2007年5月21日 (月)

国際シンポ「持続可能な発展のための民主主義」に参加

5月18日(金)~20日(日)の三日間にかけて京都大学大学院人間・環境学研究科で開催された国際シンポジウム「持続可能な発展のための民主主義」に参加してきた。といっても、校務の関係で、参加できたのは二日目の午前中までだったが、それでも得られたものはなかなか大きかった。

初日の午後1時からスタートした基調講演には間に合わなかったのだが、同日2時より始まった第1セッション「持続可能な発展のための環境ガバナンスを支える民主主義の理念と実践」での報告や討論から伺えたことは、環境問題の解決にむけて、民主主義が一つの試練にさらされていることだった。というのも、民主的な政治決定が必ずしも環境問題の迅速な解決に寄与できるわけではないため、環境問題の解決のみを考えるのであれば、むしろ一種の環境エリートによるプラトン的な“哲人王政治”の方がよいようにも思われるからである。かつて倫理学者の加藤尚武氏はその著『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー)で世代間倫理の重要性を訴えた上で、その世代間倫理の要請が、往々にして現世代の利益しか考えようとしない民主主義に対して重大な挑戦となっていると指摘していたが、その問題が今まさに問われているのだということを改めて痛感した。

二日目の午前に行われた第2セッションでは、中国が取り上げられた。「中国における環境ガバナンスの現状と課題」と題されたこのセッションにおける3名からの報告の中で、特に私の注目を惹いたのは、第2報告者の包茂紅・北京大学教授による、中国の環境NGOの活動についての報告だった。まず中国における環境NGOの数が現在2,768にも上るという事実に驚かされた(これは日本の環境NGOの数をはるかに上回るのだそうである)。包教授によると、1978年に中国最初の環境NGOができたが、1994年以来増加し始め、現在に至っているのだという。

だが、その中国の環境NGOにきわめて特徴的なのは、実はそのNGOが、NGOであるはずにもかかわらず、実は一種の「官許」によるものが多いということである。すなわち、中国での環境NGOのうち、49.9%が実は政府によって上から組織されたNGO--これをGONGOというのだそうである--であり、草の根のNGOは7.3%にすぎない。彼らの活動は、政府を批判するものというよりは、むしろ政府が環境問題に取り組むのを助けるのを目的としているのだ、というのである。従って、こうした活動が中国の民主化につながると単純に楽観視できるわけではない、というのが包教授の主張であった。というのも、包教授によれば、環境NGOが反政府勢力になるのを防ぐために、政府によって規制された枠組の内部でのみ、その活動は許されているからである。それゆえに、中国における市民社会形成の道のりはまだまだ長くなりそうである--というのが包教授の結論であった。本ブログで以前に書いた中国における独特の国家-社会関係のあり方(こちらこちら)が、ここにも現れているように思う。

その第2セッションでもう一つ私の注目を惹いたのは、オーストリア国立大学のキャサリン・モートン教授による第1報告のなかで、(市場主義者の主張にもかかわらず)土地の私有化がかえって環境悪化につながる場合が中国において発生しているという指摘がなされていることだった。その報告ペーパーでは簡単に指摘されているだけだったので、この点について質問し、さらに詳しい話を聞いてみたいと思ったのだが、校務の関係でもう出発する時間になってしまったので、そのセッションの終了を待たずに会場を後にしなければならなかったのは大変残念だったが、今後私が自由化と環境問題との関係を考えていく上で、重要な示唆を得ることはできたと思う。

この国際シンポジウムに参加して、もう一つの嬉しい収穫は、これまで参加してきたいくつかの国際シンポジウムの中で、英語の聞き取りが最もよくできたことだった。報告者の発音が大変明快だったことも大いに助けになったが、それにしても大体80%~90%ぐらいは、直に聞いて理解できたような気がする。とはいえ、ちょっと気を抜くとやはり分からなくなるので、同時通訳に頼ることもあったが、そのイヤホンがなくとも聞き取れることがたくさんあったことは、とても嬉しかった。それとともに、同時通訳者の方々(そういえば全て女性だった)のすばらしい力量には、改めて驚嘆した次第である。

今回、このシンポジウムに参加できたのは、その実行委員長を務められた足立幸男・京都大学大学院人間・環境学研究科教授(公共政策学)より、その開催のお知らせをいただいたおかげであった。またそのシンポジウムで、足立先生門下の研究者や共同研究者の皆さんに(久しぶりに、あるいは初めて)お会いでき、旧交を温めるとともに新たな出会いにも恵まれたことは、大変有難いことだった。この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第である。

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2007年5月 7日 (月)

中国における国家と社会(2)

前回の記事で、中国における国家権力の浸透を阻む柔らかい壁としての宗族--あるいはそれに類する「関係」(グアンシ)--について触れたが、その中国における宗族・親族原理の内容を確認するため、文化人類学者あるいは心理人類学者のF・L・K・シューの著作『比較文明社会論-クラン・カスト・クラブ・家元』(作田啓一・濱口恵俊訳、培風館、1971年)を読んだ。「読んだ」といっても、その中から中国に関するところだけを、それもその要点中の要点が述べられたところのみを抜粋的に読んだだけである。

本書序文によると、その主な目的は、「ヒンズー人が眺めかつ対処しているような世界を説明すること」であり、そのために「ヒンズー人の世界観のおもだった現われを、一方では中国人のそれと、他方ではアメリカ人のそれと比べた」(iii頁)ということである。なお邦訳では、これに日本のイエモト原理についての議論が付け加えられていて、私としてはこれも大変興味深いのだが、いずれにせよ、要するに本書自体の最重要目的は、中国ではなくて、むしろインドの社会原理たるカースト制度についての説明である。だが、私としては、将来的にはともかく、今はインドにまでは手が回らない。

にもかかわらず本書を選んだのは、インドとの比較の対象としてのみではあれ、中国における親族原理の強さについても、明快に説明してくれているからであった。本書は、私が大学の学部生だった頃に、実はゼミのテキストとして講読したものであり、私が初めて中国の親族原理の特徴を学んだのは本書によってだったので、あの時に読んだはずの内容の要点を、改めて思い出しておきたかったのである。

今回これを読み直してみて、中国における国家と社会との関係(その近代西洋との違い)について、私の目を強く惹いた箇所が一つあった。その箇所を引用すると、次のとおりである。なお〔 〕内は引用者による補足である。少々長くなるが、ご容赦願いたい:

前者の〔西洋近代〕国家〔のナショナリズム〕にあっては、国民は、比較的自由な政治的枠組みとそのリーダーへの忠誠、もしくはそれらの支持に心をひかれるのであるが、後者の〔中国の伝統的な〕国家にあっては、大部分の国民は、彼らの皇帝や役人の独裁的な統治にただ黙従するだけである。中国の中央帝国は、それぞれ中国の巨大な領土を包含しえた〔ほどに強大ではあった〕が、それは、中国人がそうした諸帝国に積極的な支持を与えたからだというよりも、むしろ王位のいろいろな競争者たちが、比較的たやすく断念したからであった。中国の政治史には、繰り返して起こる事実がある。それは、相異なる諸分派は、ひとたび勝ちをおさめそうな者がでてくるのを見れば、たちまちその者と和解し、そして陽のあたる副次的な立場を求めがちだ、という事実である。このようにして諸分派は、彼らの転換不可能な内部世界、すなわち親族集団の、保全と連続性とを確かなものにしようと考えたのだった。(254頁)

この文章を読んで、私は本ブログの前回の記事に書いた、中国における国家と社会の関係に、さらに納得できたように思う。一方で、中国では、もしも慈悲深い支配を行いさえすれば、専制君主に対して異議を唱えなかった。つまり、その慈悲深い専制君主はあたかも父のような存在と見なされるわけである(すなわち家父長制的支配)。ここに、中国における国家と社会の「同型」的性質がある。すなわち、社会における家族・親族原理(とくに父-息子関係)とその国家支配への拡張である。他方でそれは、積極的な支持ではなくて、消極的な黙従にすぎず、社会の被支配者にとって最も大切なのはその親族集団におけるつながりであり、たとえ中央権力が父のような存在だと見なされるとしても、それへの忠誠心は息子の父に対するそれとは比べものにならない。だから、国家権力は、社会における親族原理(あるいはそれに類する「関係」原理)によって、その浸透を薄められてしまうことになるのであった。

もしもこのことが、伝統中国にのみならず、現代の改革開放路線の下での中国においても基本的には依然として当てはまるのだとするならば、市場経済化の流れの中で、現代中国における地域福祉は、一体どのような姿をとることになるのだろうか?

日本では、明治から昭和にかけて近代西洋のような国民国家化を実現させてきたがゆえに、「地域福祉」が近年唱えられ始めたとはいえ、現実には中央から地方への税源移譲・地方分権があまり進んでいず、依然として中央政府によるコントロールの下に置かれているが、中国では今に至るまで近代国民国家が形成されたことは一度もなく、むしろ近代国民国家とは異質な帝国原理のもとで、強大な中央権力をいただきながらも、他方でその緊密な親族(あるいは「関係」)原理のもとで、一定の遠心的な傾向も同時に併せ持ってきている。従って、中国における地域福祉は、おそらく日本とはかなり異なるものになるのではなかろうか?

この点については、さらに勉強を進めてみないとよく分からない。しかしながら、他の仕事との関係で、ここでいったん中国についての勉強は中断して、もうそろそろ別の勉強に移らねばならなくなってきた。したがって、本ブログでもここでいったん、中国政治経済についての文章の連載は中断するが、いずれまた再開することにしたい。

追記:なお、本ブログにおいて、鄧小平はグローバル化の流れを鋭敏に見抜き、孫文・蒋介石・毛沢東といった歴代の中国指導者が追求してきた国民国家化路線を放棄して、中国を改革開放路線」へと大きく旋回させた--と述べてきたが、これは何らかの実証に基づいたものでは全くなかった。なので、結果としてはともかく、鄧小平が初めから「自覚的に」国民国家路線を放棄したのかどうかについては、いまだ不明である。鄧自身としては、それはむしろ、意図せざる結果であったのかもしれない。その確認については他日を期したい。なお、この点については、中国政治研究者の滝田豪氏(大阪国際大学)・三宅康之氏(愛知県立大学)から貴重なご指摘をいただいた。この場を借りて、心より感謝申し上げます。

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2007年5月 4日 (金)

中国における国家と社会

今日、滝田豪氏の論文「中国研究における『国家と社会』概念の再検討」(『法学論叢』京都大学法学会153号3号、2003年6月所収)を読み、中国政治社会を見る新たな視点を学ばせていただいた。

氏によると、中国研究の世界では、中国における「国家と社会」の関係をめぐって、「遊離論」と「浸透論」とが論争を繰り広げてきた。「遊離論」は、国家と社会が中国では遊離しており国家権力が社会に浸透することはなかったという議論であり、「浸透論」は、逆に国家が社会に浸透していたとする議論である。この両者の議論を概観しながら(こうした概観は、専門家ではない私には大変有難い)、滝田氏は中国研究における「国家と社会」概念の再検討を試みている。というのも、中国政治社会の現実においては、「浸透論を検討すれば遊離の局面が目につき、遊離論を唱えるには国家の力が強すぎる、というような状況が長い間続いてきた」からである(上掲論文36頁)。

そこで氏が重要な手がかりとして言及しているのは、台湾の石之瑜氏と日本の岸本美緒氏の研究に共通する視角である、国家と社会の両者を包摂する「全体秩序」という概念である。石氏によれば、「伝統的な中国人の認識世界においてはそもそも国家と社会という区別は存在しない。儒教においては、皇帝は君子であり、民衆は子民である。つまり社会全体がひとつの家庭のようなものであり、そこでは国家がすなわち社会なのである。現代中国においても、あるときには国家が優位に立ち、あるときには社会が優位に立っているように見えるのは、単なる視座の違いによるものに過ぎない」(38頁)。また岸本氏によると、「伝統中国社会の公的な事業を担うのは国家か社会かという問いを立て、その答えを導くのが難しいのは、両者の役割の境界が曖昧であるからというよりも、そもそもそれが『同型』のものであったから」だったのである(39頁)。

このように中国では国家と社会がその本質において「同型」ではあったが、しかしながらそれと同時に、そこには権力や支配という縦の関係が貫かれてもいた。だがそれは、欧米におけるように、国家と社会とが明確に分かれている状態がまずあって、そこから、権力関係とは無縁な横の人間関係たる社会に対して国家権力が上から支配を浸透させた、という図式を意味するのではない。そもそも中国では「『国家』と『社会』という二つの区別された実体自体が存在しない」のであり、中国の秩序は「国家の色が上から下に向けて少しずつ薄くなっていくグラデーションようなものだと考えることができる」のである(39-42頁)。

その場合、国家権力による上からの支配はたしかに下まで浸透していくが、それは近代国家のように緊密な支配ではなく、中国では常に「変通」(適宜融通を利かせた変化)を被ることを余儀なくされる。そこには国家権力の浸透を阻む強力な「横の壁」が国家と社会の間に明確に横たわっているわけではないのだが、その浸透は「変通」という〔柔らかい〕障害物によって骨抜きにされてしまう。

以下、私自身の解釈も交えながら要約を続けるならば、その国家権力の浸透を「変通」させていく〔すなわち“薄めて”いく〕柔らかい壁は、中間団体における宗族という血縁関係である。しかしその宗族は、ヨーロッパの伝統的共同体のような強固な凝集性を誇るものではなかった。というのも、中国ではいわば「近くの他人よりも遠くの親戚」が当てにされるがゆえに、共同体における地縁的つながりが形成されにくいからである。従ってそれは、国家権力の浸透を薄めることはできても、完全に阻むことはできないのである。しかしながら、その柔らかい壁は、国家権力の浸透を許しながらも、しぶとく生き残り続けるが故に、中国では近代国民国家のような緊密な国家と社会の一体化は相変わらず実現困難な課題であり続けているのである。

もっとも滝田氏も的確に指摘しているように、「近年では〔グローバル化の進展による〕国民国家の黄昏が叫ばれて」いる(45頁)。本ブログでも再三述べてきたように、鄧小平はそれを鋭敏に見抜き、孫文・蒋介石・毛沢東といった歴代の中国指導者が追求してきた国民国家化路線を放棄し、中国を「改革開放路線」へと大きく旋回させたと言えるだろう。

ここからは上記の議論を踏まえての私自身の考察なのだが、そうして中国が市場経済化の道を歩むとき、そこに出てきた巨大な貧富の格差による福祉の諸問題に、中国はどうやって対処していこうとするのだろうか? 二十世紀に全盛期を迎えた福祉国家は同時に国民国家でもあった。それがグローバル化によって転機を迎えるなかで、社会福祉の世界で近年強調されるようになっているのが「地域福祉」という概念である。

しかしながら、もしも中国社会が依然として地縁よりも血縁を、あるいは血縁的つながりに類する「関係」(グアンシ)すなわち人的なコネを重視する社会であるとするならば、経済的に頼れる富裕者をその血縁あるいは「関係」に持たない人々は、一体どうなるのだろうか?

身近にそのような貧困者を目の当たりにしていても、「近くの他人よりも遠くの親戚」をこそ大事に考えるとするならば、同じ共同体にいる困窮者をむしろ冷淡に放っておくことになるだろう。そのように放っておかれる貧困者は、しかしながら、国家による生活保障に頼ることもできないにちがいない。というのも、現代中国はすでに福祉国家=国民国家の路線を放棄しているからである。

だからといって地方政府がそれを行おうとしても、地方共同体における地縁的に緊密な組織化を拒み、あくまでも血縁的な「関係」が幅をきかせる中国社会では、生活保障の財源となる税金の徴収は、それこそ「変通」を被り、スムーズに進まないにちがいない。だとするならば、中国における「地域福祉」にも、多大な困難が待ち受けていると思われるのである。

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2007年4月28日 (土)

中国の地方政府主導型の経済発展をめぐって

今日、現代中国政治経済の研究者・三宅康之氏(愛知県立大学)の論文「中国の経済発展と地方の産業行政」(日本比較政治学会編 『比較のなかの中国政治』 早稲田大学出版部、2004年6月刊、第4章所収)を読み、大いに勉強させてもらった。

経済発展に際して中央政府が主導的な役割を果たした他の東アジアNIES諸国とは異なって、中国は「地方政府主導型」--これは三宅氏によると加藤弘之氏〔現代中国経済研究者のわが国における代表的存在の一人で、現在、神戸大学大学院経済学研究科教授〕の言葉であるが--の経済発展の道を辿っているのであるが、三宅氏はこの論文で、現代中国研究の世界においてはすでに周知の事実となっている(しかし恥ずかしながら私にとっては「なるほど…!」と初めて気づかされた)この「地方政府主導型」の経済発展について、「先行研究を摂取しつつも、中央と地方政府の関係性、政治と経済の連動性を踏まえて長期的に地方政府の動態を捉える作業によって、中国の経済発展において地方政府が果たした役割の再解釈を試み」ている(上掲書79頁)。

中国の専門家ではない私にとっては、三宅氏が先行研究の成果を消化・吸収しつつ、そこに残されている問題点を的確に指摘してくれていることが、膨大な諸文献を一から読み始める手間を省いてくれたという意味で、非常にありがたかった。特に、先行研究が政治学的アプローチと経済学的アプローチとのどちらか一方に偏りがちであったのに対して、氏がご自身の研究において「政治と経済の連動性」を強く意識されていることが、ハイエクを研究してきたがゆえに(単なる政治学でも経済学でもなく)「政治経済学」にも強い関心を抱く私にとっても、大いに興味をそそられるところなのであった。

いずれにせよ三宅氏は、上記の問題意識に基づいて、現代中国の経済発展に地方の産業行政が果たした重要な役割を、氏独自の視点から明快に分析されている。その分析の詳細について、ここで綿密に紹介できる用意はないが、氏によれば、要するに中国は、その高度に中央集権的な外観にもかかわらず、〔その国土のサイズがあまりに大きいが故に〕実は政策実施を地方に依存している。各地方政府は往々にして中央の政策の束縛から逸脱しがちであるが、中央は表面的に整合性が保たれさえすれば、地方の遠心的傾向を黙認してきた。政策実施を地方に委ねる方が、統治コストが安価で済むからである。この点で中央は地方に依存している。他方で地方政府も、地方指導部の党官僚個人とその管轄行政区の等級昇格を決めるのは中央政府である(すなわち人事権を握っているのは中央である)という意味で、中央に依存している。このような中央地方間の相互依存関係の中で、現代中国は「統御が困難であるというコストはあるものの、安価な統治の下で地方政府主導型の高成長を実現した」。つまり、中国独特のこの中央地方の相互依存関係こそが、「広大な国土とそこに住まう膨大な人口を統治する巨大官僚システムの安価な維持運営の精髄にある」のである(上掲書108頁)。

この三宅氏の議論を知って、私の思ったことは、「あぁ、やっぱり中国は“帝国”なのだ…」ということである。というのも、三宅氏も的確に指摘しておられるように(上掲書108頁)、壮麗な中央集権的外観にもかかわらず、その実、その統治方式は、そのあまりにも広大な国土の上に広く浅く覆いかぶさっているだけなのが、まさに伝統的な中華帝国の統治のあり方だったからである。

ここで思い起こされるのが、本ブログの昨日の記事でも言及した、野田宣雄氏の現代中国論である。というのも、野田氏によれば、改革・開放路線は鄧小平独特の帝国支配への復帰の試みであり、鄧小平は、中国を近代的な国民国家へと仕立て上げようとした歴代の中国指導者(孫文、蒋介石それに毛沢東)とは異なって、「緊密な近代主権国家の実現を断念し、中国を孫文や蒋介石以前のルースな支配の形態に引き戻す道を選んだ」(野田宣雄 『二十世紀をどう見るか』 文春新書、190頁)。そして野田氏によれば、「鄧小平の非凡さは、グローバル化という世界経済のまったく新たな潮流と、帝国という中国の伝統的な統治方法との親縁性を見逃さなかった点」にあったのである(同書191頁)。

しかしながら、そうだとすれば、経済発展に伴う経済的・社会的摩擦(近年の極めて深刻な環境破壊への対処も含めて)に統一的に対処できる能力も、現代中国の中央政府には欠如していることになる。その対処の重荷はひとえに地方政府の肩にのしかかることになるだろう。果たして中国の各地方政府にそのための用意があるのだろうか?

しかも現代中国のとっている経済発展戦略が、20世紀に典型的だった近代主権国家としての緊密なまとまりによるものではなく、むしろ分権型の市場経済化によるものだとするならば、地方政府の遠心的傾向はさらに強まっていくことだろう。実際、三宅氏もそう指摘しているし(上掲『比較のなかの中国政治』108頁)、野田氏も中国分裂の可能性についても(統一維持の可能性とともに)周到に目を配っておられる(上掲『二十世紀をどう見るか』200-202頁)。

しかも中国には連邦制への極端なまでの嫌悪感があり、いわゆる「大一統」への執拗なまでの固執があると言われている。だとするならば、その中央地方関係には、並々ならぬ緊張関係が生じることになるだろう。そのようなとき、果たして中国は一体どのようにして、秩序の安定を図ろうとするのだろうか? それは極めて大きな難題だと思われて仕方がないのである。

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2007年4月27日 (金)

中国政治経済の勉強を開始(3)

本ブログ4月13日の記事に書いた理由により中国政治経済の勉強を始めているが、参考までに、これまでに私の読んだ主な文献の中から、特に感銘を受けたものを挙げておくと(かなり以前から読んでいたものも含めて)、以下のとおりである:

○木村雅昭 『「大転換」の歴史社会学-経済・国家・文明システム-』(ミネルヴァ書房、2002年)

私の恩師の御著書。比較史的方法を駆使して近代市場社会成立の背景を分析したもので、市場原理主義や新古典派経済学が孕む今日の問題状況が見事に解明されている。中国が取り上げられているのは、その「第九章 帝国と経済体制-中国」においてである。もとより、この第九章の議論を本当に理解するためには、本書をすべて読み通した上で、その議論全体に通暁しておく必要がある。私はもちろん一度は通読しているし、いくつかの章は何度も読み返しているのだが、それでもまた読み返す必要がまだまだありそうだ。それほど重厚で浩瀚な書物である。

○野田宣雄 『二十世紀をどう見るか』(文春新書、1998年)

新書ではあるものの、20世紀末から21世紀にかけての歴史的大変動を、(私なりに図式化すれば)《グローバル化による国民国家の危機 → エスニーと帝国の復活=「中世への回帰」》 という歴史認識によって、鮮やかに解き明かした名著。その第7章で中国のことが論じられている(「中華帝国と日本」)。改革・開放路線を鄧小平独特の帝国支配への復帰の試みと捉える視点は、非常に示唆的である。

○三宅康之 『中国・改革開放の政治経済学』(ミネルヴァ書房、2006年)

現代中国の政治経済を分析するに当たって、国家中枢と基層社会の狭間に位置しているが故に統治の矛盾の集約点となる地方指導部に視点を据え、中央地方政府間関係を軸として、共産党独裁体制の統治の内実とその実質的変容に迫った力作。その議論の主旨については一応理解したつもりではあるのだが、その詳細な分析についてはまだ綿密に消化できていないため、また読み直す必要がありそうである。

○滝田豪 「中国農村における公共性の危機-基層政権の「不良債権化」と「企業化」-」『日中社会学研究』第13号(2005年10月)53-72頁

いただきものです(滝田さん、ありがとうございます)。現代中国の市場経済化のなかでの農村基層政権の有様を明快に分析した論考で、そこにおける公共性が私的に融解している実態が鋭く描かれている。私はここに、中華帝国において伝統的だった家産制的支配における、いわば「私物化された公的権力」(とでも言うべきかと私は思うのだが)が中国農村に根強く生き残っている有様を、まざまざと見せつけられた思いがする。中国における政治文化のあり方がその市場経済化に及ぼす影響に、深く思いを致さずにはいられなかった。

以上4つの文献が、これまで読んできた中で特に感銘を受けたものである。もちろん、まだまだもっと読んでいかねばならない。これからも私なりに勉強を続けていき、本ブログにも、その経過を折に触れて書き留めていこうと思う。

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2007年4月24日 (火)

中国政治経済の勉強を開始(2)

授業の合間を見て、中国の勉強を少しずつ続けている。私にとって全く未知の分野であり、まだ勉強を始めたばかりなので、試行錯誤の連続である。現代中国の政治経済の根底にひそむ社会構造や政治文化のありさまについては、まだまだよく分かっていない。

それでもおぼろげながらに分かってきたことは、中国では、人的ネットワークが決定的な役割を果たしており、それが企業の経営組織においても、中央・地方政府での権力関係においても、非常に重要な要因となっているらしいということである。そのために、往々にして公と私とが融け合ってしまい、権力が私的に行使されることが多くなってしまうらしいのである。そこには、中国が伝統的に帝国でありつづけたこと、その帝国において家産制的な支配が行われてきたことが強く作用していると言えそうである。このことは、現代中国の改革開放路線において、大きな混乱要因となっているかもしれない。

しかしこれはまだ、私にとってはおぼろげな理解にすぎないので、まだまだたくさん本を読んでいかねばならない。幸い、私にとって重要となりそうな文献にどんなものがあるかも徐々に分かってきており、その注文も今日できたので、入手でき次第、読み進めていこうと思う。私の中国勉強は、まだまだこれからである。

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2007年4月13日 (金)

中国政治経済の勉強を開始

実は最近、本欄3月30日に書いたテーマと並行して、中国の政治経済についても勉強を開始した。それは以下に述べる理由からである。

私の勤める皇學館大学が、北京にある中国社会科学院・日本研究所と、実は2003年10月に学術研究交流協定を結んだ。私の所属する皇學館大学・社会福祉学部には「地域福祉文化研究所」が附置されているのだが、研究交流協定に基づいて、その附置研究所が中国社会科学院・日本研究所と「日中福祉文化の研究-地域と家族をめぐる福祉課題-」というテーマで共同研究していくことが昨年3月に決まり、その共同研究プロジェクトが少しずつ動き始めている。私自身は(今のところまだ)その附置研究所の所員ではないが、その共同研究への協力を依頼されていて、来年度に何らかの研究報告をすることを求められているため、中国の政治経済について、勉強し始める必要が生じてきたのである。

実を言うと、研究テーマとしての中国には、少々苦い思い出がある。というのも、大学4年生の秋に大学院合格が決まった後、翌年4月の進学に備えて研究テーマを何にするか考えていたときに、実は一度、中国研究を考えたことがあったものの、それをスグに諦めることになってしまったからである。

その時の私は、資本主義と社会主義の問題を考えるフィールドとして、中国を漠然と思い浮かべたのであった。そのため、中国語の勉強にもほんの少しだけ着手したこともある。しかしながら、その当時の未熟きわまりない私には、「資本主義と社会主義の問題を考えてみたい」という漠然とした理由を超えて、もっと具体的にどういう視角から中国研究を進めればよいのか、シッカリとした研究目的が全く見えてこなかったため、結局断念したのである。それと同時に、中国語の勉強も放棄してしまうことになった。それ以来、研究対象としてハイエクを選び取るまでの間、文字通りの“迷走”を続けることになったし、そのハイエク研究ですら、修士課程の2年間の間は全くモノにならなかったため(ようやく最初の公表論文の原稿を仕上げることができたのは博士課程の2年生のときであった)、精神的に非常に苦しい時期を味わうことになったのである。

そのような経緯があったため、いまでも中国のことを考えるとき、あの頃のことが甦ってきて、胸が少々締め付けられるような感じさえしてきたのである。いま思うと、それはちょっとした劣等感にもつながっていたように思う。だから、上記の日中研究交流に基づく仕事の話が私にも及んできたとき、実は内心かなり気が重かったことは否定できない。

しかし、見方を変えれば、あのとき自分の中で研究テーマとして中国を思い浮かべたとき、その当時は全く分からなかったとはいえ、やはり、研究すべき“何か”を、漠然とではあれ、自分の中に直観的に感じ取っていたのかもしれない。それが今になって、機が熟してきたことにより、中国研究の話が私にも舞い込んできた、と考えることもできるのではなかろうか--そう思い直したとき、「よし!やってみよう!!」と勇気を振り絞ることができたのである。それはまた、大学院進学を控えて、不安で不安で仕方なかった頃の自分に対する苦いマイナスの思い出を、逆にプラスの思い出に切り替えることのできた瞬間でもあったように思う。

中国に関する書物はそれこそ汗牛充棟であり、「どれから手を付けてよいのやら…」と目が眩みそうになりそうなものだが、私の場合、非常に幸いなことに、私の出た京大法大学院(政治学専攻)には、私の恩師はもちろんのこと、当時の大学院生仲間(先輩・同僚・後輩)に、中国をはじめとした東アジアあるいは東南アジアの優秀な研究者がたくさんいて、個人的にも親交があるから、何から読み始めればよいかについて、迷う心配は全くなかった。考えてみれば、大変有り難いことだと思う。

曲がりなりにも、これまでのハイエク研究に一段落を付けられた以上、ハイエク研究をしてきた者の立場から、何か新たな視点を打ち出すことも決して不可能ではないだろう。そう信じて、新たな歩みを一歩一歩進めていきたいと思う。

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