朝の時間を利用できたときの、その日いちにちの有効活用度といったら!一日がいい意味で長く感じられるので(あれ?まだ午前10時か…といった具合に)、その意味でも心にゆとりが持てることになる。その心のゆとりが、体調のよさにもつながるようである。

それに何よりも、早朝の時間を利用して研究を少しでも進めることができたときの効用は、日中の時間に心おきなく、授業等の仕事に専念できるということだ。さもないと、「研究のための時間を授業にとられている…」という不平不満がムクムクと湧き起こってきて、これがつもりつもると、またまたこれが「体調不良→休講」という破目になる。そしてそのツケを、結局は「補講」という形で払わされることになるのだ。

というわけで、できるだけ早寝早起きで、早朝の時間を研究に使うことにしている。いまの私の目標は、それを「毎日欠かさず」着実に実行することである…(この「毎日、欠かさず、着実に」というのが、案外、本気でやろうとすると、結構カンタンではないのデス)。

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