2009年2月 5日 (木)

【重要】基礎演習Ⅱe レポート作成上の注意点:脚注をつけること!!

基礎演習Ⅱe 受講生の皆さんへ

明日2月6日締切のレポート答案が、今日までにいくつか提出されてきましたが、授業で強調していたつもりの注意点が、まだ徹底されていなかったようです。これが徹底されていないと、“盗作”とみなされて、不合格答案となってしまいます。

なので、この場で急いで、再び注意を促しておきます。

それは、脚注で参考文献(あるいは参考資料)の出典を明記する、ということです。

これがされていないと、参考文献・資料からの“無断転用”となってしまいます。つまり“盗作”です。これだと、不合格とせざるを得なくなります。

ですので、自分のオリジナルの文章ではなく、他の参考文献・資料に依拠した文章の場合は、その該当箇所に注番号をつけ、必ずそこに出典を明記して下さい

その脚注の付け方については、授業でも配りましたが、私が授業で行った報告例で用いたレジュメをこの場にも貼り付けておきます。

「sample.doc」をダウンロード

なお、本ブログでの元々の出題文のリンクも、念のために貼り付けておきます。

基礎演習Ⅱe H20年度 レポート課題

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2009年1月14日 (水)

基礎演習Ⅱe H20年度 レポート課題

平成20年度 名張学舎 基礎演習Ⅱe 学期末レポート課題

テキスト『民主主義の不思議な仕組み』第6章を参考にしつつ、これからの日本政治の課題の中から一つを取り上げ、その政治課題について、次の3点にわたって、計1,200字程度(あるいはそれ以上)で論じなさい。

①その政治課題は何であり、なぜそれが問題となっているか。
②その課題の解決策として、一般的にどのような対策が必要だと言われているか。
③それに対して、あなたはどのような解決策が必要だと考えるか。

提出方法 Word等のワープロソフトで作成した答案ファイル(A4サイズ、横書)を、電子メールに添付し、次のメールアドレス宛に送信すること。

山中優 yamanaka●kogakkan-u.ac.jp (●の部分に半角アットマークを入れる)

そのメールの件名を次のようにし、学生番号と氏名を明記すること。

「基礎演習Ⅱe レポート 学生番号  氏名」

提出期日については、大学の掲示板で、確認しておくこと(期日厳守)。

受領証明としてメールを返信するので、その返信メールを大切に保管しておくこと。なお、盗作が判明した場合には、0点とする。

【重要な追記】レポート作成の際、必ず守るべきことを、本ブログ2月5日の記事に追加しました。これを読んで、必ずこの注意事項を守って下さい。(2009年2月5日19:00追記)

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2008年12月19日 (金)

政治制度としての裁判員制度

1年生対象の基礎演習では、受講生諸君に現代政治の課題の中からテーマを一つ選んで報告してもらう、という授業を行なっている。これまで取り上げられてきたのは、地球温暖化、地方の医療現場での人材不足、米国の人種問題、北方領土、食の安全性、株安などであった。これらはすべて受講生諸君が自発的に選んだもので、そのテーマが多岐にわたっており、それぞれ大変興味深かった。またこれらの問題は、私のクラスの全体テーマである現代民主政治との関連が見えやすいものでもあった。

そんな中で、今週の水曜日には裁判員制度が取り上げられたのだが、そこでは、もっぱら司法制度上の問題として報告がなされていた(最高裁判所による説明はこちら)。

たしかにそれはそうなのだが、その日の授業でも説明を加えたが、実は、来年5月から始まろうとしている裁判員制度は、政治学の観点からは、政治制度としても捉えることができるのである。

政治学専攻の読者であればすでにお気づきであろうように、私がここで念頭に置いているのは、古典的名著『アメリカのデモクラシー』の著者としてあまりにも有名な、19世紀フランスの政治思想家トクヴィルの議論である。

その議論については、宇野重規 2007 『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社)の161-164頁に分かりやすく書かれているので、詳しい説明についてはそちらを参照願いたいのだが、わが国の裁判員制度のように、刑事裁判に一般市民が参加するというのは、実は民主主義=人民主権の論理を、裁判権という権力行使の場面にも貫徹させたものなのである。

授業で受講生諸君の意見を聞いてみると、「素人が手を出すべきことではなく、専門家に任せるべきである」という意見も少なくなかった。「一般市民がかかわると、情に流されて、誤った判断がされてしまうのではないか」という意見もあった。これは要するに、この授業のテキスト--佐々木毅 2007 『民主主義という不思議な仕組み』(筑摩書房)--でも論じられていたように、民主主義が衆愚政治に陥ってしまう恐れもある、という議論に通ずるものなのである。

それに加えて、そのテキストの第5章で取り上げられていた福澤諭吉の議論にもあったように、江戸時代まで長らく権威主義体制の下で暮らしてきた日本国民に、はたして主権者としての政治的自覚が根付き、成熟していけるかどうか--すなわち日本の政治文化が民主主義にとってふさわしいものでありうるか(あるいはふさわしいものに変わりうるか)、という論点も関わってくることになる。

実を言うと、以前の私は、この点に関して、いささか悲観的であったことを正直に告白しておかねばなるまい。しかし、最近、ハイエクとの比較を行なうためにトクヴィルの議論に改めて向き合ってみたとき、この点について、再考を促されることになった(*)。正直に言うと、まだ私の中でも確定的な結論が出せずにいる。私の解釈では、ハイエクが民主主義に対してかなり懐疑的・悲観的であったのに対して、トクヴィルは、鋭い批判を民主主義に対して行ないつつも、最終的には民主主義の可能性について希望をもとうとしていたように思う。

定額給付金やタバコ増税をめぐる最近の麻生政権の迷走ぶりを見ていると、まさに衆愚政治に陥っているのではないか--と悲観してしまうのだが、かといって民主主義以外の政治体制に逆戻りすることが考えられない以上、わが国の民主主義の政治的パフォーマンスを向上させるためには何が必要かを、われわれとしては真剣に考えなければならないだろう。わが国の裁判員制度がこの点でどのような効果を持ちうるのか、今後も見守っていかなければなるまい。

(*)筆者によるハイエクとトクヴィルの比較論については、次の文献を参照。

山中優「ハイエクの民主政治論における懐疑と失望-トクヴィルとの比較の観点から」 日本政治学会編 2008 『年報政治学 2008-Ⅰ 国家と社会:統合と連帯の政治学』(木鐸社) pp. 37-60 所収。

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2008年7月 9日 (水)

基礎演習Ⅰe H20 レポート課題

基礎演習Ⅰe H20 レポート課題

テキストの『民主主義という不思議な仕組み』について、次の課題に取り組みなさい。

第1問 第1章の1「ポリスにみる民主主義の原点」、および34-36ページの「民主政が抱えた障害」を読んで、次の問に答えなさい。
①古代ギリシャの時代において、民主主義はなぜ「珍しい政治の仕組み」だったのか?
②当時のペルシャにおいて、「自由」はどのように理解されたか? また、その自由の理解から生じてくる支配体制はいかなるものであったか?
③当時のギリシャにおいて、「自由」はどのように理解されたか? また、その自由の理解から生じてくる支配体制はいかなるものであったか?
④民主政が抱えた障害とは、どのようなものだったか?

第2問 第2章の2「アメリカ合衆国の政治的実験」を読んで、次の問に答えなさい。
⑤アメリカにおいて誕生した「代表制を伴った民主政治」とは、どのようなものであったか?

第3問 第5章の内容を要約しなさい。

答案はすべて、Wordなどのワープロソフトで作成すること。

提出方法 電子メールに上記のファイルを添付し、次のメールアドレス宛に送信すること。

山中優 yamanaka●kogakkan-u.ac.jp (●の部分に半角アットマークを入れる)

そのメールの件名を次のようにし、学生番号と氏名を明記すること。

「基礎演習Ⅰe レポート 学生番号  氏名」

提出期日については、大学の掲示板で、確認しておくこと(期日厳守)。

受領証明としてメールを返信するので、その返信メールを大切に保管しておくこと。なお、盗作が判明した場合には、0点とする。

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2008年4月16日 (水)

基礎演習Ⅰ(4/16)のおさらい

名張学舎 基礎演習Ⅰe(担当:山中優)の皆さんへ

本日1講時目の授業で予告しておいたように、復習に役立ててもらうために、基礎演習に関しては、その日の授業内容の概要を、その都度、ここに書いていくことにする。受講者諸君にどれだけ伝わっているか、この場で確認しておきたいからである。

今日は、『よくわかる学びの技法』22~23ページ記載の「目次を読む」という技法を使って、『民主主義という不思議な仕組み』第1章の1と2の読み取り練習を行なった。そこでの読み取りのポイントをおさらいしておくと、それは次のとおりである。

(1)珍しい政治の仕組み
①この「珍しい政治の仕組み」とは、何を指すのか? 民主主義のことか?
②なぜそれは“珍しい”のか?

(2)ペルシャ vs. ギリシャ--「自由」の理解の違い
①この両者の間で、「自由」の理解は、どのように違うのか?

以上のポイントの答えを簡潔に記しておくと、それは次のとおりであった(授業ではさらに詳しい説明を行なったが、ここには要点のみを書いておくことにする)。

(1)①民主主義のこと。②歴史において支配的だったのは、独裁政治、専制政治、君主政などのように、一人の人間に権力が集中する政治体制だったから。

(2)①ペルシャ式の自由は「放任状態」を意味していた(そこから恐怖によってのみコントロールできるという考え方も生まれてきた)のに対して、ギリシャ式の自由は「法の下での自由」を意味していた。

以上が本日の授業で学んだことだったが、受講生諸君の手応えはどうだっただろうか? コメントを寄せてもらえれば幸いである。

追記
コメントを寄せてもらう場合、お互いの信頼関係のために、本名を名乗ってもらうことを希望しますが、それはちょっと恥ずかしい…という方は、ハンドルネームでもOKです。ただし、その際には、別に私宛のメール(アドレスは下記※の通り)も送ってもらい、「このハンドルネール○○は、実は◇◇◇のことです」と本名を名乗って下さい。お互いの信頼関係のために、ご協力をお願いします。

※メールアドレス yamanaka<at>kogakkan-u.ac.jp     <at>のところにアットマークを入れてください。スパムメール防止のため、アットマークはここには表記できないので…。

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2006年5月19日 (金)

急速な自由化がテロ撲滅への道か?:米国大統領2006年一般教書演説を読んで

私の通っているECCの時事英語クラスで、昨日、今年の1月31日に行われたブッシュ米大統領の一般教書演説の一部を抜粋したものが、教材として取り上げられた。その教材とは、『CNN ENGLISH EXPRESS』(朝日出版社、2006年4月号)pp. 83-89に掲載されていたものである。

以前から気になっていたものの、一般教書演説がなされた当時にはそれに触れる余裕がなかったのだが、昨日ちょうど教材として触れる機会に恵まれたので、大変遅ればせながら、これを機にホワイトハウスのウェッブサイトにアクセスしてその全文を入手し、ECCに通う電車の中で通読した。

読んでみて私の目に止まったのは、中東に自由民主主義を拡大していくという理想を引き続き強力に推し進めることで、米国は世界のリーダーでありつづけるという強い決意を示した部分である。その部分を読んだとき、私は「ちょっと待てよ…」という思いを抱くことを禁じえなかった。

とはいえ、私は反米的な立場に立っているわけではない。わが国の第二次大戦後の発展は日米同盟なくしてはありえなかっただろうし、これからも日米関係は重要なものであり続けるだろう。戦後において、米国が寛大にも市場を日本製品に対して開いていなければ、今の日本の繁栄はありえなかった。その意味で、私は日本がこれからも米国と良好な関係を保っていくべきであると思っている。その意味で、ブッシュ大統領がこの一般教書演説で孤立主義への回帰を戒めたことは、評価されてよいだろうと思う。

だが、その上で、やはり「ブッシュさん、ちょっと待って下さいよ…」という思いを禁じえなかった。というのも、この一般教書演説においても相変わらず、「圧政による自由の欠如こそがテロの温床であり、自由民主主義の強力な拡大こそがテロを撲滅する唯一の道である」という立場を鮮明にしていたからである。

本欄の昨年7月24日の記事(「ロンドンのテロをめぐって:宗教テロは“自由からの逃走”か?」)でも触れたが、昨年7月20日のInternational Herald Tribune紙に掲載された、コラムニストのRoger Cohen氏の論説によると、昨今の宗教テロは必ずしも圧政下に置かれるがゆえの絶望の産物ではない。昨年7月にロンドンで自爆テロを起こしたアラブ系青年ハシブ・フサインも、2001年9月11日に世界貿易センターの北側のビルにAmerican Airline Flight 11を突っ込ませたモハメド・アタも、決して自由と豊かさを知らない青年ではなかった。むしろ、彼らはイギリスのリーズや、ドイツのハンブルグで、欧米的な自由を享受して過ごしていたのである。

本欄の昨年7月26日に「宗教テロとグローバリゼーションをめぐって(1)」「同(2)」を掲載したが、そこでも論じておいたように、むしろ途上国に対してあまりにも拙速に国際統合・自由化を迫ったことが、かえって昨今の宗教テロを呼び起こしている可能性が高いと思われるのである。

だとするならば、たしかにテロリズムという手段が到底許されるものではないとはいえ、テロリストたちを敵呼ばわりし、彼らの原理主義的な主張の背後に横たわる反米的な姿勢を徒らに刺激するだけでは、かえって米国にとっても逆効果となるのではなかろうか? むしろ、本稿の昨年8月8日の記事でも論じておいたように、先進国としては自由市場の論理に首尾一貫して従いつつ、途上国にはむしろ開発主義を採用する余地を寛大に認め、雁行的な国際的経済発展を可能にすることこそが、テロリズムを沈静化させ、米国の国益に適う道だと思うのである。

しかもその「経済発展」は、21世紀の今日、もはや石油をはじめとした化石燃料に依存しつづけるものではありえないだろう。むしろ、これからの米国が進むべき道は、そしてその米国と今後も同盟関係を保っていくべきわが国が歩んでいくべき道は、限りある化石燃料の奪い合いに自らを巻き込ませる道ではなく、むしろ、太陽光や風力等の自然エネルギーの開発に邁進し、経済発展を渇望する途上国にもその技術を気前よく供与することで地球温暖化=気候変動の進行を食い止め、持続可能な経済発展を地球規模で達成していける道を、日米そしてEUが手を取り合って、切り開いていくことでなければならないだろう。

この意味で、京都議定書から離脱している米国ブッシュ大統領その人自身が、今年の一般教書演説で「アメリカは石油中毒である」と認め、一方で石炭や原子力にも言及しつつも、他方ではクリーンな自然エネルギー活用のための技術開発にもハッキリと言及していたことは、大いに評価されてしかるべきことだと思われるのである。

米国が自由民主主義の普遍性を信じるあまりにその拡大に盲信することなく、本来は原理主義的ではないはずのアラブ・イスラム的な価値も認めつつ、共存共栄の道を世界が歩んでいく上で必要な役割を発揮していくことを、心から願うものである。

山中 優

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